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「漁船でフィリピン、鍋釜回収」vs「ヘロウヘロウとハム、ケーキ」(谷本真由美 @May_Roma)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ
戦後70年だそうです。 大学院で安全保障とか国際関係などをやっていた自分ですが、太平洋戦争のことを考... 戦後70年だそうです。 大学院で安全保障とか国際関係などをやっていた自分ですが、太平洋戦争のことを考えると、頭に浮かぶのは、E・H・カーの本の中身とか、ゲーム理論の図ではなく、「漁船でフィリピン、鍋釜回収」という、親孝行してそうなギャングスタラッパーが叫んでいそうなフレーズです。 終戦の数週間前に、私のおばあちゃんの最初の旦那さんは、漁船に乗ったまま、フィリピンのどこかで沈没してしまいました。 Photo by César Rincón(CC BY 2.0) 旦那さんは、腕は良いが、無愛想で、口うるさい大工でした。 見合いで一緒になったおばあちゃんは、大変口が悪かったため、「うるさいから死んじまってよかったよ」といいつつ、終戦後、何年もの間、引き上げの船が横浜に来るたびに、旦那さんを探しに行きました。 当時は食べ物も仕事もなく、まして、未亡人に仕事をくれるような人もいません。シングルマザー
2015/09/01 リンク