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アメリカ大統領選
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人には何らかのバイアスがある。そこから、あなたを評価する人が犯す過ちが生まれる。本書では、そうした評価エラーのうち、代表的なものを7つ挙げ、注意を促している。 1. ハロー効果 2. 期末効果 3. 逆算化傾向 4. 中心化傾向、極端化傾向 5. 寬大化傾向・厳格化傾向 6. 対比誤差 7. 論理的誤謬 こうした認知バイアスは、言い換えるならば、評価者を攻略する弱点だともいえる。バイアスを逆手にとって利用することで、自分の評価にゲタを履かせることだってできるかもしれぬ。 人事制度を攻略する 人事評価の攻略シリーズ。 人事制度のハッキング の続き。 「なぜ、あの人が出世するのか?」「どうして、私は評価されないのか?」など、人事にまつわる様々なモヤモヤがある。 運の要素もあるが、会社が社員を出世させるルールは確かにある。このルールをハックすることで、「同じ仕事をしても出世しやすくなる」「結果が
「蕩し」という言葉がある。 「たらし」と読む。巧みな言葉や行動で、相手の心を魅了し、自分のことを好きにさせてしまうことを意味する。甘言を用いて女性を誘惑する「女たらし」という言葉もある。 『人蕩し術』は、ターゲットが人になる。自分を好きにさせる原理と実践が書いてある。「思いのままにヒトを虜(とりこ)にする」という宣伝文句がちょっとアヤしいが、中身といえば、まっとうというか王道そのもの。 企業や社会で成功する人には、共通したところがあるという。それは、「自分の周りに良い味方がいる」という点だ。本書は、豊臣秀吉や本田宗一郎の例を挙げ、人心の機微を察して魅了する「人蕩し術」に秀でたものこそが、成功のカギだという。 確かにその通りかもしれぬ。周囲を見回してみると、出世する人や成功する人は、人望が篤く、社内外の強力なネットワークがある人ばかりだ。もちろん「仕事ができる」は必須だが、そこからさらに上に
かけがえのない自然を守るため、人を減らすのは悪か? 合成獣の生成と命の再生は「命を弄ぶ」観点からどんな違いがあるのか? みんなの健康のためなら「何をしても」許されるのか? マンガを読んでいて、こうしたテーマにぶつかることがある。たいていは主人公に問いの形で突きつけられ、何らかの「選択」が迫られる。信念に則り選ぶこともあれば、状況に追われやむをえず選ばされることもある。物語は進む一方で、読者のわたしは「もやもや」に襲われる。 「ほんとうにそれで良かったのか?」という問いだ。 わたし個人が、この問いに答えようとすると、ああでもない、こうでもないとグルグルとあてもなく考え、思考は深まりも広がりもしない。考える道具立てが無いからだ。 何が善くて、何が悪いのか?こうした問いに、真正面から取り組むのが、倫理学だ。倫理学の歴史は古く、それこそ人類が「考える」ことを始めたときから誕生したといっていい。考え
「死ぬ前に小学生の一日をやってみたい」2chのコピペ。 俺思うんだ・・・ 俺、死ぬ前に小学生の頃を一日でいいから、またやってみたい わいわい授業受けて、体育で外で遊んで、 学校終わったら夕方までまた遊ぶんだ 空き地に夕焼け、金木犀の香りの中家に帰ると、 家族が「おかえり~」と迎えてくれてTV見ながら談笑して、 お母さんが晩御飯作ってくれる(ホントありがたいよな) お風呂に入って上がったらみんな映画に夢中になってて、 子供なのにさもわかってるように見入ってみたり でも、全部見終える前に眠くなって、部屋に戻って布団に入る みんなのいる部屋の光が名残惜しいけど、そのうち意識がなくなって… そして死にたい このコピペ、tumblrで定期的に流れてくる度に染み入ってしまう。悩みとか不安とか何もなかった日常がいかに大切で、生きるとは何気ない日々の積み重ねだということが分かる(さらには、そんな日々がいか
ホラー映画の紹介で「犬は無事です」といったキャプションがつくことがある。 怖い映画を見たいけれど、(たとえフィクションでも)犬が死ぬのを見るのは忍びない人に向けた配慮がなされる時代となった。同様に、惨たらしく子どもが殺されるような作品は、「悪趣味」だとか「下品」といった批判の的となり、厳しくゾーニングされる。 そういう配慮に慣れ親しみつつある身としては、ガルシア=マルケス『族長の秋』には頭ガツンとやられた。犬は死ぬし、子どもは助からない。50年前に世に出たからなのか、ラテンアメリカの腐敗国家を、配慮も容赦も踏みにじるように描いている。 治らない男色を恥じて自ら尻穴にダイナマイトを詰めてはらわたを吹っ飛ばす将軍。スコットランドから運ばれた60匹の狩猟犬に生きながら食い殺される母子。香辛料をたっぷりかけてオーブンでこんがり焼き上げられ、銀のトレイに横たえられた大臣。宝くじの不正に加担した子ども
開高健の言葉だと思うが、「女と食いものが書ければ一人前」という言葉がある。 小説の技術は、単に物語をつむぐだけではなく、人間の欲望や感情を描く能力が求められる。特に食と女は、根源的な欲望や美に関するテーマであるが故、これが書けるということは、作家としての成熟が求められる―――などと解釈している。 宇能鴻一郎はその最強に位置する。昭和的で猥雑な香ばしさの中から、おもわず喉が鳴るような女と食いものが登場する。 例えば、もうもうと煙が立ち込めるモツ焼き屋でレバ刺しを食べるところ。 何といってもまず新鮮な、切り口がビンと角張って立っている肝臓である。それが葱と生姜とレモンの輪切りを浮かべたタレに浸って、小鉢のなかで電燈に赤く輝いているのを見ると、それだけで生唾が湧く。 口に入れて舌で押しつぶすと、生きて活動しているその細胞がひとつひとつ、新鮮な汁液を放ちつつ潰れてゆくのがわかり、薬味でアクセントを
「英文がスラスラ読めるようになりたい」私の切実な願いに、読書猿さんは言い放った 「まず2万語な!」 ――― 6年前の話 だ。 藁にもすがる思いで手を出したのがこれ。1127日かけて2回読んだ。結果は次の通り。 7870 words 始める前 9944 words 1周目(610日)完了後 12509 words 2周目(517日)完了後 語彙力は preply でテストした。 語彙力が増強されていることが数字で分かるが、あまり驚きはない。この『Merriam-Webster's Vocabulary Builder 』は、250もの語根や語幹をベースに単語を解説する単語帳で、私の英語力で背伸びして読めるレベルなので、そりゃ2回も読んだら強くなるわな、と思う。 それよりも、3年も続いたことに驚いている。 学校を卒業してから、英会話学校へ通ったり(1ヶ月で挫折)、通信講座を受けたり(2ヶ月
「センスが良くなる」というふれこみで読んだが、ハッタリではなく腑に落ちた。さらに、「予測誤差の最小化」という視点からの芸術論に出会えたのが嬉しい。 『勉強の哲学』もそうだったが、私にとって得るものが大きい一冊。 「音楽のセンスが良い」とか「着る服のセンスが良い」というけれど、この「センス」とは何ぞや?から始まり、小説や絵画、映画の具体例を挙げつつ、芸術作品との向き合い方を生活レベルで語り明かす。読んだ後、次に触れる作品を別のチャネルから感じ取れるようになるだけでなく、生活感覚が違ってくるかもしれぬ(感覚が底上げされる感覚、といえば分かるだろうか)。 本書の切り口はフォーマリズムだ。形式や構造に焦点を当てることで、作品が持つモチーフやテーマが示す意味や目的からいったん離れ、メタな視点から、対象をリズムやうねりとして「脱意味的」に楽しむ―――この考え方は、ゴンブリッチや佐藤亜紀の指摘で薄々気づ
超巨大ビルを建設したり、前例のないプロジェクトを成功させるなど、 どデカいことを成し遂げたヤツらはなにをしたのか? サブタイトルの答えは、ITエンジニアにおなじみの 「モジュール化」 と 「イテレーション」 になる。 モジュール化とは、システムやアプリケーションを独立した部品(モジュール)に分割する設計手法のこと。分割することで複雑なシステムを管理しやすくし、保守性や品質を向上させることができる。 イテレーションとは、アジャイル開発において、計画・開発・テストを繰り返し行う短い開発サイクルのこと。反復を繰り返すことで、顧客からのフィードバックやリスクの発見を早期に行い、対策を講じやすくする。 モジュール化とイテレーション、この2つが、プロジェクトを成功に導く鍵になる。そしてこの手法を、システム開発ではなく、巨大プロジェクトに応用せよという。本書では、エンパイアステートビルの建築や、ピクサー
『美術の物語』は世界で最も読まれている美術の本だ。 原始の洞窟壁画からモダンアートまで、西洋のみならず東洋も視野に入れ、美術の全体を紹介している。これほど広く長く読まれている美術書は珍しい。「入門書」と銘打ってはいるものの、これはバイブル級の名著として末永く手元に置いておきたい。 『美術の物語』は、ハードカバーの巨大なやつと、ポケット版がある。ポケット版は、長らく絶版状態となっており、べらぼうな値段がついていたが、今秋、河出書房新社から復刊されるぞ。新装版と銘打っているので、このPHAIDON版とほぼ同じだと予想する。もった感じとかはこの写真で想像してほしい。 PHAIDON社のポケット版(絶版) 本書のおかげで、興味と好奇心に導かれるままツマミ食いしてきた作品群が、社会や伝統のつながりの中で捉えられるようになった。同時に、「私に合わない」と一瞥で判断してきたことがいかに誤っており、そこに
新自由主義って何十年も「新」って言い続けてるよね 物理学が発生するようなローカルな環境を研究するのが物理学の正体 ピンカー『暴力の人類史』は過去の暴力を過大に見積もりすぎ カズオ・イシグロ作品につきまとうのは、人の主観性の有限性 ナウシカ「風の谷」と未来少年コナン「ハイハーバー」とシン・エヴァ「第3村」を比較する 上のリストはほんの一例。実に様々なことが語られており、ハッとさせられたり、思わず爆笑したり、忙しい読書だった。第一線で活躍する研究者や批評家、作家と、稲葉振一郎氏の対談を500頁超に詰め込んだ鈍器本がこれだ。 『宇宙・動物・資本主義』という奇妙なタイトルが物語っており、なんのこっちゃと首をかしげていた。だが、読み終わったら分かった。確かにこれは、宇宙・動物・資本主義といわざるを得ない。この3語で網羅しているのではなく、この3語ぐらい離れたテーマが飛び交いつつも、混ざりあっている。
「年収を上げる」と検索すると、ずらり転職サイトが並ぶ。ライフハック記事の体裁だが、最終的には転職サイトに誘導する広告記事だ。 しかも見事なまでに中身がない。転職しないなら、「副業を始める」とか「スキルアップする」といった誰でも思いつきそうなトピックを、薄ーく書きのばしている。 ここでは、もう少し有益な書籍を紹介する。想定読者はこんな感じ。 スキルアップはしてるけど、給料UPにつながらない 転職も考えたが、今の場所で評価されたい 自分をプレゼンして「良く見せる」のがヘタ そんな人に、2つのアプローチで給料を上げる方法を紹介する。 人事制度の脆弱性をハッキングする 上司のバイアスを逆に利用させてもらう この記事は1のアプローチから攻める。 紹介する本はこれだ、『この1冊ですべてわかる 人事制度の基本』(西尾太、日本実業出版社)。 著者は人材コンサルタント。400社、1万人以上をコンサルティング
ガルシア=マルケス『百年の孤独』は、何度読んでも面白い。 私の記憶力の無さと、再読までに積んだ経験によって、読むたびに面白いと感じるポイントが変わっていく。本は変わらないのだから、再読による発見は、自分の人生の厚みが変わったためなのだろう。 さらに、この小説を楽しんだ人の感想を聞くと、十人十色で面白い。私に近い人もいれば、予想外のところにハマった人もいる。アウト・オブ・眼中の所にのめり込んだ人の話を聞くと、「なるほどなぁ!」と新鮮に読め、一冊で二度も三度も楽しめる。 小説なんだから好きに読めばいい。 引っ掛かった描写。伏線に見えるセリフ。湧き上がるイメージと、それに結びついた自分の読書経験と実人生の体験。学校じゃないんだから、「正解」なんてものはなく、「ぼくのかんがえたさいきょうの読解」の多様性を楽しむといい。 そんな皆さんの感想を伺うべく、『百年の孤独』の読書会に行ってきたので、レポート
人生で3冊読んだけど、3冊とも面白かった。 最初は水色のハードカバー版で、次は白黒のやつ、そして最近出た新潮文庫を読んだことになる。ストーリーは知っているし、あのラストの感情の奔流は何度も味わっているのに、それでも無類に面白い。 何度も読んだのに、なぜ、面白いのだろうか? まともな人間が(ほぼ)誰もいないブエンディア一族の奇妙な生きざまや、日常的に非日常が描かれるマジックリアリズムの磁力、あるいは、奇妙で悲惨でユーモラスなエピソードが隙間なく詰め込まれているストーリーは、どこから見ても面白い。 しかし、3冊目の新潮文庫を読みながら、そうしたストーリーやキャラだけでなく、『百年の孤独』そのものに面白さが練り込まれていることに気づいた。 ここでは、物語の展開や登場人物の運命にはできるだけ触れずに、ネタバレ抜きで、『百年の孤独』の面白さを語ってみる。 既視感と未視感の混交 例えば、中毒性のある文
大型書店に行くと、就職活動のコーナーがある。 エントリーシートの書き方や、面接のイロハ、オンライン面接の作法といった対策本が並んでいる。 そこで物色している人を見るたびに思う「就活棚じゃなく、右斜め後ろの棚を探せばいいのに」とね。なぜなら、 就活コーナーの近くにある「人事・労務」の棚に並んでいる本 の方が、役に立つから。 そこでは、採用が上手くいかない人事担当の苦労話や、せっかく登用しても長くは続かず、止めていってしまうミスマッチが語られている。そうした状況で、どうすれば望んだ人材が集まってくるのか、あるいは集まった人たちから、自社に最も合った人をどうやって選べばよいのかが解説されている。 「こうすればいい人材を採用できる」というノウハウが書いてあるのだから、そのノウハウに合った形で自分をプレゼンできたら、「いい人材」として認められる。誰を採用し、誰を落とすかの評価基準のつくり方が書いてあ
ホラーのプロが選んだ「本当に怖いベスト20」が紹介されている。 ホラーのプロとは、ホラー作家だったり編集者だったり、海外ホラーの翻訳家だったりホラー大好きな書店員だったりする。ベスト20のラインナップを見る限り、相当の目利きであることが分かる。 これがtwitterの人気投票だと、どうしても「売れてるホラー」に偏る。ベストセラーとは普段読まない人が買うからベストセラーになるのだから仕方がないのだが、どこかで見たリストになってしまう。 「売れてる」要素も押さえつつ、なぜそれが怖いのか、どうしてそれが「いま」なのかといった切り口も併せて説明しているので、流行に疎い私には重宝する一冊だった。 いまのホラーはモキュメンタリー(Mockumentary)が一大潮流だという。実際には存在しないものや、架空の出来事を、ドキュメンタリー形式で描くジャンルだ。実話系怪談や、ファウンド・フッテージ(撮影された
愛する人の死や、不幸な運命を描いた悲劇を、なぜ観るのか。 それも、絶頂からどん底までの落差が激しいほど、悲しみの振れ幅が大きいほど、より一層、好んで観たがる。これを「悲劇のパラドクス」と呼ぶ。イギリスの哲学者ヒュームは「悲劇について」でこう述べる。 巧みに作られた悲劇を観ている人たちが、悲しみや恐怖や不安その他の、それ自体においては不快で嫌な気持ちになる情念から受け取るものは、説明のつかない快楽のように見える ヒューム「悲劇について」(『道徳・政治・文学論集』所収) ここでは、ヒュームの主張を軸に、様々な角度から悲劇のパラドクスについて考える。 人の心は動きたがる まず、芸術作品に触れたときの情念について。 ヒュームはこう主張する―――怠惰で気乗りのしない状態ほど、精神にとって不愉快なものはないという。たとえ不愉快で陰鬱なものであっても、平坦で無味乾燥なものよりはうんとマシなのだ。圧迫感に
数学の公式集ってあるでしょ。よく使う関係式や定数や演算を、コンパクトにまとめたやつ。あれの物語版だと思ってほしい。 「なぜそうなのか」といった証明や由来は最小限にして、エッセンスしか載ってない。なので非常に薄い(なんと61頁!)。もし必要なら、自分で出典に当たってくれとばかりに参考文献だけは充実している。 この61頁に、「読者の興味をどうやって興味を惹くか」の基本的なセオリーがまとめられている。小説、マンガ、映画、演劇、どのジャンルにも共通して、物語を面白くするプロットの作り方がある。そして、そのプロットをどう転がせば、読み手や観客の魂を震わせ、深い感動をもたらすかが紹介されている。 いわば、物語作家の虎の巻なのだが、公式集であるが故に、注意すべき点がある。要点というか骨子しか書いていないので、不慣れな人には不親切かもしれぬ。 だから、本書の想定読者は2種類になる。 想定読者1:物語の作り
「意識とは何か」という問題のスナップショット。 新書サイズのわずか85ページで、神経生理学、科学哲学、心の哲学の学際領域をコンパクトに圧縮している。いわば意識のハードプロブレムの最前線を切り取った小論といえる。読む前と読んだ後で見え方が変わってしまう本をスゴ本を呼ぶのなら、本書はその名に相応しい。この問題の捉え方そのものが変わってしまったのだから。 例えば、「意識の問題はヒトの問題なのか?」という切り口だ。 提唱者のD.チャーマーズが掲げた「脳の物理的な状態と、感じる、見る、思うといった主観的な経験との関連性を解き明かす」という命題には、 「ヒトにとっての」 という語句が隠れている。 わたしは今まで、問題文そのものを疑うことをせず、マリーの部屋とかクオリアについて学んできた。だが、立ち止まって考えると変だ。意識の問題は 「生物にとっての」 という語句から考えるべきだ。 アナバチは「愚か」な
死ぬときに思い出す小説の一つ。 あれを読めば良かったとか、これがまだ途中だったとか、未練は必ずあるはずだ。どんなに読んでも足りることはないから。そんな後悔の中で、エピソードや描写を思い出し、読んでよかったと言える作品の一つが、『イギリス人の患者』だ。 映画が公開されたときだから、20年以上前に読んだのだが、いま再読しても美しい。詩的で情緒豊かに紡がれる、四人の男女の破壊された人生の物語だ。 あらすじはシンプルだ。 第二次世界大戦の終わり、イタリア北部の半ば廃墟となった修道院が舞台となる。そこで生活を共にするのは、看護婦のハナ、泥棒のカラヴァッジョ、インド人の工兵のキップ、そしてイギリス人の患者となる。人生のわずかな期間にすれ違う男女が、自身の半生を思い出す。 ただし、けっして読みやすい、ストレートなお話ではない。 時系列は無警告で前後するし、エピソードの粒度や解像度はバラバラだ。後になって
ミスや失敗をなくすため、ヒューマンエラーに厳罰を下すとどうなるか? 一つの事例が、2001年に起きた旅客機のニアミス事故だ。羽田発のJAL907便と、韓国発のJAL958便が駿河湾上空でニアミスを起こしたもの。幸いにも死者は無かったものの、多数の重軽傷者が出ており、一歩間違えれば航空史上最悪の結果を招いた可能性もあった。 事故の原因は航空管制官による「便名の言い間違い」にあるとし、指示をした管制官と訓練生の2名が刑事事件に問われることになる。裁判は最高裁まで行われ、最終的には2名とも有罪となり、失職する。判決文にこうある。 そもそも、被告人両名が航空管制官として緊張感をもって、意識を集中して仕事をしていれば、起こり得なかった事態である [Wikipedia:日本航空機駿河湾上空ニアミス事故] より 芳賀繁『失敗ゼロからの脱却』は、これに異を唱える。 事故は単一の人間のミスにより発生するので
おっさんになって再読すると、違った面が浮かび上がって面白い。 若いころに読んだときは、自己中男の醜さや、頭空っぽの女の美しさが印象的だった。自己陶酔的な語り手に鼻白んだことも覚えている。 だが、いま読み返すと、ギャッツビーのひたむきな愛が眩しく、可愛そうなくらい未熟で愚かに見える。人生を折り返して、やり直したくてもできなくなった親爺からすると、ギャッツビーの愚かしさは、一周回って愛おしいものになる。 ギャッツビーを「愚か」というのは言い過ぎじゃない? そういうツッコミが聞こえる。 貧乏な生まれながら身一つでのし上がって大金持ちになったギャッツビーが、有り余るカネを湯水のように使って夜な夜なパーティを開く―――愚かに見えるかもしれないが、ちゃんと理由があるからで、それを「愚か」と呼ぶのは言い過ぎだろう……というツッコミだ。 しかし、私が「愚か」と感じるのは、そこじゃない。例えば、語り手である
共通するテーマは、「人間の科学」だ。 「人間に関する科学」ではなく、「人間の科学」という言い方は、ちょっと奇異に聞こえるかもしれない。 なぜなら、科学とは人間が探求する知識体系であり、探求分野だから。「科学」の一語だけでこと足りる。わざわざ「人間の」と修飾語を付けているということは、人間じゃない存在、人間以上の存在が探求する領域を扱う科学だってあるかもしれない―――「人間の科学」は、そういう可能性を示唆している。 レム『虚数』に収録されている「GOLEM XIV」は、この可能性の先に存在する、非常に高い演算能力を持つAIだ。人間以上の知性を持つ存在が、「科学」を探求したらどうなるか? その結果を人間に対し、講義の形で伝えようとすると、何が語られるか―――を記した講義録が、「GOLEM XIV」になる。 人間が扱える処理能力や情報量は、人間のサイズに収まっている。コンピュータを使ってもいいし
面白い本に出会うコツは「これ面白いよ!オススメ!」と公言すること。すると、「それが面白いならコレなんてどう?」とオススメ返しされることがある。その面白さは高確率で「あたり」だ。 『太陽の簒奪者』なんてまさにそう。 『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を気に入った人には、『太陽の簒奪者』(野尻 抱介)も好きだと思うんですよね。太陽光が奪われていくという導入と、人類全体でそれを解決しようとするというところは似ているのですが、展開はだいぶ違います。ともに名作だと思います!https://t.co/SVTDQmHngG — Kazu SUZUKI (@kz_suzuki) February 12, 2024 野尻抱介『太陽の簒奪者』は、実は10年前に読んでいる。だから、ストーリーも展開もラストも全部知っている。 けれども、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を読んだ身で改めて読むと、めちゃくちゃ興奮し
イッキ読みした。物語はゆったりと進むのに、先を知りたくてページをめくってしまう。 この作品のテーマはここに集約されている。 ここには善悪の判断など無用だということを、カイアは知っていた。そこに悪意はなく、あるのはただ拍動する命だけなのだ。たとえ一部の者は犠牲になるとしても。生物学では、善と悪は基本的に同じであり、見る角度によって替わるものだと捉えられている。 生きること、ただ命をつないでいくことには善悪の区別などない。行為や結果について「善」や「悪」というレッテルを貼るのは人間の性であり、そこから自由であろうとすると、どういう人生になるかが物語られている。 「カイア」はこの物語の主人公だ。舞台は米国ノースカロライナ州の広大な湿地帯になる。親兄姉に見捨てられ、極貧の中、ただひとりで暮らす彼女は、貝を掘ったり魚を釣ったりして生き延びようとする。町の人々からはつまはじきにされる、貧困白人(ホワイ
見てくれ! これがサイエンス・フィクションの家系図だ。 図の左上に、SFの祖先「Fear and Wonder(恐れと驚き)」がある。 アニミズムや神話・伝説・迷信の流れと、テクノロジーや実験・観察・啓蒙主義の流れが混交し、自然科学とユートピアとロマン主義を養分として、ゴシック小説の巨大な畑が出来上がっている。 ゴシック小説から、科学と技術と恐怖を組み合わせた最初のSF『フランケンシュタイン』が生み出され、ウェルズやハクスリー、ヴェルヌ、アシモフ、ブラッドベリ、ギヴソン、イーガンを始めとする大きな流れがある。これらを支えてきたのはダイムノヴェル(10セントで買える大衆小説)やペーパーバックによる文学と漫画のメディアだ。 映像メディアからは月世界旅行やメトロポリスを始めとして、トワイライトゾーン、スタートレック、スターウォーズ、エイリアン、マトリックス、E.T.を代表とした巨大な流れがある。
「セックスロボットは悪なのか」という議論がある。 精巧につくられた等身大のドールで、触れると温かい。センサーとAIにより、ユーザーが望む反応を学習して応答する、ロボット工学と人工知能の粋を集めたアンドロイドだ。 愛情を深め合うコミュニケーション手段としてのセックスが蔑ろにされ、女性蔑視や暴力へつながるかもしれない。一方で、感染症の心配もなく安心して愛情を注げるパートナーに救われる人もいるだろう。 あるいは、「アンドロイドが運転する車が事故を起こしたら、誰に責任を問うべきか?」という議論がある。 AIは人間よりも安全運転できるだろうから、自動運転をベースとした車社会を設計すべきだという意見がある。一方で、プログラムや学習データの不具合によってAIが暴走する可能性は残されており、その影響は計り知れないという人もいる。 こうした議論は、論点が噛み合わないか、漠然とした話になりがちだ。意識とは何か
ホラーは2種類ある。 血みどろ臓物、怨念呪殺、ゴシック、ゾンビ、モンスター、SF、サイコなど、人を震え上がらせるホラー作品は様々だ。だが、あらゆるホラーは2つに分けることができる。 この2つを分けるのは、「枠」だ。枠の内側に留まっているものと、枠の外に出てくるもので、ホラーは2つに分けることができる。 「枠」とは、私が便宜上そう呼んでいるもので、例えば、恐ろしい絵が収まっている額縁になる。アマプラでホラーを観ているならPCのベゼル(モニター枠)になる。映画館ならスクリーンを縁取るカーテンだし、紙の本で読んでるなら、文字の周囲の余白を「枠」と置き換えてほしい。 「枠」を越境するもの つまり「枠」とは、コンテンツと、コンテンツ外を分け隔てる境界のことだ。 私たちは、本を開くとき、ゲームをするとき、映画館の暗がりに身を潜めるとき、まさにそうした行為によって、現実ではないホラーが始まることを意識す
はじめに 好きな本を持ち寄って、まったり熱く語り合う読書会、それがスゴ本オフ。 本に限らず、映画や音楽、ゲームや動画、なんでもあり。なぜ好きか、どう好きか、その作品が自分をどんな風に変えたのか、気のすむまで語り尽くす。 この読書会の素晴らしいところは、「それが好きならコレなんてどう?」と自分の推し本から皆のお薦めが、芋づる式に出てくるところ。まさに、わたしが知らないスゴ本を皆でお薦めしあう会なのだ。 今回のテーマは「マンガ」、何回読んでも爆笑してしまう作品や、ヘコんだときに癒してくれる短編集、価値観の原点となったマスターピースなど、様々な作品が集まった。いわゆるコミック本に限らず、アニメーションや物語詩など、王道から知る人ぞ知るやつ、直球変化球取り揃えて、キリがないほど集まった。 ▼気になるマンガに手が伸びる
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