エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
「おうい雲よ馬鹿にのんきさうぢやないか」(山村暮鳥)【漱石と明治人のことば291】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
「おうい雲よ馬鹿にのんきさうぢやないか」(山村暮鳥)【漱石と明治人のことば291】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
文/矢島裕紀彦 今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点とな... 文/矢島裕紀彦 今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。 【今日のことば】 「おうい雲よ/ゆうゆうと/馬鹿にのんきさうぢやないか/どこまでゆくんだ/ずつと磐城平の方までゆくんか」 --山村暮鳥 詩人の山村暮鳥は、明治17年(1884)、群馬の榛名山麓にある棟高村の大きな農家に生まれた。本名・土田八九十。長男だったが、婿養子の立場である父が未入籍だったため、役所には母方の祖父の次男として届けられた。 他にも、この家には何やら複雑な事情があったらしく、後年、暮鳥自身がこんなふうに語っている。 「父は婿であった。母は泣いてばかりいた。自分が姉さんとよんでいた母の妹は真赤な血嘔吐をはいて自分の四つの春に悶死した。自分にはおばあさんと呼ばねばならぬ人がかわりがわりに幾人もあった。