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日本が「マスクのはずせない国」になった経緯
マスクをしなければ排除されてしまう社会 2020年3月に日本でも新型コロナウイルス感染症の流行が拡大し... マスクをしなければ排除されてしまう社会 2020年3月に日本でも新型コロナウイルス感染症の流行が拡大してから、早くも2年以上が経ちました。いかに社会全体を危機から守りつつ、過剰な対応による副作用も避けるべきか――。そうした問いは主に「緊急時に国はどこまで病院に命令できるか」「憲法に緊急事態に関する条項を設けるべきか」といった法制面での課題として、この間ずっと議論が続いています。 しかし私は、それらのテクニカルな問題を個別に論じるのみではなく、ここまで危機を長期化させてきた社会のあり方自体を、根底から問い直す時がきていると考えています。拙著『過剰可視化社会』では、日本のコロナ禍をかくも深刻化させた最大の背景は、2010年代以降に本格化してきた「過剰可視化社会」の弊害である、という視点から、日本の過剰可視化の問題を考察しました。 いま私たちの社会では、とても変なことが起きています。2011年の