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日本を知るには応仁の乱以後だけで十分?
戦前、内藤湖南という歴史家が講演会で 「だいたい今日の日本を知るために日本の歴史を研究するには、古... 戦前、内藤湖南という歴史家が講演会で 「だいたい今日の日本を知るために日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要はほとんどありません。応仁の乱以後の歴史を知っていたらそれでたくさんです。それ以前の事は外国の歴史と同じ位にしか感ぜられません。」(応仁の乱について→青空文庫) と語ったことが有名なんだとか。 昨日編集した東山文化の隆盛を見るとたしかにそんな感じ。 文化の創造者は貴族・武士・僧侶ではなく民衆から生まれ、 日本における生活文化史はここからはじまったんだよね。 文化の面でも下克上が起きていたってことだ。 また応仁の乱で京都が荒廃したことで、 文芸人が地方に分散し、全国の文化レベルが向上した。 おそらくこの頃、本格的に貨幣経済が全国に浸透し、 京の文化を地方で売れたことも後押したんだと思う。 応仁の乱がダラダラ長引いたのは金銭欲が絡んでたし。 (たとえば水墨画の雪舟は山口を拠点