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2024.08.13 「言語はコミュニケーションの道具である」という命題への反論。。。 カテゴリ:記憶言語学 私は、言語学の常識に関して幾つも異議を唱えているが、その一番最初は「言語はコミュニケーションの道具である」という命題だったと思う。 これは確かに正しいのであるば、私が知りたいのは、コミュニケーションをする為に、我々は同じ形や意味をどうやって認識できるのだろうかという事だった。 例えば、何故、我々は同じ音韻体系を共有する事が出来るのかという疑問が私にはずっとある。 私にとって音韻体系とは、特定の種類と数の音素の単なる集合ではない。 音韻体系を可能にする何らかのメカニズムがあると私は考えたのだが、これには、聴覚が関係していると踏んでいた。 音声言語の音韻体系を構成する音素を弁別する操作としてミニマルペアがあるが、実はこれは音韻論ではあまり重視されていない。 音韻体系というのは子音と母音
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