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中国共産党の「一党独裁」が今も続くワケ 天安門事件の徹底批判を避けた日本
2019年は天安門事件から30年だ。元中国大使の宮本雄二氏は「天安門事件は中国国内で大きな衝撃を与えて... 2019年は天安門事件から30年だ。元中国大使の宮本雄二氏は「天安門事件は中国国内で大きな衝撃を与えていた。日本は中国と国際社会の関係を維持するべきだと判断し、水面下で外交努力をしていた」と当時を振り返る――。 中国への過重な制裁は受け入れられないとした日本政府 1989年6月4日の天安門事件は、私が情報調査局(現・国際情報統括官組織)企画課長に就任した直後に起こった。正確に言うと、その前日の3日に宇野宗佑外相が首相に就任し、私も宇野外相秘書官の職を解かれ、この新ポストに就いていた。 このポストは、G7サミットの政治部門を担当する。日本側の事務方交渉チームは、國廣道彦外務審議官、山下新太郎情報調査局長、小倉和夫経済局審議官、そして私だった。山下局長を除く3人は、73年に私が中国課勤務を始めたときの、課長、首席事務官、そして平事務官の関係にある。この“上下関係”はたちどころに復活した。 サミ
2019/06/16 リンク