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「被災地との温度差、苦しかった」…福島から四国に避難をした私が感じたこと 東日本大震災の経験者を訪ねたら、能登半島地震被災地へのメッセージであふれていた(3) | 47NEWS
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「被災地との温度差、苦しかった」…福島から四国に避難をした私が感じたこと 東日本大震災の経験者を訪ねたら、能登半島地震被災地へのメッセージであふれていた(3) | 47NEWS
▽一番苦しんだのは「被災地との温度差」 広域避難者を支援するNPO法人「えひめ311」(松山市)の... ▽一番苦しんだのは「被災地との温度差」 広域避難者を支援するNPO法人「えひめ311」(松山市)の事務局長沢上幸子さん(48) 2011年3月、東京電力福島第1原発事故で福島県双葉町から夫と私、2人の子どもの4人で松山市の実家に避難した時、一番苦しんだのは被災地との温度差でした。松山の人がいつも通りの生活を送るのは当然なのですが、当時はスーパーで幸せそうに買い物をしている人を見て「笑っている場合か」とイライラしていました。 物やお金がないことより、この街には理解してくれる人が誰もいないのではと感じたことの方がつらくて、夫に思いを打ち明けることで発散していました。能登半島地震でも石川県内外への2次避難で故郷を離れた人が2月9日時点で5千人以上いると聞きます。ストレスは口に出したり、日記に書いたりしてでも吐き出した方がいいです。 私はその後、一家で松山に住むことにし、避難者を支援する側に回りま
2024/03/05 リンク