「いま、三豊がおもしろい」。そう切り出したのは、株式会社『umari』の代表であり、東京・丸の内で「丸の内朝大学」などの数多くの地域プロデュース・企業ブランディングなどを手がける古田秘馬さん。三豊市は香川県西部の街で、現在、古田さんは地元の人たちと、この地でさまざまな取り組みを行っています。そんな古田さんと月刊『ソトコト』編集長・指出一正が三豊の街を訪れ、街の人たちに向けた関係人口についてのトークイベントを開催しました。 人と人とをつなぐ「関係案内所」 「最初は講演会の依頼を受けてこの街に来ました。正直、三豊ってどんなところかわからなかったけど、いざ来てみて地元の人に話を聞いたりするうちに、こんなにいいところだったんだなって。何度も訪れているうちに、三豊で地域商社をやりたいっていう話を3年前にもらったのが始まりですね」。そう話してくれた古田秘馬さん。 もともと塩田地域のこの地で、現在は古田
金属器の増産で、鋭利な武器も大量に製造が可能となり、遊牧世界にも入っていきました。遊牧民も以前よりさらに強大な軍事力を持ったわけでして、同じ時期に遊牧国家が強くなったのも、こうした動因がはたらいています。 こうして10世紀以後の東アジアは、遊牧国家が活気づいて拡大したのと同時に、農耕世界も生産力を増大させ、それぞれの勢力がせめぎ合って相容れない、分立状況となりました。11世紀の契丹(きったん)と北宋、12世紀の金と南宋の並立・対峙がその好例です。 温暖化のなかで、伸長した経済力と軍事力とをどのように共存させるのか。当時の中国史は、その答えをずっと模索していた、といえるのではないでしょうか。そうした模索の果てに登場するのが、モンゴル帝国でした。 モンゴル帝国誕生の背景 13世紀初め、チンギス・カンの登場にはじまるモンゴル帝国は、何より遊牧軍事国家でした。トルコ系遊牧民を従え、軍事力を強大化さ
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