現在の大阪城天守閣は昭和6年11月7日に竣工した。今日で80周年になる。昭和天皇の御即位の大礼を記念する事業として計画され、150万円の経費は寄付に頼った。当時の関一(せき・はじめ)大阪市長は、天守閣の再建は豊臣秀吉の顕彰と大阪の繁栄の象徴になると強調して、市民に郷土愛を訴えた ▼大阪城は明治維新以降、陸軍用地となり、立ち入りが制限されていた。関の狙いは公園化して市民に開放することだった。趣意書にはこう書いた。天守閣上に登れば「人口二百二十余万を包擁する大大阪の動的大観を俯瞰し(略)気宇●然、心神爽快、其の間自ら大市民の風懐を養ふことが出来ませう」 ▼関が描いた夢に、市民が共鳴した。現在なら数十億、数百億だろうが、7万8000件以上の寄付が集まり、わずか半年で目標額に達した。天守閣最上層の鯱も寄贈された。関は都市計画の専門家だが、何より市民に愛されたリーダーだった。ダブル選の候補者に現代の