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大谷翔平
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「日台親和」の虚像と実像 ------植民地支配の歴史経験は国際協力のモデルか----- 何義麟 1994年の司馬遼太郎との対談で、李登輝は「台湾人に生まれた悲哀」をはじめて公言した。この発言は一方で台湾住民の台湾人としてのアイデンティティの確立につながったが、他方で李登輝前総統と同世代の台湾人の親日態度をめぐって国内外で一大論争を巻き起こし、それを契機に日本のいわゆる「親台派」と台湾の「親日派」(野蛮な中国より日本は昔も今も立派な国だという歴史認識を持つ年配の台湾人を指す)が急速に台頭するようになった。国民政府こそが「台湾人に生まれた悲哀」をもたらしたのだと親日派台湾人が唱えると、親台派の日本人は台湾人の幸福・安全を守ろうそれに唱和するようになった。そして、ついには日本と台湾を軍事同盟国として「命の絆」で結ばせようというスローガンまで言い出すようになっている(『SAPIO』2000年6月
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