曹真が殺人レターを受け取る前段階「司馬懿との賭け」 一般的な数え方では、蜀の魏への侵攻「北伐」は五回行われたと言われています。曹真は第一次北伐の時から対蜀防衛作戦に従事していますが、三国志演義の中ではたびたび失敗をしています。第二次北伐でもいくつか失敗し、配下の勇将・王双(おうそう)を蜀軍によって斬られた悲しみのため病気になり都に帰還しました。 それから一年半ほど経った西暦230年秋、病気も全快した曹真は蜀侵攻案を上奏し、認可され、蜀への侵攻を開始しました。ところが秋の長雨に遭い、魏軍は撤退を余儀なくされました。同僚の司馬懿(しばい)が曹真に対し、蜀からの追撃に充分注意するよう言いましたが、曹真は追撃なんてあるわけないとなめてかかっています。 司馬懿は「十日経っても蜀軍が現われなかったら女装して謝るから頼むから気をつけて」と言い、曹真は「では敵が現われたら帝に貰った玉帯と馬を君にあげよう」