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2014年05月31日 学習問題とは(7) わけ方はいろいろ! 初めにお断りします。この記事は過去記事(2009年6月4日)の再掲です。今、3年生で、算数割り算の授業をやっている学級は多いと思うので、再掲することとしました。 それでは、どうぞ、ご覧ください。 本シリーズは、『正解はありません。(あるいは、みんな正解です。)考え方は多様です。』をテーマにしているように思う。 しかし、実際、多く行われている授業は、『正解は一つです。他は間違いです。』ではないだろうか。 このことに関し、先の記事、『学習問題とは(6) 子どもとのズレ!?』に、小学生の保護者であるしれとこままさんより、コメントをいただいた。 以下、再掲させていただこう。 授業参観に行くと、先生の「こうしたい」と思う目的と子供の考えとのズレがあることに気づきますが、参観日というプレッシャーか、若い先生だからか、目的外の方法を述べた意
2013年12月02日 我が心の財産から、(1) 今、手元に、かつての担任時代の研究紀要、週学習指導案(以下、週案と記載)、学級だよりなどがある。これらはいずれも、わたしにとっては宝物となっている。読むと、過ぎ去った日々の記憶が鮮明によみがえる。 ただなつかしいだけではない。心に染み入る記載が少なくない。だから2年前までの初任者指導、昨年度の20年ぶりの学級担任、そして現在の社会科専科と・・・、今も教育実践の面で役立つことが多い。 しかし、こんなこともある。 〇若気の至りといったらいいかな。思わず恥ずかしくなるような記載もある。そんなときは、今のわたしがむかしのわたしを指導したくなる。 〇学校を取り巻く教育行政、ならびに社会環境は大きく変わった。むかしは当たり前としていたことが、今は非常識(?)とされることもある。しかし、不易と流行というが、いつの時代も大切にしなければいけないことはあるの
2008年06月22日 『先憂後楽』の思想 『先憂後楽』 この言葉は、けっこう、意味が誤解されているようだ。 『まず、苦労しなさい。努力しなさい。そうすれば、その苦労や努力は報われ、やがて、楽しい人生がやってくる。』 そのように受け取られているふしもあるようだ。 しかし、努力は報われるためにやるのではないだろう。努力そのものに価値があるからやるのであり、努力は報われないことだってありうる。だから、この誤解は、この言葉にとって、迷惑なことだろう。 ほんとうの意味はそうではない。これは、政治をとるものの心構えを言った言葉だ。封建時代、名君は数多く存在したが、そういう殿様は、きっとこの言葉を肝に銘じたに違いない。 「国の大事については、世の人々に先立って憂い、そして国がよく治まり、人民が楽しんでいるのを見届けてから、初めて自分も楽しめ。」 ちなみに、東京都と岡山市に、後楽園という公園があるが、こ
2010年11月11日 教員の指導力アップとは(2) かけ算九九の指導をめぐって 前記事の続きとして、本記事も教員の指導力アップについて考える。 今回からは教科の指導をとり上げてみたい。 教科の指導力というと、現在、一般的には、『ペーパーテスト的学力』を上げることばかりが取りざたされるようである。 それについて、わたしのブログは、一部の読者から、 とかく、子どもの学ぶ意欲とか、子どもの主体性とか、そればかりをとり上げて、『ペーパーテスト的学力』を軽視し、いわゆる基礎・基本をおろそかにしているブログととらえられているようである。 そこで、本記事では、一般的に、基礎・基本の代表のように受け取られがちな、かけ算九九の指導をとり上げてみたい。市民の皆さんも、かけ算九九と言えば、『ににんがし、にさんがろく・・・』とひたすら覚えることに専念した記憶ばかりがあるのではないか。 しかし、我が地域の算数研究
2013年09月05日 きびしい漢字テストを高校生が告発!? いやあ。舌を巻いた。高校生が教育界へ投じた一石はあまりにも大きい。…と、わたしは思う。その一石は、前々記事『保護者の皆さんへ(6) 〜我が子の担任への思いが〜』にSZKさんがお寄せくださったコメントの中にある。 ことの発端は以下のようだ。 それは同記事に、小2の母さんがくださったコメント6番(後半部分)がきっかけだ。お子さんの担任(学校)が、漢字の「とめ」や「はね」を一年生からきびしく指導(?)していることに関して、疑義を投げかけるコメントだった。それに対して、前述のSZKさんが、すばらしいホームページを紹介してくださったのだ。 SZKさん。ほんとうにありがとうございました。 高校生による、あるコンクールで大賞をとった作品が掲載されている。題して、『漢字テストのふしぎ』。 さっそく拝見した。もう感動の極致と言ってよかった。 高校
2012年02月22日 『学び合い』研究グループに思う。 先週の日曜日だった。だから、もうかなり前になってしまう。遅くなってごめんなさい。 それは、NHKーETV特集『輝け二十八の瞳〜学び合い支えあう教室〜』と題した放送のことだ。 そもそもこの番組に登場した『学び合い』グループに関心をもつようになったのは、ブログを始めて数年たったころだった。ある読者の方からコメントをいただいたのである。今、Aさんと呼ばせていただこう。 「toshi先生のおっしゃる教育実践では、(ある意味、)教師は教えないのですよね。子ども自らが解き方を発見するようにしていくのでしょう。それは『学び合い』と共通するのではないかと思いますけれど、toshi先生はどう思われますか。』 との質問だった。 でもそのときは同グループをよく知らなかったから、満足のいく答えはできなかった。『そうか。似たような実践をされているグループがあ
2010年11月25日 星野哲郎先生、ありがとうございました。 星野哲郎先生の訃報に接し、謹んで哀悼の意を表します。 わたしは、かつて、星野哲郎さんのご講演をうかがったことがある。また、一度お電話でお話しさせていただいたこともある。それだけの薄いご縁ではあったが、気さくで親しみのもてるお人柄に接した記憶は、その偉大さとともに、終生忘れない。 わたしがA小学校に着任したのは、もう、数十年前。初めて聴く校歌に、何ともいえない親しみを感じた。 『校歌らしくない校歌だな。やさしい感じがして、流れるようなメロディがすてきだ。それに、歌詞も、いかにも子どもが言いたそうな言葉があってざん新だ。愛唱歌といったおもむきもある。』 なにより、子どもの歌声がすてきだったのだが、この校歌のもつ味わいにも心打たれた。 その感動を、近くにいた教員に話すと、 「はい。この学校の校歌は、なんと、あの有名な星野哲郎さんの作
2010年10月26日 近年の教員採用事情は? ブログを始めさせていただいて5年。この間、ブログを仲だちとして、多くの方とメールのやり取りをしてきた。 その中には、教員になることを目指し、がんばっていらっしゃる方も含まれる。 そして、この時期になると、それらの方々から、『toshi先生。おかげさまで、教員採用試験に合格しました。』なるうれしいメールをいただく。それが近年恒例となった。 皆さんの、教員になられた後のご健闘を祈らずにはいられない。 その一方で、奮闘むなしく残念な結果に終わってしまう方もいらして、ほんとうに胸が痛む思いがする。再起を期してほしい思いには切なるものがある。 悲喜こもごもなのだが、今年、わたしの身のまわりでは、『ちょっとこれは問題ではないか。こんな採用の仕方を許していいのだろうか。』と思うことがあった。 ちょっと具体的には書けないが、 本来なら合格していいはずなのに、
2010年07月29日 朝日に連載された『いま、先生は』から思う。(1) ショックだった。 この連載に書かれた事例の数々。 でも、矛盾するようだが、そのショックを覚える事例の背後にあるものは、ほとんど心当たりのあるものだった。 結論を先に言ってしまおう。 わたしが子どものころと比べても、また、わたしが初任者だったころと比べても、社会は大変貌を遂げた。人間の気質を中心に、学校を取り巻く環境は大きく変わった。 それなのに、学校の果たすべき役割、学校の指導体制など。そういったものはほとんど変わっていない。いや。むしろ、むかしながらのやり方を強いられる。その象徴が、『学級を組織し、学級を基盤とし、そこで行われる教え込み、つめ込みの一斉学習』となるのではないか。 いまだ、教え込み、つめ込みの授業信奉者は多い。また、『子ども主体、子どもが主人公の授業などあり得ない。絵空事だ。』とする教育実践家(?)も
2009年10月10日 教員採用試験に合格、おめでとう。(2) 教員採用試験に合格したAさん。 前記事にも書かせていただいたが、よく教材研究や授業の準備をしている。それも、楽しそうにやっている。 そんなAさんに、わたしは、よく声をかける。 「うわあ。きれいにできたね。子どもたちは楽しく学習ができそうだ。」 その一つとして、上の写真をご覧いただきたい。これも、Aさんの『作品(?)』である。 この作品は、前記事で紹介させていただいた学習の続きとして、この授業の後半に使われた。小数の足し算である。 それでは、前記事に引き続き、Aさんへの指導の様子もまじえながら、授業の後半にふれさせていただこう。 その2 〇Aさんの工夫は、すばらしいものがあった。 わたしは、Aさんが一生懸命作品をつくっていたとき、その工夫に気づかなかった。授業を見ているときに気がついたのである。 思わず、ニヤッとしてしまった。『
2009年08月05日 国語の授業がおかしくなっている・・・かな!?(1) 初任者指導に携わるようになって5年目だというのに、 まことにお粗末ではずかしいのだが、近年、『あれっ。』と思ったことがいくつかある。 特活については、すでに記事にさせていただいた。 本シリーズでは、国語をとり上げる。 さて、近年、『あれっ。』と思ったことだが、(若干初めから分かっていたことも含む。) わたしが学級担任だった平成3年度までとくらべると、 ・授業で、子どもたちが原稿用紙に向かって作文を書くということがなくなってしまった。 ・物語が減った。それだけではなく、物語をどのように学ぶか、その学び方も、多くは変わってしまった。 ・音読発表会などをはじめとして、音読中心の学習がふえている。 ・『話す・聞く』の観点があるが、その単元が、『話す・聞く』の学習になっていないのではないか。 などである。 ここで、もう一つつ
2009年08月19日 国語の授業がおかしくなっている・・・かな!?(3) 本シリーズのタイトルは、『国語の授業がおかしくなっている・・・かな!?』というように、最後に、『・・・かな!?』をつけさせてもらっている。 当初は、『おかしい。』と断定するほどの自信がなかった。『気になる。』という程度だった。 しかし、今は、読者の皆さんから多くのコメントをいただき、確信するようになった。 そう。やはり、今の国語教育はおかしいのだ。 そのことにふれる前に、 たった今、拙ブログ、本シリーズの(1)に、ドラゴンさんと、今日さんから、たくさんのコメントをいただいている。それには資料へのリンクも複数あり、大変感謝している。 ほんとうにありがとうございます。 しかし、現段階では、申し訳ないが、消化し切れていない。これからじっくり読ませていただこうと思っている。 また、それら、コメントをいただく前に、本原稿のか
2009年08月11日 国語の授業がおかしくなっている・・・かな!?(2) 本シリーズは、わたしの担任時代だった平成3年度までと今とをくらべ、国語の授業が、よくない方向へ変わってしまったのではないかという問題(危機)意識がもとになっている。 ただし、わたし自身は、すべてを理解した上でこのシリーズを開始したわけではなかった。幸い、読者の皆さんのご協力、ご示唆をいただくことができて、かなりのところ、その全貌をつかめるようになってきた。 まずは、その点、感謝申し上げたい。ほんとうにありがとうございます。 本記事も、そのような読者の皆さんからいただいたコメントなどをご紹介しながら、書き進めていきたいと思う。 その前に、前々記事をご覧でない方へのお願いだが、本記事は、その続きとなっているので、まずは、そちらからご覧いただけたら幸いである。 国語の授業がおかしくなっている・・・かな!?(1) さあ。本
2009年07月14日 小学校の特活はどこへ? 学習指導要領の変遷から 特活と言っても、もしかしたら市民の皆さんには、ご理解いただけないかもしれない。しかし、学級会、係活動、クラブ活動、委員会活動と言ったら、『ああ。知っている。なつかしい。』と、思われる方も多いのではないか。 ついでに言わせていただくと、先日記事にさせていただいた、代表委員会も、特活のなかの児童会活動に位置づく。 特活は、新学習指導要領によれば、次のようなねらいをもつ。 望ましい集団活動を通して,心身の調和のとれた発達と個性の伸長を図り,集団の一員としてよりよい生活や人間関係を築こうとする自主的,実践的な態度を育てるとともに,自己の生き方についての考えを深め,自己を生かす能力を養う。 どうだろう。 人としての生き方に、もろにかかわる領域(教科ではない。)であることがご理解いただけるだろう。 もっと言わせていただければ、 ・
2009年04月11日 この国の子どもたちの幸せのために、 今月21日に、3回目の全国学力調査が実施される。 今年は、大人がくり広げた、これまでにない狂騒後の実施となるわけだ。問題点が多々浮上するのではないかと危惧される。 ご承知のように、全国各地で、権限のない地方行政府の首長による、予算編成権をちらつかせての調査結果公表の強要、あるいは、要請。また、一部市民による調査結果の開示請求などがあった。 そもそも、わたしは、当初、本調査実施について、反対はしていなかった。むしろ、良問が多く、『これは授業を改善するうえで、多いに役立つだろう。』そう思って、好感をもった部分もあった。 『問題は調査結果の活用の仕方だな。それによって、良くも悪くもなる。』 そう思った。 しかし、今は、反対の気持ちが強い。 ご多聞にもれず、調査結果の悪用がめだってきたからである。 ところで、 日本という国を一個の人格とみ
2009年04月09日 今年度の全国学力調査は完全実施となるようで、 以前、『教育ジャーナリスト渡辺敦司の一人社説』なるブログが、拙ブログを紹介してくださったことがあった。 大変感謝している。ありがとうございました。 その記事には、『教員の処遇 評価より自由を』という標題がついており、その趣旨は、かつて、拙ブログでも紹介させていただいた、愛知県犬山市の瀬見井教育長の主張を思わせるものがあった。 なお、この渡辺敦司氏が執筆される記事は、Benesse教育情報サイトにも、たびたび掲載されているようである。参考までに、本記事の趣旨と関連する「活用」重視でこれからの授業はどうなるにもリンクさせていただこう。 さて、いよいよ、標題にかかわる記事となるが、 年度が切り替わり、今年ももうすぐ、全国学力調査が実施される運びとなろう。 3回目の今年は、わたしとしては、これまでになく憂鬱な季節を迎える。 全国
2009年02月23日 発達障害児と問題解決学習と、 (3) なおみさんから、コメントをいただいた。 読ませていただき、何とも恐縮してしまう。なんか、無用の混乱をさせてしまいそうだ。ごめんなさい。 と言うのは、 後出しジャンケンのようで申し訳ないのだが、わたしは、ふつう級で、発達障害の子を受け持ったことがあるのだ。子どもが起こすパニックも経験している。 もっとも、数十年教職にあれば、その経験のない教員の方が少ないかもしれない。 これまで、それを具体的に書かなかったことを、お詫びしたい。 わたしのなかに、それをちゅうちょする、何かがあったのだ。あまり赤裸々に書きたくはなかった。だから、理屈を中心に書いてきた。 でも、今日は、つたない実践だったが、概括的に書かせていただこうと思う。 その前に、 わたしが、『重たい課題』と言わせてもらったその背景を、もう少し書かせていただくと、 学級担任時代のか
2009年02月04日 小中一貫教育のあやうさ でも、がんばって。(1) 過日、横浜市が、平成24年度から、全市で、小中一貫教育を実施していく旨表明し、それが、ある新聞のトップを飾るということがあった。 わたしは驚いた。 理念は立派だ。そうあってほしい。 でも、現状はどうなのだろう。例によってこの改革は、教員の意識改革と同時進行でなければならないと思うのだが、(わたしの『教育に関する提言』が、リンク記事末尾に記載してあります。)そちらの方はうまく機能しているのだろうか。 どうも、日本の教育改革は理念だけに終わるか、理念先行で失敗するか、いずれにしてもそれを繰り返していると思うのだが、この小中一貫が、そうならなければ幸いである。 今回、グーグルニュースにより、いろいろな新聞を読ませていただいたが、どうも現状では、『小中一貫』と言いながら、『小中連携』にとどまる話が多いようだ。 我が地域におい
2009年01月05日 『学力競争』は悪!? わたしはブログ開設以前からパソコン教室に通っているが、そこの先生はわたしのブログを読んでくださっていて、ある日、ズバッと質問された。 「子どもを競争させるのは、そんなにいけないですか。」 わたしは、一瞬声がつまった。 こうした考えは、素朴な想いとして、市民の皆さんが一様に抱かれているのではないか。 わたしは、ちょっと考えた末、次のように答えた。 「うん。それはやっぱりまずいでしょう。・・・。 競争しようとするのは人間の本能だと思うので、それ自体はいけないことではないのですが・・・、 だから、子ども自らが進んでやろうとする競争は大いにけっこうだし、認めてやりたい。学級経営においても、うまくその思いをとり込んで指導すれば、それも人間性豊かな子どもを育む上で有効となるでしょう。 しかし、今わたしがブログに書いていることは、受験のことや、全国学力調査の
2009年01月03日 ああ。どうなってしまうのだろう。(3) 新年早々、驚くようなブログ記事を読ませてもらった。 いつもお世話になっている今日さんの、『日本の教育は、これでよいのかな』のブログだ。 大変なニュースを記事にしてくださった。 タイトルには、『国民が教育を考える年』とある。 ほんとうに、国民みんなが、教育のあり方について真剣に考えないと、学校教育は大変なことになりそうだ。 例によって、大阪府の教育事情にかかわるニュースである。 以前も、読者の方から、同地域の教育事情については、教えてもらったことがあったっけ。その折も、記事にもさせてもらった。 ああ。どうなってしまうのだろう。 今回は、それがエスカレートしたように思える。 陰山英男大阪府教育委員は、恥も外聞もないといった感じだ。よくこのようなことが言えるなあ。あまりにも言動がストレートすぎる。 上記、今日さんのブログには、資料も
2006年06月30日 ひらかれたPTA わたしがその学校に校長として着任したとき、もうすでにPTAの機構改革は決定していた。新しい組織でのスタート1年目の年だった。 それまでは、4月、各学級でPTA委員の選出をする際は、なかなか選出が困難だったそうだ。 そこで、各学級から選出するのは、学年学級委員3名のみ。他に地区ごとに選出する校外委員。それだけ。 あとは、やりたい人がやりたいことをやると決定したとのこと。それをサークルと称するが、5名以上そろえば届けだけで発足することができる。(PTA役員選出は従来通り) 1. やりたい人がいなければ、その組織は当然ない。 2. やりたい人は、お子さんが卒業しても、引き続き、参加することができる。 3. PTA予算からの補助については、児童に還元できるものだけは、補助を出すこともあり得る。 わたしは、このことを知ると、はっきり言って、ショックだった。
2008年12月06日 授業の『達人』、『鉄人』、『名人』に物申す。 近年、授業の達人、鉄人、名人などという言葉を、よく聞く。 何となく、違和感を感じていたら、最近、ある読者の方から、ネットのニュースを紹介いただいた。2005年とあるから、もう3年前の記事だが、今のニュースとみてもいいくらい、ホットな感じがする。 教育ルネサンス 教師力 (1) 広がる技量向上作戦 わたしとしては、どうも、この、達人とか、鉄人とか、名人などという言葉に、違和感がある。 まして、この新聞記事のような、授業技量検定とか、表彰制度などと聞くと、『ちょっと待ってよ。それでいいの。』と言いたくなる。 モヤモヤしているわけは、 いったい、達人とか、鉄人とか、名人などと認定する、その評価は、どのような内容をもって行われているのか、それが、ほとんど分からないからである。 ただ一つの例外。 上記引用記事には、冒頭に、TOSS
2008年11月26日 教えるか、教えないか、 『教えて考えさせる授業』と『教えず考えさせる授業』とを対比させての教育論があるらしい。newKamerさんからいただいたコメント(リンク先の11番以降)で知った。 以下、それにかかわっての、わたしの思いを書かせていただくのであるが、同教育論をくわしく知るわけではないので、おそらくそれと概念を異にする部分もあるだろうとは思う。その点、あらかじめお断りしておきたい。 先に、『toshiの学級だより論(2)』の記事において、とても楽しく充実した学年経営をすることができたことにふれた。 この学校においては、何人もの教員と学級だよりを交換し合う仲になったから、自然に議論も活発に行うようになった。そのなかでも、同学年だったA先生との議論がなつかしい。 いろいろ議論し合ったなかに、冒頭の、教えて考えさせるか、教えず考えさせるかにかかわる議論があった。 わた
2008年11月23日 昨日の『たけしの日本教育白書2008』をみて、 昨日、『たけしの日本教育白書2008』を見た。 同番組では、これまで、拙ブログに登場させていただいた方々が、何人も出演された。 長時間の番組だったが、ここでは、『Ⅱ.「学校」の変わらなきゃ!』をとり上げてみたいと思う。 〇橋下大阪府知事が出ていろいろ語っていたが、わたしが危惧したことは、 『ああ。この調子だと、視聴者の皆さんは、みんな、橋下氏の話は正論だと支持されるのではないか。』ということだった。 そこで、ここでは、同知事が話したことを中心にとり上げ、わたしの思いも述べさせていただきたいと思う。 同氏は、例によって、教育委員会をやり玉に挙げていた。 ちょっと言葉は違うが、 『教育委員会は、特権階級的で、民意を反映していない。知事などが、教育内容まで踏み込んでとやかく言うのは確かにいき過ぎだと思うが、民意を反映している
2008年11月16日 ああ。どうなってしまうのだろう。(1) 拙ブログに、『いちみの教室』ブログのいちみさんが、コメントをくださった。 それで、いちみさんのブログをのぞかせていただいたら、驚くべきニュースがあることを知った。 「それでもプロか」と校長研修会で“喝” 大阪府教委 とある。 読んでいるうちに、怒りにも似た気持ちに襲われた。『いったい、これからの教育はどうなってしまうのだろう。大丈夫か。』そんな思いになった。 この記事に、なつかしい名前が登場した。例の『百マス計算』で有名な陰山英男氏と、『夜スペ』で有名な藤原和博氏だ。特に前者は、拙ブログにも何度か登場させていただいた。 〇まず、陰山氏のこと。 もう3年近く前になるが、 わたしは、『陰山学級物語掲示板』(今は休止中とある。)なるもので、百マス計算をめぐって論議が展開されていたとき、同掲示板にコメントを入れさせていただいたことがあ
2008年11月04日 命の授業 ブタを飼って食べる!? 標題で、何をとり上げようとしているか、すでにお分かりの方も大勢いらっしゃると思う。 これは、90年代のはじめ、大阪府の、ある小学校で実践された授業だ。 小学校の、ある4年生のクラスで、食用にする目的で、ブタを飼って育てる話である。ところが、育てているうちに、子どもたちはブタに情が移り、いざ食用にしようとすると、反対する者が続出。涙、涙で、収拾がつかなくなる。 数年前、テレビを見て、とにかく感動した。子どもたちの姿に、涙を禁じえなかった。その真摯な話し合いには、素直に心打たれるものがあった。 しかし、待てよ。 何かが変だ。感動で涙した後のとまどい。 それが何なのか。テレビを見た瞬間は分からなかった。しかし、間をおくと、曇り空に晴れ間がのぞくように、徐々に見えてくるものがあった。 ところで、 近くこれが映画となり、上映されるという。映画
2008年10月20日 大学改革案についての考察 ここのところ、教育改革の最重要なこととして、大学の入試改革と教員の指導力アップ策について、連載している。 まずは、それにかかわる過去記事にリンクさせていただくと、 PISA調査と中学受験問題と 入試による選抜システムは? ノーベル賞、受賞、おめでとうございます。 公教育を盛り上げるには、 簡単に説明させていただくと、 現在のように日本社会の二極分化が進行すると、受験による選抜システムは、富めるものはますます富み、貧しいものはますます貧しくなるというように、二極分化を固定、強化させるはたらきをもつようになる。 こうした弊害をなくし、富めるものも貧しいものも、共に教育の機会均等を享受するようにするには、誰もが通うことになっている公教育を充実させるしか、方策はない。その一番のポイントは、PISA調査報告にあるような、教員の指導力アップ策である。
2008年10月01日 toshiの家庭学習(宿題)論(1) ある読者の方から、メールをいただいた。 「〜。なんとなく、toshi先生は、宿題なんて重要でない話題のように思われているように感じていたため、今まで尋ねることができなかったのですが、学校の宿題についてどう、お考えになりますか?」 『重要でない話題のように思われているように感じていた。』 と書かれ、『うわあ。見抜かれていたか。』とばかりおかしくなったが、やはりこれは、保護者の皆さんにとっては最大の関心事と思い、記事にさせていただくことにした。 このメールをくださった方は、ご自分のお子さんの宿題事情も書かれていたが、それは、次回以降に譲らせていただこう。 さて、 『わたしは、宿題をださなかった。』と言ったらうそになる。それはやはり、だいたいは出してきたのである。 でも、できるだけ出したくはなかった。だって、宿題というと、なんか、強制
2008年09月21日 PISA調査と中学受験問題と 本日の記事は、中学校の受験問題をとり上げる。 そのことについて、長く拙ブログをご愛読くださっている方は、違和感を抱かれるかもしれない。 と言うのは、 わたしは、これまで、何度も、日本の受験重視の進学システムには、中学であろうと、高校、大学であろうと、反対論を展開してきたからである。 いきなり、わき道へそれて大変恐縮してしまうが、しばらくお付き合い願いたい。 ただし、『toshiの言いたいことは、もう分かっている。』と思われる方は、※印のところまで読みとばしていただいてかまわない。 わたしが受験による進学システムに反対するわけは、 本来なら、のめり込むように読書に集中して人生観を磨いたり、友達や先生とディスカッションをして論理的思考力を磨いたり、そういうことを通して自他の尊重の精神を養ったりすることのできる、 そういう貴重な青春なのに、
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