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「地続きのサハリンまで」縄文人が北上の可能性 : エンタメ・文化 : ニュース : 読売新聞オンライン
遠軽町のタチカルシュナイ遺跡で出土した縄文時代草創期の石器(夏木助教提供)CM遺跡地図0101 ... 遠軽町のタチカルシュナイ遺跡で出土した縄文時代草創期の石器(夏木助教提供)CM遺跡地図0101 北海道遠軽町向遠軽(むかいえんがる)のタチカルシュナイ遺跡が、全国で最も北にある縄文時代草創期の遺跡であることが、東京大学常呂実習施設(北見市)の夏木大吾助教(考古学)らの調査で分かった。これまで最北とされてきた帯広市の大正3遺跡より約150キロ北に位置する。 縄文人は、気候が比較的温暖になった晩氷期(約1万5000~1万1500年前)前半に、本州から北海道に北上したとみられているが、その拡散範囲が寒冷なオホーツク海沿岸地域まで達していたことを示す発見として注目されている。 同遺跡はJR遠軽駅の北東約2・5キロに位置し、オホーツク海に注ぐ湧別川の河岸段丘上にある。夏木助教らが2016~18年、約57平方メートルを発掘したところ、約2500点の石器が出土した。これらが、大正3遺跡の石器群と類似して
2019/01/19 リンク