エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント8件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
復興五輪なんて嘘「今も苦しむ被災者」悲痛な本音
賛否両論の渦巻く中、東京オリンピックが終わり、各国の選手団も帰途についた。しかし、この五輪が「復... 賛否両論の渦巻く中、東京オリンピックが終わり、各国の選手団も帰途についた。しかし、この五輪が「復興五輪」を掲げていたことを知っている選手たちは、どれほどいただろうか。日本選手の活躍が続く中、多くの日本国民もそれを忘れていたかもしれない。それでも、忘れるわけにはいかない。大会期間中の盛夏、私は福島に向かった。 7月25日、私は柴田明範さん(55)と一緒に車で福島県浪江町に向かっていた。国道114号から津島地区の集落に入る道路は、「内閣府」と書かれた銀色のバリケードでさえぎられている。柴田さんの自宅はこの向こうにある。 警備員に許可証を見せ、ゲートを越えた途端、柴田さんの線量計からピーピーというアラーム音が出た。数値は0.7~0.8マイクロシーベルト/時。時間の経過とともに減ってきたとはいえ、まだ事故前の10~20倍もある。 東京電力福島第一原発の事故後、政府は除染を進め、少しずつ「避難指示」
2021/08/15 リンク