蜀(しょく)の劉備(りゅうび)の弟分、張飛(ちょうひ)。劉備が蜀の主となり、張飛自身も相応の身分となった頃、高名な名士の劉巴(りゅうは)のところでお泊まりしたことがあります。その時、劉巴は張飛を軽んじて言葉を交わすことすらしなかったため、張飛はカンカンに怒ったのですが、劉巴に対しては何も言えず、後から諸葛亮(しょかつりょう)に愚痴を聞いてもらったようです。 その武勇は一万人にも匹敵すると言われ、長坂橋(ちょうはんきょう)では曹操(そうそう)の大軍を一人で食い止めた暴れん坊キャラの張飛が、どうして非力な文人に文句の一つも言えなかったのでしょうか。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強