エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
実は信長に強気?姉川の戦いに見た家康の頑固さ
今年の大河ドラマ『どうする家康』では、織田信長(演・岡田准一さん)が徳川家康(演・松本潤さん)に... 今年の大河ドラマ『どうする家康』では、織田信長(演・岡田准一さん)が徳川家康(演・松本潤さん)に対し「上から目線」で接し、家康がそれにタジタジとなる場面が何度か描かれている。家康は信長に「へいこら」するような武将であったのだろうか? 永禄13年(1570年)は、4月に改元され、元亀元年となった。この年の3月、徳川家康は織田信長に従い、上洛している。 信長は、家康や北畠具教・姉小路嗣頼らに「宮中の修理、武家の御用、そのほか、天下の静謐」のために上洛を求めてきたのだ。 家康が一時的に東海地方を離れる 家康にとって初めての京都、彼は都を見て何を感じたであろうか。家康が東海地方を一時的とは言え、離れたということは、同地方の情勢がある程度は落ち着いていたことを示すものであろう。 4月14日、信長は都で、将軍・足利義昭の邸宅の修築が終了したとして、観能会を開いている。観世大夫と金春大夫が「張良」「松風