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その一 その二の続きです。 『アクアリウム』須藤真澄 須藤真澄は絶対の安定度を持った漫画家になったと思う。もうどんな作品を描いても一定以上のクオリティが保証されているので安心して読むことができるのだ。 しかし、読者というのは時としてわがままで、安定した作品、つまり面白いことが保証された作品など読みたくなくなることがある。 どこからこの安定が生まれてくるのかは漫画家によってそれぞれ異なるけれども、須藤真澄の場合は視点の変化だと思う。デビュー仕立ての頃の須藤真澄の視点は描かれる作中の人物と同じ視点であり、彼女の描く対象は不安定な心をもった少年少女であった。それゆえに描かれる作品も不安定さをそのまま表現していた。それがいつしか視点が変わり、描く対象と等身大の視点ではなく、作者自身がコントロールするいわゆる神の視点、いやどちらかといえば親としての視点を持ちえて、そしてその視点でもって描くようになっ
コードウェイナー・スミスの「アルファ・ラルファ大通り」は偶然と必然の織りなすタペストリーなのだが、その脇道を歩いていてもほんの少しの偶然と必然ぐらいはある。 というかここは、日々思ったこととか読んだ本の感想とかそんなものを書き溜める日記のようなものである。 同時に発売された『バーナード嬢、曰く。』の方が入手の困難さや、SF方面に対するなんやかんやで、もてはやされているし、僕自身も先に買ってしまったのだが、実を言うと一番先に気になったのはこちらのほうだった。 というのもある日突然、主人公の少女とフラミンゴ以外すべての生き物がいなくなってしまった世界という設定は僕の琴線に触れる設定だからだ。 で、実際に読んでみると僕の予想を尽く覆すような漫画で、傑作とまではいえないけれども、今まで施川ユウキの漫画を読んで来なかった自分に猛省をうながしたくなるような話だった。 そもそも長編漫画かとおもいきや四コ
コードウェイナー・スミスの「アルファ・ラルファ大通り」は偶然と必然の織りなすタペストリーなのだが、その脇道を歩いていてもほんの少しの偶然と必然ぐらいはある。 というかここは、日々思ったこととか読んだ本の感想とかそんなものを書き溜める日記のようなものである。 米国のラジオ局が行った、投票によるSF・ファンタジーのベスト100作品の中で『信ぜざる者コブナント』が58位に入っていたのに驚いた。でもっと驚いたのは二部作だと思っていたら2004年から「The Last Chronicles」として第三部が書かれていたことだ。しかもこちらは三冊目まで書かれていて四冊目が2013年に出る予定だ。過去の作品というわけではなくまだまだ現役の作品だということを考えるとベスト100に入っていても不思議ではない。日本では第一部の三冊、上下巻なので六冊だが、これが1983年に出版されたっきりで翻訳が途絶えてしまった
コードウェイナー・スミスの「アルファ・ラルファ大通り」は偶然と必然の織りなすタペストリーなのだが、その脇道を歩いていてもほんの少しの偶然と必然ぐらいはある。 というかここは、日々思ったこととか読んだ本の感想とかそんなものを書き溜める日記のようなものである。 今日、妻の面会に行って驚いた。 明日以降ならいつでも退院していいと主治医に言われたそうだ。 というわけで、何もなければ、明日、妻は退院する。 しかし、退院といっても回復したわけではない。あくまで入院してまで治療する必要が無くなったというだけにすぎない。 この病気は高血圧や糖尿病と同じく慢性疾患なのだ。だから快復を目指すことは出来ない、その変わりに寛解を目指す。寛解とは「問題ない程度」にまで状態がよくなる、もしくはその状態が続く事だ。 我慢できるか、そんな状態を。 妻はおそらくこのさき一生、薬を飲み続けなくてはいけない。そのことは妻も理解
コードウェイナー・スミスの「アルファ・ラルファ大通り」は偶然と必然の織りなすタペストリーなのだが、その脇道を歩いていてもほんの少しの偶然と必然ぐらいはある。 というかここは、日々思ったこととか読んだ本の感想とかそんなものを書き溜める日記のようなものである。 私の伯母は心の病になり40年以上入院し、晩年は一歩も病院の外へ出ることなく入院先の病院で生涯を終えました。 父方の祖父も心に病を負っていたらしかったのですが、祖父に関してはほとんど何も知りません。 統合失調症という病に関しては『ブラックジャックによろしく』という漫画を読んでいたので、どのような病気なのか、そして精神病という病に対する世間の偏見の多さも理解はしていました。そして、私自身できるだけ偏見を持たないように努めていました。 しかし、知識はあくまで知識にすぎなく、身近なところでこの病に出会うことがなければ、知識も薄れてしまいます。
コードウェイナー・スミスの「アルファ・ラルファ大通り」は偶然と必然の織りなすタペストリーなのだが、その脇道を歩いていてもほんの少しの偶然と必然ぐらいはある。 というかここは、日々思ったこととか読んだ本の感想とかそんなものを書き溜める日記のようなものである。 著 真保 裕一 販売元/出版社 講談社 発売日 2008-01 Amazon/楽天ブックス 『奇跡の人』を積読本にしてしまって以来、なんとなく真保裕一から離れてしまっていたのだけれども、『ホワイトアウト』以来の山岳ミステリということで読んでみることにしてみた。 『ホワイトアウト』が山岳ミステリなのかどうかという問題はさておき、三編からなる短編集で、なおかつそれほど厚くないということが読んでみようと思った一番の理由なのだが。 ミステリといっても殺人事件が起こるわけではなく、どちらかといえば山岳小説といったほうが近いのだが、遭難した登山者を
コードウェイナー・スミスの「アルファ・ラルファ大通り」は偶然と必然の織りなすタペストリーなのだが、その脇道を歩いていてもほんの少しの偶然と必然ぐらいはある。 というかここは、日々思ったこととか読んだ本の感想とかそんなものを書き溜める日記のようなものである。 編 北村 薫、宮部 みゆき 販売元/出版社 筑摩書房 発売日 2008-01-09 Amazon/楽天ブックス 食べず嫌いってのは損なんだよなあとつくづく実感してしまった。 半村良や小松左京はSF系なので読んではいるが、ミステリ系の多岐川恭や戸板康二や松本清張あたりは、食わず嫌いでほとんど読んでいない。 とくに松本清張なんかは謎解きミステリとしても凄いのは知っていながらも、「社会派」という印象がこびりついてしまっているので毛嫌いしていた面もあったんだけど、松本清張の「誤訳」を読んで目から鱗が落ちる思いをした。やっぱり凄い。 それ以外の作
本の感想などをブログで書いていると、ごくまれにコメントをいただくことがある。 ごくまれ、という部分が結局は僕の文章のつたなさや内容の無さからなのだろうと思っている。それはさておき、ごくまれにコメントをいただいて、さらにごくまれにおすすめの本を紹介されることもあるのだが、それはそれでありがたいと思う一方で、年々、本を読む速度が遅くなり、それに反比例する形で読みたい本が増えていくので、おすすめされてもいつ読むことができるのかわからないという状態だ。 もっとも、優先順位をずらして、先に読んでしまえばいい話なのだが、いざ読んでみてそれが僕の好みの本ではなかったとしたら、と思うと躊躇してしまう。 昔は、読んでつまらなかった本も、どこがつまらなかったのかをできるだけ詳しく書いてブログに上げていたが、途中で止めてしまった。 つまらなかった本の感想を、どこが駄目だったのか丁寧に書いてブログ記事するというの
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