サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
kaze-no-katami.hatenablog.jp
『あれぇ、暫く間は空いてしまったとは言え、今回は「正月の想い出(2)」を投稿する筈ではなかったのか』 勿論そんな事は百も承知しているし、しかも下書きはとうの昔に出来上がっている。ならば何故さっさと投稿しなかったのか。 通常私はブログを投稿する前に、少なくとも3回は読み返す。目的は、誤字脱字、変換ミス、表現の重複、ら抜き言葉、等々の排除である。(その割には大した文章は書いていない) 「正月の想い出」の続編も同様の手続きを踏み、特に問題は見つからなかった。しかし何度か読み返すうちに、次第に違和感を覚えるようになってきた。 その原因が、全体の内容なのか、表現の仕方なのか、或いは・・・。 相変わらず幾つになっても、どうでもいい、しょうもない事に拘ってしまうのである。何度も書き直してみたが上手くゆかない。 という訳で暦も変わった事ではあるし、ここは一旦「正月の想い出」は塩漬けにし、気分転換を図ること
本来であれば前回の「正月の想い出」の続きを投稿すべきところではあるが、やはりこの知らせに触れることなく通り過ぎる訳にはいかない。 私が特に好きなミュージシャンの一人、デイヴィッド・クロスビー(David Crosby) が、長い闘病生活の末1月19日に亡くなったとマスコミ各社が伝えた。享年81歳、死因等は不明である。 恐らく読者諸氏にはご存じない方が多いと思われるので、一応ご紹介を。 私は小学生の頃ラジオで聴いたサイモン&ガーファンクルに衝撃を受け、中学1年の時、親にねだってギターを買って貰った。それから友人と二人でひたすらS&Gのコピーに励み、続いてクロスビー, スティルス, ナッシュ&ヤングの演奏に強く心を引かれた。双方に何か共通点があるとすれば「アコースティックギター」だろうか。 だが、S&Gでソングライターはサイモン1人だったが、今度は4人とも曲を書き、しかも各人かなり個性的である
松が明け、続いて「成人の日」も終わり、世の中はまた通常モードに戻ってゆく。コロナ禍は衰える気配を見せないが、昨年末から三年振りに行動制限が緩和された為、帰省や旅行した人の総数は前年度の約二倍になったそうだ。 かく言う私は昨年春以降、相次いだトラブルを引き摺ったのか、お節料理の予約期限をミスり、友人に頼んで買ってきて貰った年賀はがきには全く手がつかず、挙句に車を駐車する際、左前方を壁に擦る始末。 それでも大晦日は気を取り直して、例年通りダラダラと酒を飲みながら紅白歌合戦を視聴。次から次へと登場する見知らぬ若い出演者達を眺めては、もし今、自分が十代だったらあのような音楽を聴いているのだろうか、と考える。 それがここ十年余り変わらない私の新年の迎え方である。それより更に前は・・・殆ど記憶にない。唯一覚えているのは仕事納の十二月二九日、勤務先で打ち上げの乾杯をした後、本屋に立ち寄り司馬遼太郎の「坂
明けましておめでとうございます 皆様にとって幸多き一年となりますように
第二次世界大戦終結から3年が経過した1948年、世界は既にアメリカを中心とする「資本主義、自由主義陣営」とソ連が盟主である「共産主義、社会主義陣営」との対立、いわゆる冷戦時代に突入していた。 同じ年の12月24日、アメリカ空軍は北に向けた早期警戒レーダー網が高度4,300mを飛ぶ正体不明の物体を捕えたと公表。 動力はトナカイ8頭、物体は「そり」だという。 これがアメリカ軍のサンタ・クロース追跡について最初の公式発表となった。(尚、「そり」はトナカイ9頭立てとする文献もあるが、有名な赤鼻の「ルドルフ」は先導役なので「そり」は曳いていない) その後この追跡はCONDA(大陸防空司令部)からNORDA(北米航空宇宙防衛司令部)に引き継がれ現在に至り、毎年12月24日、クリスマス・イブの夕刻から1時間おきにビデオページが更新される。 因みに昨年、日本の富士山と東京上空を飛ぶサンタのビデオは以下の通
先月に続き「月」の話をする。そもそもこの地球の衛星は、今から46億年前、太陽を中心に、その引力が及ぶ天体から成る太陽系が形成される中、出来たばかりの地球に火星と同サイズの天体が衝突、飛び散った破片が地球の軌道上を回転しつつ、合体して出来たという説(ジャイアント・インパクト説)が有力である。 ところで私達は空が晴れてさえいれば、毎月1回、年間12回の満月を見る事が出来る。時には先月のように皆既月食と天王星の食が同時に起きるという、数百年に一度のイベントもあり当然話題になる。 しかしマスコミや極一部のマニア並みに、高性能な機材を所持していれば撮影も可能だろうが、当方みたいにグリコのおまけ程度では、実際のところ天王星の影も形も確認すら出来ずに終わった。 さて、そこで今月の満月である。謳い文句はこれ、『火星が見頃 今日8日は今年最後の満月 月が火星に接近』。それだけでは判らない私のような者の為、ご
「師走」を目前にして「師」でもないのに何かと忙しい(尤も師=僧侶が走り回るという説には疑義があるらしい)。 月に1度のルーティーン、内科(かかりつけ医)はともかく、やれ整形外科だ、リハビリだ。更には耳鼻咽喉科、歯医者と続くと流石にうんざりする。 おまけにサッカーW杯も始まり連日各国A代表の試合となると、ついつい観てしまう。その結果は深刻な睡眠不足である。 そんな折、ふと何か忘れているような気がした。唯、あまり気にし過ぎると記憶の底に沈んでしまいそうなので、『本当に大切な事であれば何かをきっかけに思い出すだろう』と考えない事にしていた。 そして今日、11月29日、漸くその忘れ物が判明。何の事はない、このブログで毎月続けてきた「季節の花」を未だ投稿していなかったのだ。 しかし撮影に出掛けておらず新しい写真は無い。また以前撮ったものを再編集してYouTube にアップする時間も気力も無い。 とい
♩ 君住む街まで飛んでゆくよ 一人と思わないで いつでも ♩ 小田和正はオフコース解散後、1989年から本格的にソロ活動を始め1991年、あの伝説の月9ドラマ「東京ラブストーリー」の主題歌「ラブ・ストーリーは突然に」をリリース、260万枚のミリオンセラーを記録しヒットメーカーとしての地位を確立した。 その後、1996年に「LOOKING BACK1」、2001年には「LOOKING BACK2」を発表。この二作はかってのオフコース時代の楽曲を新たに編曲し直しセルフカバーしたもので、大きな話題にはならなかったがそれなりの評価を得た。 しかし私にはあまりしっくり来ない。確かにオリジナルが録音された頃は存在していない機材や楽器を使用し今風な印象は受ける。しかしヒットに恵まれず、副業として数々のCMソングを歌いながら、それでも地道に自分達の音楽を続け、♪ どんなに小さくなった自分でも 夢さえあれば
本来であれば、今回は小田和正氏のコンサートツアー「こんど、君と」の後編を投稿すべきところ、私が手間取っている間も宇宙空間にある天体は規則通り運動を続け、気がつけば11月8日は月食だという。しかもただの月食ではなく怪奇皆既月食なのだ。 加えて今回の月食について世間は妙に騒がしい。どうやら月食に合わせ天王星が月の背後を通過するらしい。このように月と惑星食が同時に起きるのは、実に442年振り。更に次回の月と惑星食(今度は土星)は332年後との由。 しかしである。だからと言ってそれ程貴重な体験になるとは思えない。天王星の明るさは6等星相当であり、子供の頃、肉眼で見える限界は6等星だという話を聞いた覚えがある。多分それも街の明かりなど無い、空気の澄んだど田舎の山奥地域での事だろう。要は高性能な機材を持っていない限り、天王星などout of 眼中なのだ。 「東京には空がない」と智恵子が言って久しい。併
♪ 大いなる河のように 時は流れ戻るすべもない ♪ そして10月19日18時40分、定刻より10分遅れで会場の照明が静かに落ちた。昔ながらの席案内人のような灯りに導かれ、10名弱の影がステージの定位置に腰を下ろす。 それに合わせ満員の客席から起きた拍手が更に音を増した。見れば下手からもう一人歩いて来る。その影こそまさしくこのコンサートの主役、小田和正に間違いない。 ここ、「さいたまスーパーアリーナ」は、JR大宮駅と与野駅の間に平成12年(2000年)5月5日、新設された「さいたま新都心駅」に隣接、最大37,000人を収容する多目的アリーナとして埼玉県が650億円を投じオープンした。 因みにこの「新都心」という言い方は予てから「ダサイたま」と蔑まれ、然したる名物や特産品も無く、地元出身有名人といえばアルフィーのタカミー位しか出てこない状況を払拭しようと埼玉県が勝手につけた訳ではなく、東京に一
♪ あの人に会える だからここに来る ♪ 2019年6月27日、全国レベルで展開する「ENCALL!ENCALL!」とタイトルされたコンサートツアーの一環、埼玉公演を生で視聴しに、私はここ埼玉スーパーアリーナへやって来た。そしてそれから3年余り、2022年10月19日、再び同じ場所に立っている。 今回、タイトルこそ「こんど、君と」に変わったが、変わらないのは、このコンサートの主。数々の最高齢記録を次から次へと塗り替え続ける、伝説のシンガーソングライター、ご存じ小田和正だ。 尤も、このツアーに限って言えば、前回、愛媛・松山での最終公演に於いて小田本人が予告した「また会おうぜ」との言葉を実現する形で開催される為、ある意味想定内であり特段驚くにはあたらない。折しも新型コロナに対する制限も緩和され、8年振りのオリジナルアルバム「early summer 2022」の6月15日リリースを発表。正に機
普通「七草」といえば、毎年1月7日の朝、年末年始で疲弊した身体を労り、新たな年の無病息災を願って食べる粥の具材を指す事が多い。 古くは中国から伝わり、平安時代に始まったと言われるこの「七草粥」の風習は、江戸時代になって全国に広まり、今日まで連綿と続いてきた。その証拠に今では年が明けると、スーパーの青果売り場の棚に七種類をセットにした袋が並べられる。 尚、ここでいう「七草」とは所謂「春の七草」の事である。『おいおい、1月7日と言えば冬の真っ盛り。その頃手に入る雑草が何で春なんだよ』と思われる方も中にはいるかも知れない。 しかし年賀状に「新春」とか「迎春」等の言葉を使う事を思えば、何の違和感もないのではなかろうか。 さて、今更ではあるが、今回テーマは季節外れの「春の七草」や「七草粥」について深く掘り下げようという話ではない。何と我が国には「春」の他に「秋の七草」もあるというのだ。 取り敢えず名
大型で強い台風14号が列島各地に爪痕を残して過ぎ去ると、暑かった夏の残り香は、何一つ想い出を残さずに荒れ狂う嵐の中へ消えてしまった。 しかも翌朝カーテンを開くと、そこにあるのは見慣れた台風一過の青空ではなく、それを覆い、今にも降り出しそうに低く垂れ込め流れる灰色の雲だけだ。 『まったく、何て事だ。塵も埃も汚染物質も吹き飛ばされた、あの青空も見られなくなったのか』 だが、変わった事と言えば他にもある。台風の発生場所だ。かっては赤道付近というのが常識であったが、最近は熱帯低気圧のままジワジワと北上を続け、日本に近づくにつれて勢力を増し、台風になった途端、上陸というパターンが増えてきた。(因みにここで台風とは風速約17m以上の熱帯低気圧をいう) 14号に続き日本に影響を与えた台風15号が正にその典型だった。上陸こそしなかったものの台風になるや否や、近畿から東海、特に静岡県に記録的な豪雨をもたらし
読者諸氏の中には「とんぼ」を捕まえてやろうと、あの大きな眼に向かって指をクルクルと回した事がある人はいるだろうか。 子供の頃、誰に教わったのか覚えていないが、私や私の友達は「とんぼ」見つけると、こぞって人差し指をクルクルやったものだ。 『そうする事で「とんぼ」が眼を回しフラフラしているところを捕える』間違えなく筋書きはこうだった筈だ。 しかし、今思い返してみても、そうやって「とんぼ」を捕まえた人も、また捕まった「とんぼ」も見た記憶がない。人生を左右する程の問題ではないものの、どうにも気になって仕方がない。 早速、玉石混交の情報が溢れるネットを検索してみると、あった。一番激しいのは、指を回していると「とんぼ」の頭がポロっと取れてしまう、というもので俄かには信じられない。他は概ね似たようなもので、 1.「とんぼ」が眼を回す事はない。 2.「とんぼ」の複眼は動きの速いものは捉えるが、指を回す程度
蝉の声が次第に小さくなって来た今日この頃、今度は花から花へとさかんに飛び回る蝶の姿が目につく。 しかし、蝶と言えば何となく春の風物詩のような気がする。現に俳句の季語は間違いなく春である。唯、一年を通じてその姿を見られることから、それぞれ「夏の蝶」「秋の蝶」等とする事で、春以外の季語としても使用出来るという。 ならば何故、春の印象が強いのか。私は童謡の「蝶々」の歌詞がその一因ではないかと睨んでいる。曰く 蝶々 蝶々 菜の葉にとまれ 菜の葉が飽いたら 桜にとまれ 桜の花の 花から花へ とまれよ遊べ 遊べよとまれ ご覧の通り「菜の葉」(花ではなく葉の方)と「桜」は春を代表する草木であり、このような歌を幼い頃から意味も解らず歌わされたら、否が応でも蝶=春と洗脳されるのではないだろうか。 だが実際のところ桜にとまっているのは蜂や虻、または野鳥のメジロやヒヨドリであり、決して蝶ではない。尤もこのように
(初回投稿 2020年8月29日 2022年8月27日加筆) 「夏の終わり」は何故か切なく物悲しい。何となくそんな気がする。それは眩しい日差しが少しずつ薄れてゆくせいなのか。それともやがて訪れる秋を無意識裏に受け止めた為なのか。否、ただ単に一人黄昏ているだけなのか。 ひと口に「夏の終わり」と言っても、その気配を知るきっかけは人それぞれ違うだろう。例えば、人影が途絶えた避暑地。歓声が消えたテニスコート。クラゲが漂う波打ち際。仕舞い忘れたビーチチェア。或いは早朝の空気の澄明感、集団登校する子供達の歓声かも知れない。 しかし、もしそれが蝉時雨であると言ったら、少し変に思われるだろうか。実を言うと私に「夏の終わり」を告げるのは「つくつく法師」の鳴き声なのである。 蝉は早ければ五月頃から鳴き始めるそうだ。「ハルゼミ」という種らしいが私は聞いた覚えはない。専ら耳にするのは、七月初旬の「ニイニイゼミ」と
これまで「季節の花」と題し、私が撮影した草花の写真をスライドショーにしてご覧頂いてきた。今回は趣向を変え夏に関連した歌を2曲ご紹介したい。 1曲目は夏の盛りに向かって海に行きたい若い女性の気持ちを歌っており、2曲目は夏と共に終わりを告げる恋を思い出す大人の男性を歌にした。 恐らく殆どの人が2曲ともご存じないと思う。何故ならばどちらも随分前に私が作ったからである(あっ、今このページを閉じようとしたあなた。もう少しお付き合いを)。 さて「下手の横好き」という言葉がある。私は中学1年の時、ギターを買って貰ってからというものドップリ音楽に浸り込み、その割には演奏も歌も全く上達しなかった。 かくなる上は自分で歌詞、メロディーを作り、編曲してカラオケまで録音してしまおうと考え、必要な機材を揃えた。 当時、パソコンは未だ普及しておらず、我が家のラインナップはヤマハのシーケンサー、リズムマシーン、音源(F
2020年8月15日に投稿したものを再掲する。 梅雨明けしたと思ったらいきなり連日の猛暑。とてもでは無いが身体がついて行かない。それでいて8月7日には「立秋」を迎え、暦の上では既に秋になっているのである。これはどう考えても納得しづらい。 それと言うのも、我が国は明治になると西洋と足並みを揃える為、暦をそれまでの太陰太陽暦から太陽暦に改めた。これにより明治5年12月5日は明治6年1月1日と読み替えられ、以後、入梅や二百十日などの「雑気」とそれに伴う様々な風習や年中行事の多くは、全て約1ヶ月前倒しになってしまった(尚、立秋を含め夏至や冬至などの「二十四節気」は元来太陽と地球の動きと連動している)。 中でも可哀そうなのは織姫と彦星である。本来ならば梅雨が明けた現在の8月7日が七夕であったのに、今の7月7日は梅雨の真っ盛り。彼等はこの150年あまり、まともに逢瀬もままならない。さぞかし明治政府を恨
最近、心なしか夜明けが遅くなったような気がする。調べてみると、「夏至」だった6月21日の日の出は午前4時24分、それに対し8月6日は午前4時53分なので、凡そ30分遅くなっている事になる。 そうやって日照時間は次第に減少し、9月23日の「秋分の日」を境に昼と夜の長さは逆転、12月22日の「冬至」まで夜はひたすら闇の領域を拡大してゆく。 そして今日8月7日は「立秋」。気温は未だ30度を超え、相変わらず真夏の日差しが照り付けてはいるが、暦の上ではもう「秋」の到来である。 これからの日々、少しずつ秋らしい何かに出会う機会も増えてくる事だろう。例えば、早い朝、頬をよぎる涼やかな風。池のほとりを飛び交うトンボ。鮮魚売り場に置かれた「新さんま」の値札。古い友人から届いた残暑見舞いの葉書、等々。 果たしてあなたはどのような「秋の気配」を感じるのだろうか。 尚、今回もまた昨年の動画を流用した、悪しからず。
このブログを休止するにあたり「一身上の都合」という漠然とした言葉を使ったが、ここに来てその「都合」が当初予測していた事とは大きく異なり、問題は何一つ解決せず、それどころか振り出しに戻ってしまったように思えてならない。 それでも生きている限り歩みを止める訳にはいかず、出来うる限りいい結果を得らよう努力する所存である。と言ってみたものの、読者諸氏には一体何の事やらさっぱり理解出来ないであろう事は充分承知している。 事の仔細は機会があればおいおい説明するとして、甚だ唐突ではあるが、ブログを再開する事にした。 こちらの理由は単純明快で、これまで「季節の花」と題して自分で撮影した草花の写真を動画に編集し、毎月投稿してきたものをここで途切れさせたくなかったからである。 しかし今月に関して言えば、まともな写真は1枚も撮っておらず、従って動画を作ることが出来ない状況だ。 そこで考えついた「苦肉の策(安易な
読者の皆様へ 前略 先日来お伝えしている通り、この度、一身上の都合によりこの「風のかたみの日記」の投稿を暫くの間、休止する事と致しました。 いつもお越し下さる読者の方々には誠に申し訳ありません。何卒、ご理解下さりますようお願い申し上げます。 また、投稿休止に伴い、こちらから皆様の所へのお伺いも難しくなる事、お詫び申し上げます。何卒、ご容赦下さりますよう重ねてお願い申し上げます。 尚、状況が許す場合は何か投稿する機会もあるかも知れませんし、勿論、出来るだけ早い時期に再開する所存です。 それではまた、改めてお会い出来る日を楽しみにしております。 末筆ながら皆様方のご健勝と益々のご発展をお祈り申し上げます。 草々 令和四年七月吉日 風のかたみ
合 掌 🙏 イフェイオン(花言葉は「悲しい別れ」)
読者の皆様へ 前略 先日来お伝えしている通り、この度、一身上の都合によりこの「風のかたみの日記」の投稿を暫くの間、休止する事と致しました。 いつもお越し下さる読者の方々には誠に申し訳ありません。何卒、ご理解下さりますようお願い申し上げます。 また、投稿休止に伴い、こちらから皆様の所へのお伺いも難しくなる事、お詫び申し上げます。何卒、ご容赦下さりますよう重ねてお願い申し上げます。 尚、気が向いた時など、状況が許す場合は何か投稿する機会もあるかと思いますし、出来るだけ早い時期に再開する所存です。 それではまた、改めてお会い出来る日を楽しみにしております。 末筆ながら皆様方のご健勝と益々のご発展をお祈り申し上げます。 草々 令和四年七月吉日 風のかたみ
引き続きブログ休止中ですが、山田ひかる(id:myuhikaru)さんに代わって大切な「お知らせ」をお伝えします。 さて、去る6月5日「Cafe Duo Live vol.5 」とタイトルされた配信ライブをご覧になった方も多いと思う。 勿論これは、5回にも渡り法外な金額をボッタくりまくったカフェの話などではなく、荒川泰さん(key.)と山田ひかるさん(vo.)という、「はてなブロガー」でありながら、れっきとしたプロフェッショナルのミュージシャンによるライブ演奏のネット配信の事。 このライブのアーカイブ視聴期限が7月5日まで、というのがこの「お知らせ」の主旨である。 因みにこのお二人は、毎回、違うテーマを決めて取り組んでおり、今回は1970年代、世界的に一世を風靡したカーペンターズを特集。今も尚、色褪せないスタンダード・ナンバーを絶妙なアレンジで聴かせてくれる。 そして、荒川さんが奏でる華麗
さも偉そうに休止宣言をしたばかりだと言うのに、その舌の根も乾かない内に1回だけ投稿する事にした。その前に先ず、 お寄せ頂いた皆様からの過分なる御厚情誠にありがたく、衷心より御礼申し上げます。 自分でもかなり目一杯になっていた為、これはもう休むしかないと「お知らせ」を投稿して数日が過ぎてみると、未投稿の幾つかの下書きの中で、「アップしてくれ」とすがるように訴えているものを見つけ、これを取り敢えずの「打ち止め」にしようと気が変わった。と言うのも、私にとっては割と大きなニュースが入って来たからだ。 ご存じの方も多い事と思うが、小田和正氏が8年振りにアルバムをリリースした。私はすっかり忘れていたのだが、事前予約をしていたので発売当日、我が家にCDが届いた。何やら正方形の下敷きのような物が付いており、これさえなければ。包装はもっとシンプルになるのにと思ったのは私だけだろうか。 何か新聞記事でも無いか
読者の皆様へ 前略 今般、一身上の都合によりこの「風のかたみの日記」の投稿を暫くの間、休止する事と致しました。 突然のご連絡となり誠に申し訳ありません。何卒、ご理解下さりますようお願い申し上げます。 また、ブログ休止に伴い、皆様の所へお伺いするのも難しくなります事、お詫び申し上げます。何卒、ご容赦下さりますよう重ねてお願い申し上げます。尚、気が向いた時など、状況が許せばこの限りではありません。 それではまた、お会い出来る日を楽しみにしております。 末筆ながら皆様のご健康と益々のご発展をご祈念申し上げます。 草々 Mom (id:Newday) さんが 作って下さったアイキャッチ💔
前回「梅酒」の記事を投稿した6月6日、奇しくもその日、昨年より8日早く関東地方の「梅雨入り」が発表された。 敢えて「奇しくも」と書いたのは、「梅酒」と「梅雨」、どちらにも「梅」という文字が入っているからだけで深い意味はないが、この場合の「梅」は春先に咲く花ではなく、果実の方を指すのは言うまでもない。 「梅」という言葉は「桜」と同様、花は代表的な「春」の季語であり、また、どちらも果実(青梅と桜桃=サクランボ=)が熟す頃、即ち「仲夏(旧暦5月)」の季語でもある。恐らく、それだけ古くから人々の暮らしに馴染みのあるものだったのだろう。 一方この時期、仲夏の花と言えば「紫陽花」。この花には晴天よりも、やはり雨の日が似合う。強いてこれに付け加えるとするならば、最近あまり見なくなった「でんでんむし・カタツムリ」位だろうか。 今ネット上は、これでもかと「紫陽花」の写真で溢れている。生憎私は今年、あまり綺麗
つい先日、スーパーへ行くと入口付近に特設コーナーが設けられ「梅酒」造りに必要な材料、容器等一式、全てが揃えられている。 『そうか、もうそんな時期か』 漠然と眺めていると、そう言えば我が家にも自分で漬けた梅酒があった事を思い出した。 ところで、梅酒といえば「チョーヤ」が有名だ。この会社は大正時代に創業し、最初は生葡萄酒(ワインと言わないところがいい)、その後ブランデー等を経て、現在の梅酒メインの体制となったようだ。株式会社だがサントリー同様、非上場、独立系である。 注目すべきは、同社の梅酒は100%国産の梅を使用し、添加物は一切使っていないという点。人工酸味料等を使った所謂「合成梅酒」が増加する中、この頑なさは尊い。これならわざわざ自分で造る必要など何処にも無いではないか。 それが3年前、何を思ったか突然、私は自分で梅酒を仕込んだ。調べてみると、それから1年経った時点でブログに書いてあるのを
以前から漠然とこの企画を考えていたのだが、いかにも「手抜き」という印象が否めず、併せて「えーっ、何これ、こんなんが好きなの、タルくて詰まらん」と馬鹿にされるのも心外だ。それ故、長い間、日の目を見る事もなく「下書き」の中に埋もれていた。 今回、そのカビが生えたような「原稿」を引っ張り出してきたのは、ネタが無いというのは勿論だが、当初張り付けていたYouTubeのうち何曲かリンク切れになっており、このまま放置すれば、使い物にならなくなると考えたからである。 さて、古今東西、世に「ヒットメーカー」と呼ばれる売れっ子や、「一発屋」で終わってしまったソングライター達が作った楽曲は数知れない。 だが、その中で何故か琴線に触れる旋律というものがある。それは万人に共通する事もあれば、全く個人的趣味と見做される場合もある。 今回は敢えて後者、恐らく殆どの人が感動しないであろう私が好きなメロディーラインを持つ
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『風のかたみの日記』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く