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大谷翔平
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ノーバード・ショウナワー、三村浩史監訳 「世界のすまい6000年 3西洋の都市住居」、彰国社、1985年 ローマ帝国の衰退に従い、西洋では暗黒時代が始まり、東洋に由来するローマの都市遺産は徐々に終息するに至った。都市生活や都市文明の衰退要因は多くあるが、最も主なものは非ローマ人がかつてない増加を見せ、ローマ人が減少したことによる。教養あるローマ人は、戦争、革命、ペストなどによって減少した。道徳の退廃も帝国解体の要因となった。貧しい人々は貧困が増すにつれて幼児殺しをするようになり、一方、指導者や富豪が不道徳や残虐の限りを尽くした。更に、独裁政治によって政治が衰退し、怠惰、買収、放慢がローマの元老院の一部で行われた。 こうした状況のなかで、新しい宗教であるキリスト教が普及。謙遜と質素を奨励していたため、貧困になればなるほど信者の数が増えていった。 崩壊しつつあったローマ帝国に最終的な打撃を与え
ノーバード・ショウナワー、三村浩史監訳 「世界のすまい6000年 3西洋の都市住居」、彰国社、1985年 中世の要塞都市:ノルウェー人、スラブ人、マジャール人などがキリスト教に改宗したのに伴い、12世紀には異民族の侵入もかなりおさまり、暗黒時代から中世盛期と呼ばれる新しい時代へと次第に移っていった。森林、荒地、沼地が開墾され、農業技術の改良により農業生産は当時の必要とした水準をしのぐようになった。人口も増加し、再び社会的分業が可能となり、交易や商業が発展し、幾つかの古代ローマ都市が甦っただけでなく、川の合流点や交通路の交流点などに新しく都市が育っていった。このようにして10世紀初めまでに歩いて1日くらいの距離(約24Km)をおいて、町や都市が農村地に現れ、それぞれの周辺農村のための市場になり、農村と都市の共存的な関係が発達した。 中世都市の急増に伴い、12,13世紀のヨーロッパで新しい労働
ノーバード・ショウナワー、三村浩史監訳「世界のすまい6000年 1先都市時代の住居」、彰国社、1985年
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