サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
画力アップ
ch.nicovideo.jp/huckleberry
みなもと太郎先生が2021年8月7日に亡くなられた。ぼくは、生前みなもと先生に大変お世話になった。そこで今日は、みなもと先生の思い出について書いてみたい。 みなもと先生と最初にお目にかかったのは、2016年だ。その頃ぼくは、岩崎書店で児童書の編集をしており、どうしても『マンガの歴史』という本を作りたいと思っていた。そのとき、作者はみなもと先生以外ないと思った。 なぜなら、みなもと先生はマンガ家であると同時にマンガ研究家でもあって、マンガの歴史はもちろん、マンガ文化そのものに造詣が深かった。しかも普通の歴史にもお詳しく、『風雲児たち』という歴史マンガを描いていた。つまり、「マンガ」と「歴史」に詳しい。こんな人は他にいない。
新幹線で2歳の娘のイヤイヤが発生し、ギャン泣きが止まず、一緒にいた父親が誘拐と疑われ、警察を呼ばれ混乱したという話が話題になった。 夫が娘をあやしてたら通報された話 女児誘拐の疑いで通報、そして真実へ。 これに対して、多くの人が「子供に対して不寛容な世の中は良くない」といい、両親に同情を寄せたり、父親に圧力をかけた同乗者を非難したりした。 それによって、両親も勇気づけられたのか、「自分たちは間違っていない。子供はイヤイヤするもの(ギャン泣きするもの)」というトーンの主張になっているが、これは非常に危険だと思う。 そこで今回は、そのことについて無料公開で書いてみたい。念のため、これは中傷を目的としたものではなく、真面目な社会への問題提起です。 まず、多くの人が子供のイヤイヤ期を容認しているが、それは良くない。なぜかといえば、イヤイヤというのは子供の親に対する抗議であるから、本質的には親がその
これはしかし、ぼくは展示そのものが議論や融和ではなく「分断」を促すものとして見ている。そのことに、ぼくはとても良くないという感情を抱えている。今日は、そのことについて書きたい。
NHK「あさイチ」で紹介される 長年、「気持ち良い部屋」というものを研究する中で、ついには昨年、その考察や作り方をまとめた本まで出してしまった。 この本を出したことによって、今度は部屋を片付けられないことに悩む人にアドバイスしたり、手助けしたりする機会を持つようにもなった。 (※実例はこちら「ヘヤカツドットコム」) そこで、例えば津田大介さんのオフィスを片付けたり―― 津田大介(ネオローグ)ヘヤカツ実践録!(前編) 津田大介(ネオローグ)ヘヤカツ実践録!(後編) 2014年2月25日放送のNHK「あさイチ」では、片付けを手伝う様子を特集してもらったりした。 スゴ技Q 家事も!勉強も!効率アップ “動線”マジック |NHK あさイチ すると、そうした活動の中で、ぼく自身も新たに気づかされたことがあった。 それは、「片付けられない人」というのは、たいてい「自分は合理的な考えの持ち主だ」と思って
まず、トップが部門長になんとなく意向を伝える。部門長はそれを「忖度」する。そして、トップの意向を汲み取って、部下に伝える。しかもそれも、ふわっと、ニュアンスを伝えるような格好で伝える。だから、部下もそれを忖度しながら仕事を進める。
また、それ以降も『犬ヶ島』のことを考え続け、ついにはフィギュア付きの前売りチケットまで買ってしまったくらいだ。 そんなふうに、ぼくの中では『犬ヶ島』のことがどんどん大きくなっていったのだが、ついに2018年5月25日、公開初日にぼくは『犬ヶ島』を見たのだった。
インターネットの時代になって、「デマ」というものが再び活発になった。 デマというと、ぼくが子供の頃(1970年代)は、「過去の出来事」と思われていた。大正時代、関東大震災で広まったデマが最も有名だが、それはあくまでも過去の出来事であり、科学やコミュニケーション手段が発達した現代では、もう二度と起こらないだろうと軽く見られているところがあった。 ところが、21世紀になってTwitterが登場し、誰もが気軽にインターネットにアクセスできるようになると、デマが鮮やかに復活したのである。それに伴って、嘘つきや詐欺師といった「騙す人たち」も元気になった。 現代のデマで思い出されるのは、熊本地震のときにツイートされた、「動物園からライオンが逃げ出した」という言説だ。これは瞬く間に拡散され、多くの人が信じてしまった。現場では、少なからずパニックも起きたという。 しかし、ライオンは実際には逃げ出しておらず
実は作家活動も平行して行っており、普段は有料でメルマガを書いているのですが、今日は無料で読んでいただける場所に記事を書いております。というのも、出版社の社長として一つ考えていることを、ぜひ多くの方に知っていただきたいと思ったからです。
祭りにおいては、古来より「犠牲」が重要な役割を担ってきた。例えば、牛や羊を犠牲にする場合もあれば、人間自身が犠牲になる場合もあった。古代ローマの剣闘士も、祭りの重要な「犠牲」だった。現代では、闘牛が典型的な犠牲だろう。あるいは、裸で神輿を担ぐという日本の祭りも、きつい思いをしているところを衆目にさらすという意味で、一種の犠牲だといえる。 では、なぜ祭りに犠牲が必要かといえば、それは犠牲を見た人々が「生きていることや生命のありがたさを実感できるから」だ。そして、心の安らかさを得られるのだ。あるいは、犠牲になった人や動物を見ると、生きる気力が湧いてくるということもある。 これを、アリストテレスは「カタルシス」といった。人は、誰か(何か)が犠牲になっているのを見て、自分が生きていることを実感できるという心理構造になっている。そして祭りは、その構造を使って人々を元気にするという社会的な役割がある。
岩崎書店の社長になって今10ヶ月くらいだが、始めてみてその必要性を最も痛感したのが「働き方の改革」だ。 ぼく自身は、ここ10年ほどフリーランスとして働いてきたのだけれど、そこでは「働かないこと」を一つのコンセプトにしてきた。働くことをコンセプトにしてしまうと、生産性が下がりアウトプットが減ってしまうと懸念していたからだ。 ただ、それでも対外的には「働く振り」をしてきた。なぜなら、働く振りをしていないと、周りや社会や咎められると思っていたからだ。そのため、働いていないことは隠していた。幸い、フリーランスなので誰かに見られているということは少なく、それは隠しおおせてきた。
大ヒットマンガ『風雲児たち』などでお馴染みのマンガ家・みなもと太郎先生は、他方では「マンガ研究家」としても知られています。先生のご自宅の書斎には地下室があるのですが、そこはこれまで収集された膨大な数の資料性の高いマンガで溢れています。あるいは先生のパソコンの外付けハードディスクにはマンガに関する膨大な映像資料が保管されてもいます。
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。 『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。...
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『ハックルベリーに会いに行く(岩崎夏海) - ニコニコチャンネル:社会・言論』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く