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近代以降、中国が欧米や日本に敗れ続けた理由
金属器の増産で、鋭利な武器も大量に製造が可能となり、遊牧世界にも入っていきました。遊牧民も以前よ... 金属器の増産で、鋭利な武器も大量に製造が可能となり、遊牧世界にも入っていきました。遊牧民も以前よりさらに強大な軍事力を持ったわけでして、同じ時期に遊牧国家が強くなったのも、こうした動因がはたらいています。 こうして10世紀以後の東アジアは、遊牧国家が活気づいて拡大したのと同時に、農耕世界も生産力を増大させ、それぞれの勢力がせめぎ合って相容れない、分立状況となりました。11世紀の契丹(きったん)と北宋、12世紀の金と南宋の並立・対峙がその好例です。 温暖化のなかで、伸長した経済力と軍事力とをどのように共存させるのか。当時の中国史は、その答えをずっと模索していた、といえるのではないでしょうか。そうした模索の果てに登場するのが、モンゴル帝国でした。 モンゴル帝国誕生の背景 13世紀初め、チンギス・カンの登場にはじまるモンゴル帝国は、何より遊牧軍事国家でした。トルコ系遊牧民を従え、軍事力を強大化さ
2019/10/02 リンク