エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
江戸時代の漂流記「尾張者異國漂流物語」の「宝登山島」の謎に迫る
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
江戸時代の漂流記「尾張者異國漂流物語」の「宝登山島」の謎に迫る
芋: 30日分 水: 桶大小 8個、 土鍋10個に水を入れる。椰子の実54個 道具: 斧 1本、ノミ 2本... 芋: 30日分 水: 桶大小 8個、 土鍋10個に水を入れる。椰子の実54個 道具: 斧 1本、ノミ 2本 小刀 2本、袋 2枚 日本への土産として主人からもらった物など。 寛文10年4月15日(1670年6月2日)、五郎蔵を島に残し、残りの船員たち11名が日本に向け出港します。 風任せの航海の末、10日後の4月24日、南京の宝登山という『島』にたどり着きます。 ここに5月23日まで滞在。 さて、彼らはこの「宝登山という島」までどのようなコースを辿ったのでしょうか。いや、その前に、「宝登山」とはどこなのでしょうか。 バタン島は冬でも暖かかったことから、彼らが出港した三河国よりかなり南に位置していることを彼らは知っていたはずです。そして、かなりの距離を西に流されたことも知っています。 つまり、戻るべき故郷は北東の方角にあると分かっていたと思います。ところが、一カ月にわたる漂流中に島影を見るこ