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中東情勢
ch.nicovideo.jp/neetbuddhist
昨夜は投稿できなかったので、代わりに今朝に。ミャンマーは(雨季だから当然ですが)毎日雨で、暑季の熱気が日ごとに薄まり、徐々に過ごしやすくなっています。 (部屋のすぐ近くに蛇が出現!) ニコ生で放送などをしていると、ときどき「僕は宗教なんて必要ないと思うんだけど」といった趣旨のコメントをもらうことがあります。そして、それに対する私の返答は昔からずっと決まっていて、「もちろん、あなたにとっては必要ないんだと思いますよ。ただ、世界の現状を見れば、それを必要だと考えている人が一定数存在するのは自明のことです。その人たちにはその人たちの人生と価値体系があるわけだし、あなたにはあなたの人生と価値体系がある。日本においては幸運なことに、宗教に関わらなくても生きていけるし、そのほうが『健全』であるとも考えられているのだから、あなたが宗教を不要だと考えるなら、あなたは関わらなければいいんですよ」と言うことに
畏友・さむ氏とニコ生にて雑談。自殺の話題から社会のいわゆる「包摂性」にまで議論が及び、なかなか考えさせられる話になりました。 (放送のタイムシフト動画は、火曜日までこちらで視聴できます。本エントリに関わる話は後半から。) 話題のきっかけになったのは上の動画。一部には既に有名ですが、アイルランド人の制作者が日本の自殺に関して問題提起したドキュメンタリー映画であって、youtubeで全編無料公開されていますから、関心のある方にはご覧いただければと思います。 全編にわたって考えさせられるところの多い作品ではあったのですが、とくに私の印象に残ったのは、最後に語られる制作者自身の経験談。(おそらくは日本に住んでいた)彼の部屋に、ある孤独な老女が訪ねてくるようになったのだけど、面倒なので居留守を使って相手をしないままでいたら、ほどなく彼女が孤独死してしまった、という話です。 もちろん制作者は深い後悔の
いやいや。昼間はパーリ語とかを平和に読んでいて、さて夜になったのでブログを更新しようとPCを開いてみたら、昨日の記事の閲覧数とコメント数が異常に伸びていたので驚きました。 コメントについては賛否両論いろいろとあるようですが、いずれにせよそれぞれのお立場から、真摯に自分の意見を提示し、議論してくださっている方々がほとんどだと思いますので、筆者としては、これ以上の喜びはありません。 ただ、コメントの一つ一つにお答えをしていくことは(申し訳ありませんが)できませんので、今回は(コメントでもしばしば議論されていた)「信仰と責任」という問題について、過去にまとめた文章をそのまま引用することで、私の立場を、もう少し明確にしてみたいと思います。 この「ソースは俺!」という文章は、このブロマガに移転する前に私が書いていたブログの、いちばん最初にあるものです。要するに、公開の場で文章を書くにあたっての、私の
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