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「悪魔になろう。世間から憎悪され抹殺されるような存在に」成田悠輔が東大生に語った“教育論”《特別講演録》 | 文春オンライン
だから他人に教育論を語れるような立派な人間ではないのですが、何を勘違いされたのか日本の教育につい... だから他人に教育論を語れるような立派な人間ではないのですが、何を勘違いされたのか日本の教育について話してほしいと依頼してくる方がちょくちょくいます。今回もそうです。東大のような日本のエリート高等教育について話してほしい、と。だから私なりの認識と指針を描いてみたいと思います。ただ、珍しく午前中から起きて眠いので、主観と客観の混じった、エビデンスなのか論理なのか妄想なのかグレーな話ばかりします。どうか疑い深く聞いていただければと。「先生」が間違っていたり無知だったりするのが大学という場所ですから。 大学教育といっても無数の切り口があります。まずは入り口、「誰を学生として入学させるのか」という大学入試から考えてみましょう。 入試では2つの欲望が衝突します。透明性と多様性の衝突です。透明性の欲望は「合否の線引きを透明で公平で誰もが納得できるものにしたい」という発想です。いい例がペーパーテストの点に
2024/07/12 リンク