大正末期から昭和初期にかけて、大宮と大塚を結ぶ「東京大宮電鉄」の計画がありました。後の埼京線に似たルートをたどるこの幻の路線は、なぜ実現しなかったのでしょうか。 大宮~大塚間に壮大な計画 大正後期から昭和初期にかけて、東京周辺には多数の新線計画がありました。第一次世界大戦の特需で日本経済は急速に発展し、東京近郊の人口が急速に増加し、鉄道通勤も一般化しつつあったため、既存路線の間に路線を建設して交通空白地帯を埋めようとする計画でした。 拡大画像 中浦和駅を出発するJR埼京線の電車(画像:カプリコーン / PIXTA) 鉄道省も新線計画を積極的に後押しし、免許を交付していきましたが、折しも昭和金融恐慌・昭和恐慌で日本経済が深刻な不況に陥ったことから、帝都電鉄(現・京王井の頭線)を除き実現しませんでした。これらネットワークが完成していれば、首都圏の鉄道事情は根本的に変わっていたでしょう。 そんな