エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
「美」という言葉には不思議な普遍性がある
人はなぜウソをつくのか、誰でもしょっちゅうウソをついているのに、なぜ他人がウソをつくと嫌なのか、... 人はなぜウソをつくのか、誰でもしょっちゅうウソをついているのに、なぜ他人がウソをつくと嫌なのか、さらに人は(とくに公の席では)なぜ「俺はウソをついているが、どこがいけないのだ!」と居直らないのか……など哲学的に考えてきましたが、どうもこのところ国会周辺では、あまりに見え透いたウソのオンパレードで、哲学的に分析するのもアホらしくなってきました。わざわざ哲学者が出てゆくほどの意味もなく、もはや「ふつうの人」に任せていいようです。 それに、前回「記述的意味」と「評価的意味」の話をしたところ(森友問題から読み解く人間の「ウソの本質」)、(コメントから推し量るに)ほぼ完全に理解されなかったようで、やはり「ふつうの人」にとって、哲学の議論は理解不能か、完全な誤解か、「机上の空論」として片づけられてしまうのだな、という絶望感を噛みしめました。 「美人」の規準とは そこで、今回は、「美」の問題を「ふつうの