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富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回はシリーズ「出発点としての『鉄腕アトム』」最終回。初演出作で何を描き、そこにはどんな試行錯誤があったのか。演出家・富野氏の原点を探ります。 (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 前回「〈5〉「アニメにもこれだけのものができるんだ」」はこちら 再編集の経験がもたらしたもの もうひとつ『アトム』における富野の仕事として無視できないものがある。それは「再編集エピソードの制作」である。過去のエピソードのラッシュフィルムを編集し、多少の新作を加えたりしながらも、まったく新しいエピソードを作るというアクロバットのような作業のことである。富野はこのやり方で、第120話「タイム・ハンターの巻」、第138話「長い一日の巻」、第163話「別
結党から十数年のあいだに地域政党の枠を超え、国政でも存在感を見せる維新の会。公務員制度や二重行政にメスを入れる「身を切る改革」や、授業料の所得制限なき完全無償化が幅広い支持を得る一方、大阪都構想や万博、IRなどの巨大プロジェクトは混迷を極めています。〝納税者の感覚〟に訴え支持を広げる政治、そしてマジョリティにとって「コスパのいい」財政は、大阪をどう変えたのでしょうか。印象論を排し、独自調査と財政データから維新〝強さ〟の裏側を読みとく吉弘憲介さんの新刊『検証 大阪維新の会―「財政ポピュリズム」の正体』より、「はじめに」を公開します。 2023年7月30日に行われた宮城県仙台市議会選挙で、日本維新の会に所属する5名の市議が初当選を果たした。このうち、仙台市泉区では維新の候補者が同区内でトップ当選している。仙台市に先立って行われた2023年4月の統一地方選では、首都圏でも維新が議席を伸ばし、大阪
町内会・自治会というありふれたコミュニティの歴史を繙くことで、日本社会の成り立ちを問いなおす、玉野和志さんの新刊『町内会―コミュニティからみる日本近代』(ちくま新書)。同書の書評を、社会学者の小熊英二さんにお書きいただきました。『ちくま』7月号から転載します。 自治会・町内会は、都市部の多くの人には縁遠い。しかし例えば大阪府箕面市は「自治会に入っていないと、災害時のセーフティネットから外れてしまいます」「復旧までの情報提供や支援物資の配布などは、優先的に自治会を通して行います」と広報している(箕面市「災害に備えて自治会に入る!」)。 それはなぜか。日本は公務員が少なく、自治会・町内会なしには行政事務がこなせないためだ。日本は二〇二一年の全雇用に占める公務雇用比率がOECD平均の約四分の一である(Government at a Glance 2023)。日本は官僚の存在感は大きいが、現場で働
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回はシリーズ「出発点としての『鉄腕アトム』」第2回。初演出作で何を描き、そこにはどんな試行錯誤があったのか。演出家・富野氏の原点を探ります。 (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 前回「〈4〉演出・脚本デビュー作で描いたもの」はこちら 原作エピソード「青騎士の巻」 富野によるオリジナル脚本の4作を並べてみると、原作のエピソードをアニメ化した第179話「青騎士の巻 前編」、第180話「青騎士の巻 後編」を富野が手掛けたことが非常に自然な流れとして見えてくる。というのも、オリジナルの4作と「青騎士」は深いところでの共通点が感じられるからだ。富野は「青騎士の巻 前編」で脚本・演出、「青騎士の巻 後編」で演出を担当している(後編の
ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2024年6月号より転載。 2024年1月1日、石川県の輪島市や珠洲市とその周辺を襲ったマグニチュード7.6、最大震度七の能登半島地震。火災、津波、家屋倒壊などによる死者は245人(うち震災関連死15人。ほか行方不明者3人)にのぼり、全壊家屋は8500戸超。五月になっても約4000戸で断水が続いている。 ところで、こうした大地震が列島を襲うたびに話題になるのが「次はいよいよ南海トラフ地震か」という想定問答だ。 南海トラフとは、伊豆半島の付け根の駿河湾から四国西側の日向灘沖に至る広い地域(フィリピン海プレートとユーラシアプレートが接する海底)を指し、うち紀伊半島先端の潮
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回からはシリーズ「出発点としての『鉄腕アトム』」。初演出作で何を描き、そこにはどんな試行錯誤があったのか。演出家としての原点を探る。 (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 富野由悠季は、どのようにして演出家としてのスタイルを確立したのか。 例えば自伝『だから僕は…』に収録された高校時代の短編小説「猫」や、大学時代に執筆した脚本「小石」を読んでもそこに「富野らしさ」を見つけることは可能だろう。あるいははもっと遡って、中学校時代に描かれた架空のイラストの中に、架空の小田原飛行場を描いた俯瞰図があることを取り上げ、飛行機単体だけでなく運用のための仕組みにまで想像力が及んでいることと、『機動戦士ガンダム』におけるリアルなメカ描写を
「生活が苦しい(日子很难过)」「ひとりぼっちだ(很孤单)」「もう精神の限界です(我的精神快要崩溃了)」。 楊駿驍さんによるちくま新書『闇の中国語入門』は、心と社会の闇を表現する45の言葉から読み解く、かつてない現代中国文化論です。この異色の中国語読本は、どのように生まれたのでしょうか? 同書より「はじめに」と、「挣扎(もがく、あがく)」の項をを公開します。 あるエピソードから始めましょう。 4 年前、大学で中国語を教えることになったのですが、文学や文化論を専門とする私は語学教育に関してほとんど素人でした。そんな私のために、かつての指導教官が段ボール3 箱分の中国語教科書を送ってくれました。カリキュラムを作る参考にしなさいということでした。しかし、ダンボール3 箱分となると、部屋のなかまで運ぶには重すぎるし、場所を取るので、そのまま玄関のところに座って、1 冊ずつ取り出しながら読んでいきまし
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回はシリーズ「富野由悠季概論」の最終回。富野由悠季監督の経歴を時代背景とともに振り返り、アニメーション監督として果たした役割に迫ります。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 「〈2〉「アニメーション監督」の誕生」はこちら 『宇宙戦艦ヤマト』の監督の役割 まずTVシリーズの『宇宙戦艦ヤマト』では、現在行われている「アニメーション監督の職能」を三人が分担して担っていたと考えるとわかりやすい。その三人とは、西﨑義展プロデューサー、監督・設定デザインの松本零士、演出の石黒昇である。 どういう作品を作るべきかというビジョンを持ち、スタッフを先導したのは西﨑だったが、西﨑はアニメーションの映像そのものを直接コントロールしていたわけでは
1942年6月5日にはじまった「ミッドウェー海戦」は、日本がアメリカに大敗を喫し、太平洋戦争の転換点となった海戦です。澤地久枝氏による『記録 ミッドウェー海戦』は、この海戦の戦死者遺族に取材し、日米戦死者3418人を突き止めてその声を拾い上げ、全名簿と統計資料を付した第一級の資料。本書は、海戦から44年後の1986年6月に文藝春秋より刊行され、それから37年を経た2023年6月に、ちくま学芸文庫として復刊されました。取材をはじめたきっかけ、遺族との思い出や読者へのメッセージなどをお話しされた、澤地氏へのインタビューをお届けします。(2023年7月に収録) 『記録 ミッドウェー海戦』をどうして書こうと思ったか 私はやっぱり戦争が終わった時に、何にも知らないと、本当に愚かだったということをまず思ったんですね。 14歳の時に突き放されたような(満州での)難民生活を送って。心の底には、助けを求めら
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回はシリーズ「富野由悠季概論」の第2回。富野由悠季監督の経歴を時代背景とともに振り返り、アニメーション監督として果たした役割に迫ります。 (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) アニメーションに「作者」はいるか? 富野がアニメーション監督の認知に大きな役割を果たしたのは、1977年から1984年いっぱいまで続いた「アニメブーム」の時期に当たる。この時期は、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』をきっかけに、それまで子供(小学生)向けと思われていた「テレビまんが」「漫画映画」が内容的にも進化し、ティーンエイジャーの熱狂的な支持を得ていることが広く知られるようになった時期である。先述の富野のキャリアに当てはめると、1977年から1988年にか
「本は売らないとたまるね」という中村光夫の名言、もしくは迷言の真実味について、実地に確かめてみるとどうなるか 蓮實重彥さんの連載時評「些事にこだわり」第19回を「ちくま」5月号より転載します。たしかに家にあるはずの本が見当たらない! というのは読書人あるあるだと想いますが、蓮實さんでもそうなのかと思うと安心、というか人間の整理能力や認知能力には限界があるのだなと素直に受け止められます。ご覧下さい。 いつのことだったか定かな記憶はないが、昭和と呼ばれた一時期の戦中および戦後にかけて文芸批評の重鎮だった中村光夫の「名言」もしくは「迷言」として、「本は売らないとたまるね」というものがあったと思う。ことによると「たまるね」ではなく「増えるね」だったかもしれぬが、実際、書物というものは、とりわけこの文章をいま書き綴りつつある者のように映画や文学の批評にかかわる年輩者のもとに、しばしば著者自身から、あ
ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2024年5月号より転載。 自民党・杉田水脈衆院議員の差別発言が止まらない。「LGBTは生産性がない」(2018年)とか、「女性はいくらでもウソをつける」(20年)とか、彼女はもともと全方位的に差別発言を撒き散らす人ではある。が、最近目立つのはアイヌ差別だ。 度重なる差別発言で総務政務官は辞任したものの(22年12月)、23年にはアイヌ文化振興事業に公金不正流用疑惑があるとし、関係者を「公金チューチュー」と揶揄。同年、札幌法務局と大阪法務局が彼女のブログやツイートに人権侵犯があると認定したのは、16年の国連女性差別撤廃委員会について「チマ・チョゴリやアイヌの民族衣装の
日々起きる事件や出来事、問題発言をめぐって、ネットユーザーは毎日のように言い争っている。なぜ対話は難しいのか。社会やメディアのあり方を考える『ネットはなぜいつも揉めているのか』より「はじめに」を公開! はじめに 朝、目を覚ますとツイッター(現X)を開くところから私の一日は始まります。 夜のあいだに通知は来ていないか、新しい話題や動きが出てきていないかをチェックするためです。私のタイムラインでは日々、何らかの対立が発生しており、私自身がそこに加わっていることもあります。私がフォローしている人同士が言い争っているのも珍しくはなく、ヒヤヒヤしながらその顚末を見届けることになります。 もっとも、これは私がフォローしている方々の多くが研究者や新聞記者であることに関係しているのかもしれません。ツイッターでは誰をフォローするのかによってタイムラインのありようは全く変わってきます。私のタイムラインでは政治
機動戦士ガンダム、伝説巨神イデオン、Gのレコンギスタ……。数々の作品を手がけて熱狂的ファンを生み出してやまない富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 1968年生まれ。アニメ評論家。新聞記者、週刊誌編集を経て、2000年よりアニメ関連の原稿を本格的に書き始める。現在は雑誌、パンフレット、WEBなどで執筆を手掛ける。主な著書に『増補改訂版 「アニメ評論家」宣言』『ぼくらがアニメを見る理由』『アニメと戦争』『アニメの輪郭』などがある。
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回からはシリーズ「富野由悠季概論」。富野由悠季監督の経歴を時代背景とともに振り返り、アニメーション監督として果たした役割に迫ります。 (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 宇宙との出会い 現在、アニメーション監督という存在が広く当たり前の存在として世間に認知されている。しかし、このような認知を得るまでには、それなりの長い時間が必要であった。そしてその中で大きな働きを果たしたひとりが、富野由悠季監督である。 富野の経歴を簡単に振り返ってみよう。 アニメーション監督・富野由悠季は1941年11月5日、三人兄弟の長男として神奈川県小田原市に生まれた。本名は富野喜幸。富野家は代々「喜」の漢字を継いでおり、喜幸の「喜」の字もそこに由
認知科学の第一人者である今井むつみさんが言語習得の謎に取り組んだデビュー作を、ちくま学芸文庫として刊行しました。専門的な内容の本ですが、自他ともに認める「今井むつみファン」である「ゆる言語学ラジオ」水野太貴さんがその面白さをみごとに解説してくださいました! 本を手に取る前にぜひご一読ください! フィクションの世界ではしばしば、「ある未解決事件の犯人を追いかけ続けている刑事」が見受けられる。私にとって本書の著者である今井むつみ先生は、そういう人である。今井先生が追いかけ続けている事件とは、「ヒトが言語を習得すること」だ。どの人も経験するので当たり前のことのように思えるが、立ち止まって考えると不思議なことはいっぱい起きている。例えば私たちは、親から単語の意味や日本語の文法をはっきり教わったわけでもないのに、自然と言葉を使いこなせるようになる。そして、そのメカニズムは完全には解明されていない。で
宮城県山元町出身のマンガ家・イラストレーター。 東日本大震災で実家が全壊し、女三代で建て直すまでの道のりをコミックエッセイ『ナガサレール イエタテール』(太田出版)で描く。 その後、祖母が認知症を発症。建て直した家での介護生活の様子は、『婆ボケはじめ、犬を飼う』(ぶんか社)、『わたしのお婆ちゃん』(講談社)に描かれている。 http://nico.nicholson.jp/ 大阪大学大学院人間科学研究科臨床死生学・老年行動学研究分野教授を定年退職し、現在は大阪大学名誉教授、大阪府社会福祉事業団特別顧問。博士(医学)。 認知症を心理的な面から研究しつづけ、日本老年臨床心理学会理事、日本老年社会科学会理事、日本応用老年学会理事、長寿科学振興財団理事などを務める。元日本老年行動科学会会長。 著書に『認知症 「不可解な行動」には理由がある』(SB新書)、『認知症の人の心の中はどうなっているのか?』
機動戦士ガンダム、伝説巨神イデオン、Gのレコンギスタ……。数々の作品を手がけて熱狂的ファンを生み出してやまない富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて、本論の一部を連載します。 (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) アニメーション監督として語るための2つの切り口 アニメーション監督・富野由悠季について考えたい。ここで重要なのは、この言葉で比重がかかっているのは「アニメーション監督」のほうで、決して「富野由悠季」個人のほうではない、ということだ。富野由悠季という「アニメーション監督」は、その存在感の大きさに比して、十分に語られないうちに長い時間が経ってしまった。 富野は、TVや新聞雑誌などマスメディアに登場することが多いアニメーション監督だ。人気者といってもいいだろう。書籍に関しても、批評
UberEatsやamazon配達員など、アプリで仕事を請け負い、働きたいときだけ仕事をする、ギグワーカーと呼ばれる働き方が注目されています。時間にとらわれず、決められた職場もないその働き方は、一見とても自由そうに見えます。しかし、単発で業務を委託される個人事業主(フリーランス)は労働法上の「労働者」ではないため、労災保険が適用されず、最低賃金や長時間労働の規制対象にもならず、失業時の補償もありません。多くのリスクにさらされる人々を守るための枠組みを考える、橋本陽子さんの新著『労働法はフリーランスを守れるか―これからの雇用社会を考える』。労働法政策がご専門の濱口桂一郎さんによる書評を、『ちくま』4月号より転載します。 「フリーランス」というといかにもかっこよく聞こえるが、「一人親方」というとなんだか垢抜けない印象だ。でも両者は同じものを指している。他人(会社)に雇われるのではなく、自分一人
このほど『マルクス・コレクション』版の全面改訳を経て、『資本論 第一巻』(上・下)が文庫化されました。この大古典の翻訳をめぐり、訳者の一人である鈴木直氏が日本の翻訳史における興味深い一断面を切り取られています。ぜひお読みください。(PR誌「ちくま」より転載) 一度は読んでみたいと思っているのに、なかなか手が出ない。そんな著作ランキングがあれば、きっとマルクスの『資本論』はいいところまでいくはずだ。 読んでみたいと思う理由はいうまでもない。なんといっても「資本主義」を抜きにして現代は語れない。その「資本主義」という言葉は、ほかならぬ『資本論』の翻訳を通じて日本に定着した。デジタル革命と手をたずさえて、世界中でふたたび「富の集中」と「貧困の拡大」が同時進行しているこの時代に、もう一度、この資本主義論の源泉を訪ねてみたいと思うのは自然なことだろう。実際その分析は、今読んでもまったく輝きを失ってい
2024年3月5日、京都地裁で元医師に懲役18年の判決が言い渡された、いわゆる「京都ALS嘱託殺人事件」の報道では、明らかになっている事件のグロテスクさに触れたものは、ほとんどありませんでした。元医師は何を行い、裁判で何が罪とされたのか。報酬を得て難病患者を殺害した嘱託殺人。その事件をきっかけに発覚したのが、医師幇助自殺を希望する女性の英文診断書偽造、そして共犯の元医師の父親を殺害した事件。それらと安楽死議論を結びつけて論じるのは、そもそも大間違いなのです。話題の新書『安楽死が合法の国で起こっていること』著者、児玉真美さんによる特別寄稿です。 空疎な議論 2023年11月に上梓した『安楽死が合法の国で起こっていること』(ちくま新書)の「序章」で、京都ALS嘱託殺人事件への世論の反応に触れて、以下のように書いた。 私には、相模原事件(障害者施設殺傷事件)から後、衝撃的な出来事が起こるたびに、
2023年12月31日の紅白歌合戦で、YOASOBI「アイドル」のパフォーマンスが大きな反響を呼びました。その直前に初の批評集『女は見えない』を上梓した西村紗知さんは、この演出ではじめて「アイドル」という曲が理解できたと言います。芸能界に急激な変化が訪れるなかで求められる、真の「天才的なアイドル様」とは誰なのか? ここ数カ月のニュースを思い出しつつお読みください。 1.昨年末から最近にかけての話 故・ジャニー喜多川元ジャニーズ事務所社長による性加害問題に関する報道が本格的に過熱して以降、芸能界のハラスメント問題が世間を騒がせ続けている。昨年9月に宝塚歌劇団の団員が亡くなった件で、当初の方針から一転、親会社の阪急阪神ホールディングスはパワハラなどがあったことを認め、遺族側へ謝罪する意向を固めたという。ジャニーズ、歌舞伎界、宝塚に続き、お笑い界にもこの流れは及んでいる。昨年12月27日には「週
ロシアのハッカー集団による電子装置の乗っ取りと韓国の若者による「パロディアス・ユニティ」の回顧上映の企画とは、刺激的という意味で驚くほどよく似ていた 蓮實重彥さんの連載時評「些事にこだわり」第18回を「ちくま」3月号より転載します。ネットがもたらすさまざまな難事と快事について。なかんずく快事中の快事たる韓国の若者による伝説的映像製作集団「パロディアス・ユニティ」の特集上映への助力依頼について。ご覧下さい。 とうとう、あの邪悪きわまりないウイルスとやらに感染してしまった。もっとも、その点に関するごく醒めた視線の持ち主にとってなら、この絶望的な感染はごく自然な事態の推移だったのかもしれぬ。いうまでもなかろうが、惨めにもそのウイルスに住みつかれてしまったのは、これからこのテクストを書こうとしている特定の個体ではなく、その執筆に加担しつつある何やら精巧な電子的装置そのものにほかならぬ。もう十数年そ
料理人・飲食店プロデューサーの稲田俊輔さんによる「料理人という仕事」。前回、料理人がどう料理を学ぶかの話をしました。それに関連して、このことだけは覚えておいてほしい「手の早さ」について、なぜこれが必要ななのかを考えます。 とある新人料理人の仕事ぶり 私がかつてお世話になった先輩の店の話です。その店は今時珍しく、結構な席数があり、オープンキッチンではオーナーシェフである先輩を含めて3人の料理人がいつも忙しく立ち働いています。ある時その店に久しぶりに食事に行くと、そこにはもう1人、若い料理人がメンバーに加わっていました。ピークタイムは外して行ったので、料理人の皆さんは、仕込みをしながら時折入るオーダーに対応しています。新人の料理人さんは、ニンニクの皮を剥いてそれをスライスする仕事を任されていました。私は自分がオーダーした料理を待つ間、その新人さんの動きが気になって仕方がありませんでした。なぜな
民主主義が機能不全に陥ってしまったとき、私たちはどうすればよいのか。民主主義のみならず、それを抑制・補完する原理としての自由主義、共和主義、社会主義といった重要思想を取り上げ、それぞれの歴史的展開や要点を手際よく紹介した梅澤佑介著『民主主義を疑ってみる――自分で考えるための政治思想講義』。同書より「まえがき」を公開します。 †空前の「民主主義」ブーム? ここ数年、「民主主義」という言葉を冠した本が数多く出版されています。その内容は民主主義を擁護するものから批判するものまでヴァラエティに富んでいます。同じ立場に立つものであっても、切り口やアプローチはさまざまです。しかも著者を見ると、狭義の政治学者だけでなく、いわゆる文化人と呼ばれるような人たちも民主主義について一家言があるようです。出版業界ではいま民主主義がブームになっているように見えます。 また、民主主義ブームは本の世界にとどまりません。
わたしたちが他者といる際に用いる様々な技法。そのすばらしさと苦しみの両面を描く『他者といる技法』(奥村隆著)がちくま学芸文庫として復刊・文庫化されました。言語哲学がご専門の三木那由他さんによる、本書の解説を全文公開いたします。 この社会において、私たちはすでに他者とともにあり、それゆえに他者といるためのさまざまな「技法」を用いて暮らしている。ではその技法とはどういったものなのか? 本書『他者といる技法』は、私たちが他者といるために用いるさまざまな技法を、ひとつの大きな枠組みのもとで体系的に論じている。 本書は全体の導入となる序章に加えて、六つの章から成っている。各章はそれぞれ独立に読むこともできるが、それとともにひとつのアイデアがすべての章を貫いている。それはすなわち「〈承認と葛藤の体系としての社会〉」(54頁)である。この社会観がもっとも詳しく説明されている第一章をもとに、ここで簡単に整
哲学者ロバート・ノージックが人生における多様なテーマを考察した『生のなかの螺旋』(ちくま学芸文庫)が刊行されました。ノージック初の文庫化です。本書の性格と著者の全体像について、法哲学者の吉良貴之氏が解説を書かれています。またとないノージック入門となっておりますので、ぜひお読みください。 本書『生のなかの螺旋―自己と人生のダイアローグ』は、Robert Nozick, The Examined Life: Philosophical Meditations, Simon & Schuster, 1989の全訳である。 著者のロバート・ノージック(1938-2002年)はアメリカの哲学者であり、長らくハーバード大学で教授職を務めた。最も有名な著作は、政治哲学上のリバタリアニズム(自由至上主義)の記念碑的著作とされる『アナーキー・国家・ユートピア』(原著1974年)だろう。ほか、認識論や心の哲学
ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2024年2月号より転載。 2025年4月から半年にわたって開催される予定の大阪・関西万博(以下大阪万博)に大逆風が吹いている。 まず工事の大幅な遅れである。 予定では大阪湾の人工島・夢洲に150余りの国と地域が結集し、円周2キロの大屋根の下に100を超えるパビリオンが並ぶことになっていた。うち60は参加国が自前のデザインで建設費も負担する「タイプA」の予定だったが、23年9月の時点で工事を申請した国はわずか2か国。焦った日本国際博覧会協会(万博協会)は代替案として各国にプレハブの建設を肩代わりする「タイプX」を提案するも、こちらの申し込みも限定的。24年1月10日現
久方ぶりに烈火のごとく怒ったのだが、その憤怒が快いあれこれのことを思いださせてくれたので、怒ることも無駄ではないと思い知った最近の体験について 蓮實重彥さんの連載時評「些事にこだわり」第17回を「ちくま」1月号より転載します。昨秋に開催された小津安二郎生誕百二十周年のメモリアル・イベントは、なぜ失望のうちに終わってしまったのか。その二十年前、著者自身も深く関わった生誕百年・没後四十年の記念イベントとの違いを思い起こします。ご覧下さい。 なかには例外的に聡明な個体も混じってはいるが、これからこの文章を書こうとしているわたくし自身もその一員であるところの人類というものは、国籍、性別、年齢の違いにもかかわらず、おしなべて「愚かなもの」であるという経験則を強く意識してからかなりの時間が経っているので、その「愚かさ」にあえて苛立つこともなく晩期高齢者としての生活をおしなべて平穏に過ごしている。ところ
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