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首里城地下の司令部壕、公開可否検討へ 沖縄戦の象徴:朝日新聞デジタル
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首里城地下の司令部壕、公開可否検討へ 沖縄戦の象徴:朝日新聞デジタル
太平洋戦争末期の沖縄戦で、旧日本軍が司令部を置いた首里城(那覇市)地下の壕(ごう)について、沖縄... 太平洋戦争末期の沖縄戦で、旧日本軍が司令部を置いた首里城(那覇市)地下の壕(ごう)について、沖縄県が公開の適否を検討する委員会を発足させる。崩落の恐れがあり、いまは立ち入りを規制。過去にも公開を模索したが実現しなかった。ただ、沖縄戦の指揮をとった軍事的中枢施設だけに、公開を望む声は根強い。 壕は旧陸軍の第32軍(沖縄守備軍)司令部壕。首里城の地下に残る。学校や住宅が広がる街の下まで計1キロ以上にわたり南北に坑道が延びる。最も深い所は地下30メートルほど。入り口は5カ所ある。 当時は司令官や参謀の部屋、台所などがあり、廊下にはベッドが並び1千人余りの将兵や軍属らが雑居していたとされる。県内各地に残る戦跡の中でも大規模な地下壕だ。県は「沖縄戦を伝える重要な戦跡」と位置づけ、坑道を補強して保存し、年1回は内部を点検している。 ただ、戦時中の爆破の影響で内部が崩れていたり、支柱が外れていたりする。