サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
www.pr-table.com
* ; cls: uk-animation-slide-bottom-medium; delay: 10" class="article-body" data-v-3200fcc6>ファミリーベーシックが原体験 子どもの頃に出会った、任天堂のファミリーコンピューターでプログラミングができる「ファミリーベーシック」。これがあればなんでもゲームがつくれる!──そう思い飛びついたのが、今思えばエンジニアとしての原体験かもしれません。 もちろん、小学生の自分には簡単にゲームがつくれる知識はありませんでした。なので、説明書やプログラム雑誌に出ていたコードをポチポチと入力して、遊び感覚でプログラムを動かしていました。 ゲームをつくる仕事が雑誌で特集されていたのを見たことがあり、漠然とですがいつかそういった仕事に就きたいなと思っていました。それで大学も情報系の学科に進みました。 その後、フリーターも経験
スマートフォン一台で簡単にゲーム実況ができるアプリ「Mirrativ」を中心に、コミュニケーションのプラットフォームとして進化を続けるミラティブ。新CFOとして2019年2月に就任した伊藤光茂が、ミラティブに見出した魅力や可能性を語ります。 * ; cls: uk-animation-slide-bottom-medium; delay: 10" class="article-body" data-v-45c0ee78>CFOはオーケストラのコンサートマスター▲2019年2月、新CFOに就任した伊藤光茂 ミラティブは「わかりあう願いをつなごう」をミッションに掲げ、コミュニケーションの手段としてゲーム実況やVTuberのようにアバター配信をおこなうプラットフォームを提供しています。2019年は更なる発展に寄与するメンバーを加え、より価値の高いサービスを実現しようとしています。 私は2013年
2018年10月まで7年間、社外取締役・出資者として株式会社カラダノートをサポートしてきた穐田誉輝氏。当社代表の佐藤竜也が、あるプロジェクトをともにしたことからご縁がつながりました。ともにユーザーに特化した生活密着型事業を行なってきたふたりが、この領域での事業の意義やあり方について語り合いました。 * ; cls: uk-animation-slide-bottom-medium; delay: 10" class="article-body" data-v-45c0ee78>ボランティアでの出会いから、朝食2回で4000万円の出資を決定▲「朝食2回で穐田さんからの4000万円の出資が決まった」と話す佐藤。一方穐田氏は、「1ヶ月のボランティア活動を通して、真面目な人柄を信用していた」と言います 2011年から2018年10月まで、株式会社カラダノートの社外取締役を務めた穐田誉輝(あきた・よ
* ; cls: uk-animation-slide-bottom-medium; delay: 10" class="article-body" data-v-45c0ee78> 福島の、あるシャッター街の景色から生まれた『温泉むすめ』▲代表取締役プロデューサーの橋本竜 福島県郡山市──東北・山形新幹線が乗り入れ、東西南北を結ぶ郡山駅の近くの町で、エンバウンド代表の橋本竜は生まれ育ちました。東北地方でも多くの人が暮らす街でありながら、大人になった橋本の目には変貌した「シャッター街の駅前」が寂しく映っていました。 橋本「地元の同級生は家業を継いでも経営が苦しく、そこを閉めて郊外のショッピングモールで働いたりしています。2011年の震災の影響もあり、後継者不足と観光客減少は東北地方全体の課題。市役所に勤めている友人と話しても、人を呼び戻すためにどんな策を打てばいいのかわからないようでした。
「好きなことができるのは学生時代まで。就職したら仕事一筋」――親世代の生き方からそう感じている人も多いことでしょう。 しかし、パラレルキャリア制度を設けるさくらインターネットでは、好きなこと、やりたいことを続けられる環境があります。今回は、その制度を活用している社員のストーリーをご紹介します。 * ; cls: uk-animation-slide-bottom-medium; delay: 10" class="article-body" data-v-45c0ee78>「社長は同じ学校出身」――聞いたことがある会社が、身近になるまで▲弊社代表の田中と同じ高専出身の熊谷。ふとしたキッカケから、さくらへの入社を決めます 2017年4月に、新卒でさくらインターネットの内部組織であるさくらインターネット研究所に入所した熊谷将也。弊社代表取締役社長 田中邦裕と同じ学校の出身です。 校内で田中の名
世界初のJavaアプレットを用いたMMORPG(※)の制作など、数々のヒットゲームを生み出してきた中嶋謙互(なかじまけんご)は、この業界屈指のトップランナーです。モノビット代表の本城は5年に渡り彼をスカウトし続け、2016年についにCTOに就任。富山で開発を行う彼の選択には、これまでのプログラマー人生が大きく影響しています。 (※)大規模多人数同時参加型オンラインロールプレイングゲーム * ; cls: uk-animation-slide-bottom-medium; delay: 10" class="article-body" data-v-45c0ee78>5歳からゲームを改造。お小遣いをすべてゲームとPCにつぎ込んだ少年時代▲中嶋謙互 世の中が「Apple2」の登場に衝撃を受け、盛り上がっていた1977年――。 中嶋は当時3歳でしたが、父親が購入したApple2のインベーダーゲー
ソフトウェア製品開発のコーチ集団「Odd-e(オッドイー)」の日本法人として立ち上がった「Odd-e Japan」。CEOの江端一将は15歳で起業、大学卒業後は事業会社で3,000人のプロジェクトを率いてきた経験の持ち主です。システム開発の経験がありながら、開発の“サポート”を選んだ半生を江端が振り返ります。 * ; cls: uk-animation-slide-bottom-medium; delay: 10" class="article-body" data-v-45c0ee78>「今日から大人として扱う」——父から言われた衝撃の一言▲Odd-e Japan CEOの江端一将 私は、スクラムの国際的な認定団体「Scrum Alliance®」が認める日本人唯一の認定トレーナーとして、大手インターネットサービス企業や医療メーカーなど、幅広い業種の製品開発をサポートしてきました。 そん
転職して2年目のある日のこと。「CTL(チーフテクニカルリード)を置くことになったから、なって」――。CTOからの突然のお達しで、GMOペパボの初代CTLのひとりとなった山下和彦。「ロリポップ!」「ムームードメイン」などの人気サービスを支えながら、日本の第一線で活躍する彼のプログラミングにかける熱い想いをご覧ください。 * ; cls: uk-animation-slide-bottom-medium; delay: 10" class="article-body" data-v-45c0ee78>電気メーカーのSEからISPへ。情熱的な上司に出会い、貪るように学ぶ日々▲高校生の頃の山下(左) 鹿児島で生まれた山下のエンジニア人生は、地元の大手電気メーカーに就職したところから始まります。 高校卒業後に社内SEとして働き始めますが、実は最初からエンジニアに対して強い思い入れがあったわけではあ
* ; cls: uk-animation-slide-bottom-medium; delay: 10" class="article-body" data-v-45c0ee78>エンジニアファースト。Ruby開発者・まつもとゆきひろが歩んだ道のり▲Ruby開発者・まつもとゆきひろ 島根県松江市。人口70万人を割ったことがニュースで取りざたされ、自虐ネタも話題になるこの県に、世界中で使われるWebプログラミング言語「Ruby」開発者のまつもとゆきひろ(通称:Matz)は住んでいます。 Rubyの父と呼ばれ、世界中からRubyエンジニアが集まる「RubyWorld Conference」が島根県で開催されるようになったのも、まつもとが島根県に在住しているから。 まつもと 「とにかく東京には住みたくないという思いがありました。大学卒業後、働いてきたのは、いずれも地方。東京で、人生のかなりの割
SansanのDSOCという研究開発部門には、世界中のデータサイエンティストが参加するプラットフォーム「Kaggle」で「Grandmaster」という最上位の称号を所持するふたりの研究員が所属しています。彼らがいま対峙しているのは、世界に類を見ない名刺データベースとその活用の先にある新しい世界でした。 * ; cls: uk-animation-slide-bottom-medium; delay: 10" class="article-body" data-v-45c0ee78>「自らをも変えたい」。能動的に働ける新しい環境へ▲DSOC研究員・高際睦起 DSOC(ディーソック)の正式名称は「Data Strategy & Operation Center」。Sansanが提供するサービスの価値、そして事業成長を支える根幹を担う名刺データ化の専門部門は、近年では世界に類を見ない名刺データ
エン・ジャパンに新しいキャリアが生まれようとしています。Webメディアを通じて、世の中に情報を発信する編集者。Web業界で注目される職種のひとつです。エン・ジャパンで前例のないこのポストに挑戦するのが白石勝也。求人広告のコピーライターだった彼は、いかにしてWeb編集者の道を見つけたのでしょうか? 2007年にエン・ジャパンに新卒入社した白石。求人広告のコピーライターとして腕を磨き、2013年からサイト企画部(現デジタルプロダクト開発本部)へ異動しました。 2017年現在は、デジタルプロダクト開発本部 HRメディアラボのリーダーとして6つのオウンドメディアを手がけるチームを束ねつつ、CAREER HACKの編集長を兼任しています。 ーーWeb編集者。Web業界でも注目度の高いポジションですが、社内に前例もなければ、体系化された業務マニュアルがあったわけでもありません。異動当初のことを、彼はこ
株式会社みんなのウェディングで、エンジニアとして活躍する奥山千沙。「こうあるべきだ」そんなこだわりが強かった彼女が、自分自身でも想像すらしていなかった「エンジニア」という仕事を選んだきっかけは、大学3年生のときにほんの少し冒険をするつもりで飛び込んだインターンシップへの参加でした。結婚後もこの仕事を続け選び、日々前進している奥山千沙のストーリーを彼女自身が語ります。 私は高校生の頃からけっこうこだわりが強くて、「こうでなくてはならない」と、何でも決めつける性格だったなと思います。 当時、国際教養科という学科で主に英語の勉強に力を入れていた私は、語学系の大学への進学を考えていました。しかしなかなか思うようにいかず、結局、語学とは違う道に進むことになりました。 このときはじめて、今まで順調に積み上げてきたものが崩れたような気がして、この先どう進んだら良いのかわからなくなりました。 しかし、大学
「世界に通用するプロダクトを作り上げるスタートアップの育成」を行うOpen Network Lab(以下、Onlab)。その第12期生であり、「小児科オンライン」を立ち上げた橋本直也さんは、起業やITとは無縁だった小児科医でした。Onlabがどのように彼をサポートしたのか、その裏側をご覧ください。 自宅に居ながらLINEやSkypeを使って小児科医に直接相談ができる「小児科オンライン」を立ち上げたのは、株式会社Kids PublicのFounder&CEOを務める橋本直也さん。現役の小児科医として8年間診療の現場に携わるなかで、ある違和感を持つようになったそうです。 橋本さん 「インターネットが普及し、これだけ便利な世の中になっても子育てをしている親御さんたちの、“子どもの健康に対する不安”は、まったく解消されていない」 現代の親御さんは自分自身が核家族で育った世代。これまでの人生で幼い子
この業界ではベテランと言っていいだろうーー。結果も出し、役職にも就き、仕事に一定の手応えはあったが、同時にこの会社でできることの限界も感じていた。そして異業界への転職を考えていたとき、NET jinzai bankを知る。「こんな発想をする会社があるのか」。そんな驚きとともに、六丸直樹はここを次の挑戦の場に選んだ。 六丸直樹は、前職のパソナキャリアで、クライアントサイドの営業(※RA=リクルーティングアドバイザー)として、12四半期連続達成という社内ギネスの記録を持っていた人物だ。順調に昇格もし、社内でも一目置かれてきたが、管理職として会社の方針にコミットすることが求められるなかで、皮肉にも六丸の中で違和感が膨れ上がった。 「個人の成長スピードを上回る企業の成長スピードがなければ、個人がその企業に属する理由がない、という考えを持っています。ですので当時支援する企業の成長スピードを加速させる
2012年、株式会社リクルートのHRカンパニーと、株式会社リクルートエージェントの統合によって誕生した、株式会社リクルートキャリア。「人で、世界一になる」ことを目指すこの場所では、社員一人ひとりが主人公です。今回は、82年の入社以来、リクルート、そしてリクルートキャリアとともに波瀾万丈な人生を送ってきた、柴田教夫のストーリーをお届けします。 通称“のりお”こと柴田教夫。57歳、平社員。彼の日課は、毎日のように社内を“ブラブラ”歩き回り、多くの社員と談笑することです。 柴田「もう15年くらい前からずっと、1日1時間はこの習慣を続けています。社員たちが今取り組んでいる仕事の話や、いろいろな悩みを聞いて勝手にアドバイスしたり、とりとめのない雑談をしたり、しょうもないギャグを言ったり……はじめて会う人たちはたぶん、『あのおっさん、何してんねん』と思っているんじゃないでしょうか(笑)」しかしこの柴田
Open Network Labは「世界に通用するプロダクトを作り上げるスタートアップの育成」を目的に2010年にスタート。立ち上げには、20年以上前に遡るデジタルガレージの創業背景と共通する想いが込められています。日本という枠を超えて発想されたその世界観を、創設者・林郁の原体験から紐解きます。 Open Network Lab(以下、Onlab)は、グローバルに活躍するスタートアップの育成を目的に、2010年4月にスタートしました。 公募選抜制のシードアクセラレータープログラムなどを行う「インキュベーション」、シリコンバレーなど海外で活躍するスタートアップとのミートアップやスペシャリストを招いた講演などを行う「イベント」、それらの活動を通じて形成された「コミュニティ」を通じて、スタートアップを育成・支援しています。 特に、シードアクセラレータープログラムでは、3ヶ月間でスタートアップの育
日本最大級のクラウドファンディング「CAMPFIRE」。2016年4月の熊本地震の際には、他社よりいち早く緊急支援募金を開始し、継続的な震災復興支援を行ってきました。今回は、自身も被災しながら、熊本からCAMPFIREに参加している椿原真が、その経緯や裏話をお話しします。 はじめまして、株式会社CAMPFIRE 九州オフィス(所在地:熊本県熊本市)の椿原と申します。ほとんどの方から、「ばっきー」と呼んでいただいています。 2016年4月14日に発生した熊本地震。私は震災前から現在も熊本在住で、被災者のひとりです。そして、震災から1週間後にCAMPFIREに参加し、熊本で震災復興支援や九州オフィスの立上げ、「CAMPFIRE×LOCAL」の九州エリアでの展開を担当しています。 CAMPFIREでは、熊本地震発生翌日に他社よりいち早く「【熊本地震】緊急支援募金」のプロジェクトを公開。約2週間で
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『talentbook(タレントブック)』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く