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ボブ・マーリーの「ノー・ウーマン・ノー・クライ」の作者とされるターターと偶然に出会って撮影していた写真家
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ボブ・マーリーの「ノー・ウーマン・ノー・クライ」の作者とされるターターと偶然に出会って撮影していた写真家
歴史とともにある時代の音楽を封印したという意味で、写真家の石田昌隆が1982年の夏に53日間滞在したジ... 歴史とともにある時代の音楽を封印したという意味で、写真家の石田昌隆が1982年の夏に53日間滞在したジャマイカを記録した『JAMAICA 1982』は、写真集にとどまらない普遍的な価値を持つ書物になっている。 それは当時の音楽シーンのリアルな空気感だけではなく、現場で体験したものにしか書くことが出来ない文章がいくつも掲載されているからだ。 たとえばボブ・マーリーの代表作となった「ノー・ウーマン・ノー・クライ」について、その歌が生まれるに至るまでの背景がこんなふうに記されている。 石田がボブ・マーリーの音楽が生まれた原点となった場所、「トレンチタウン」という名のゲットーに一人で行ってみたときのことだった。 突然、ヴィンセント・フォード、通称「Tata(ターター)」という男に呼び止められた。両足とも切断されているターターは車椅子に座っていたのだが、その非力な肢体とは裏腹にハンチング帽のひさしの