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大谷翔平
ringofcolour.com
30年以上にわたりファッションシーンの中心に君臨し続ける「fragment design(フラグメントデザイン)」主宰 藤原ヒロシ。一方、2012年に「週刊文春」の編集長就任後、日本のジャーナリズムの代名詞とも言える巨大メディアへと育て上げた”文春砲”の生みの親で、現同誌編集局長の新谷学。これまで交わることのなかった時代を牽引するキーパーソンが語り合う、これからの時代に求められる『ブランド論』。JBpress autograph(オートグラフ)との連動企画として、RoCでは全3編でお送りするふたりの対談vol.3では、人を引きつけるふたりの信念と原点。 藤原ヒロシVS”文春砲”新谷学 激変する時代の「ブランド論」vol.2 ■”ブランド価値”をどこに据えるか? 新谷 藤原さんは近年のブランドビジネスについては、どう感じていますか? 藤原 やっぱり、アイデンティティがすべてにおいて必要ですよ
「THE PARK・ING GINZA(ザ・パーキング銀座)」の閉店から1年。今夏、銀座の地に再び藤原ヒロシがショップをオープンさせる。ヴィンテージマンションの会員用プールを改装した「the POOL aoyama(ザ・プール青山)」、ソニービルの地下駐車場に隣接した「THE PARK・ING GINZA」に続く「THE CONVENI(ザ・コンビニ)」は、これまでで「最も小さく、最も物が多い店」になるという。雑誌SWITCH(スイッチ)で明かされた新店「ザ・コンビニ」とは?情報解禁に先駆け、藤原のワーキングエリアでもある六本木でその構想について聞いた。 Photo_Shoichi Kajino | Edit&Text_Mio Koumura 構想初期のイメージパース ー新ショップの名称は「ザ・コンビニ」ですが、そもそもヒロシさんはコンビニを利用されるんですか? よく利用しますよ。 ー様々
ECDについて。僕は彼の一部しか知らない。 ある時期、短期間、音楽を通じて少しの時間を共有しただけ。 友達とも言えない間柄。電話番号も知らないし連絡を取ったこともない。 ただ、僕一方的には彼の存在はいつも気になっていた。 ラッパーとしての彼はあまり知らないけど、社会に向き合う彼がいつも気になってた。 音楽にも社会にも、何事にも真摯だった。 ライブの前だったか、何かのイベントの時だったか、 一度だけ2人っきりになった事がある。なぜか僕には距離があり、上手く会話が出来なかった。 パンクとヒップホップについて話した記憶がぼんやりある。 「いつか、きちんと色々話してみたいな、、」って思ってた。 そして、今でもそう思ってる。話を聞きたいな、と思ってる。
この曲なくして今のDJ文化は構築されなかったのでは?というくらい大きな影響を与えたレコード。とくに、LESSON 3は大きな流れを牽引したと思う。 1983年の寒い冬のNY。ラジオでよくかかってたのが、このPAY OFF MIX。Play the beat Mr.D.J./ g.l.o.b.e. & whiz kid の曲をベースに使った曲。確かトミーボーイが主催したMIXコンテストのようなものでの優勝作品だったとか、。NYのラジオではすでにメガミックスのような曲はたまにかかってたけど、このコラージュ感は凄かった。メガミックスとはまた違い、他人のネタを使って完全にDJがオリジナルを作ってしまう、。とにかく新鮮だった。 1983NYCとシールを張ったカセットテープ、探せばまだどこかにあるのかな、、。KISS FMを延々録音したテープに中に、この曲も入ってるはず。 TOMMYBOY RECOR
多くの映画(だけに限ったことではないが)には宣伝文句とも言い換えられる枕詞のようなものがつきまとう。未見の人を煽り、引きつかせる派手な言葉、人名。キーワードであるそれらに採用される理由は認知度、リテラシーの高さを最優先にしていると考えられる。今や一億総メディア社会だ。シェアがしやすい単純な物事の方が、輪は広がりやすい。『FAKE』の主人公である佐村河内守氏は、人を集めやすい格好の素材であると言えるだろう。しかし、佐村河内氏の自宅が主な舞台である劇中、様々な人が訪れるのだが、そのなかで最も冷静さを保っていたのが森達也監督だった。「元々興味はなかったが、最初に会った時に、これは映画だと思った」。これはインタビュー冒頭の森監督の発言だ。『FAKE』におさめられた佐村河内氏の姿は、あの、お茶の間を賑わせペテン師と騒がれた(似非)作曲家とは異なる。妻の香さんと淡々と生活を送る一人の夫であり紳士的な男
『Ring of Colour』の最年少ライターである12歳の原田理央くんは、これまでに観た映画の本数が優に600本を超えるという生粋のシネフィルだ。将来の夢は当然、映画監督。彼が書く記事は、批評家並の歯に衣着せぬコメントと映画を1枚の絵で表現するユニークな内容で注目を集めている。今回は理央くんがカナダへ留学する直前に行われた藤原ヒロシとの対話をお送りする。 Photo_Kazufumi Shimoyashiki | Text_Yusuke Osumi | Edit_Issey Enomoto 原田理央 2004年生まれ。藤原ヒロシの“最年少フレンド”である、12歳の映画が大好きな小学生(※取材時)。元ソニー・ミュージックアーティスツ会長の原田公一氏を父に持ち、藤原ヒロシとの繋がりは公一氏経由だが、藤原と理央くん、2人だけで映画を観に行くこともしばしばあるという。 http://ringo
2016年3月26日、東京・銀座『ソニービル』の地下に、藤原ヒロシがディレクションするコンセプトショップ『THE PARK・ING GINZA』がオープンする。なぜ銀座なのか? 店名の“PARK・ING”の由来とは? 3月21日にクローズした『the POOL aoyama』に続く新プロジェクトとなるこのショップの概要や狙いを藤原ヒロシに聞いた。 Photo_Masaharu Arisaka | Edit&Text_Issey Enomoto “POOL”の次が“PARKING”の理由。 ——『THE PARK・ING GINZA』のプロジェクトがスタートした経緯を教えていただけますか? 「もともとの話をすると、だいぶ前のことですが、銀座の地下駐車場にクルマを停めたとき、同じフロアになぜか中華料理屋があって。そこは地下駐車場と直結していて、そのままお店に入れる不思議なつくり。なんでこんなと
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