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猛暑に注意を
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www.churobird.work またまた早起きしてコルドバ駅からスペイン国鉄の旅です。旅というのも大袈裟で、セビリアのサンタ・フスタ駅まではたった45分。目的地セビリアは、70万人が暮らすスペイン第4位の都市にしてアンダルシア州の州都です。レコンキスタ前後の2つの文化が融合した建築群や複数の世界遺産のある見所満載の都市です。 駅から南西に歩いて突き当たったルイス・モントト通りという大通りの中央分離帯には紀元前1世紀頃に建設されたローマ水道橋の一部カニョス・デ・カルモナが残されていました。セビリアから15km離れたアルカラ・デ・グアダイラから運ばれた水はアルカサルの大きな貯水池を満たし、各地に配水されていたそうです。修復・増築を繰り返しながら1912年まで稼働していたというから驚きです。 メネンデス・ペラヨ通りに沿うような細長い形のムリージョ庭園の中には、1929年のイベロ・アメリカ万
メスキータ最大の見所の1つは、アルハカーム2世の命で作られた豪華なミフラーブです。金色や青色のモザイク装飾が施された馬蹄型アーチの周囲にはぐるりとコーランの一節が刻まれています。モザイクでできているとは信じ難いような美しく緻密な装飾は、どれほど眺めていても飽きることがありません。世界中のイスラム教徒はサウジアラビアのメッカにあるカアバ神殿の方向に向かって1日5回の礼拝を行いますが、その方角(キブラ)を示すのが、モスクの壁に作られたミフラーブという聖なる窪みです。偶像崇拝を禁じられたイスラム教では方向を示す目印にも像や絵画といったシンボルになりかねないものを用いることができません。草花や幾何学模様の美しいモチーフが用いられることが多いミフラーブは、イスラム美術の数少ない見せどころとなっています。その証拠に、カリフはこのミフラーブのためにビザンチンスタイルのモザイク職人を呼び寄せたそうですから
見るからに新しいピカピカのマラガ・マリア・サンプラーノ鉄道駅にやってきました。まだ時間が早いこともあってひと気が少ないですが、このターミナル駅はスーパーマーケットや飲食店街があるだけでなく、ショッピングモールとも繋がった複合施設になっています。 あらかじめWebで購入していたチケットでお馴染みのスペイン国鉄の列車に乗り込みます。ここから次の街コルドバまで高速鉄道AVEでわずか1時間の旅です。 あっという間に到着したコルドバ駅。クリスマスから1週間は経つというのにこちらもまだまだクリスマスムード。中華圏だと旧正月まで続くことも珍しくないクリスマスシーズンですが、スペインではいつまでこのツリーが飾られているか見届けてみたい気持ちになってきます。 ホテルにチェックインを済ませると、さっそくの街歩きを開始しました。コルドバ最大の見どころであるメスキータを目指して市街地を南下していくと、いつしかメス
ロンダ駅から真っ直ぐ伸びるマルティネス・アステイン通りを南下し、新市街の繁華街エスピネル通りに入ります。モザイクタイルの貼られたお洒落な通りは、アンダルシアで最も長い歩行者天国。閑散とした駅周辺とは対照的にとても賑わっています。 通りの突き当たりにある円形ドームの白い建造物はロンダ闘牛場です。近代闘牛の生みの親フランシスコ・ロメロの出身地にして、闘牛発祥の地として知られるロンダにスペイン最古の闘牛場が完成したのは1785年でした。直径約66mの円形ドームの中には5000人もの観客を収容することができます。 闘牛場のお隣の三木春日広場にはアーネスト・ヘミングウェイの像がありました。 著名人が1度でも訪れると〇〇が愛した街PRが始まるというよくあるパターンかと思いましたが、保養地だったロンダに彼がしばしば訪れ、前述の闘牛場に足繁く通っていたというのは事実のようです。ヘミングウェイがスペイン内戦
夜中のお祭り騒ぎがウソのように静まり返った明け方のこと。アンダルシア上陸からまだ24時間もたっていませんが、南部の港町アルヘシラスに向かい、そこからジブラルタル海峡を渡ってアフリカの玄関口であるモロッコのタンジェに行くため、マラガのバスターミナルにやってきました。 タンジェは初めて訪れる街ですが、モロッコは周遊経験があるので、今回の目的は街歩きというより、ただ単にジブラルタル海峡を船で渡ってアフリカ大陸に上陸すること。アフリカ日帰り旅行できるなんて想像しただけでテンションがあがります。 年末年始と週末が重なっていたので、スペインからアフリカに帰省する人も多いかもしれない・・・と、6時45分発の始発狙いで6時前にはバスターミナルにやってきました。バスターミナルの建物は煌々と灯りがついていましたが、チケットカウンターも開いておらず、まだ誰もお客さんがいません。これならアルヘシラスまでは確実に辿
www.churobird.work 朝早くにベツレヘムに向かいました。ベツレヘムは、ヨルダン川西岸地区南部にある3万人超が暮らすベツレヘム県の県都です。第3次中東戦争以降、イスラエル占領下にありましたが、1995年にパレスチナに返還され、現在はパレスチナ自治政府が治めています。未だに国際的にも微妙な立場にあるベツレヘムですが、世界最古のキリスト教共同体が存在していたことが知られていて、イスラム教徒が多数を占めるパレスチナの中にあって今でも最大のキリスト教コミュニティーが存在しています。 ベツレヘムとイスラエルとの境界に築かれたコンクリート製の分離壁が見えてきました。ベツレヘムに入るには、あの壁にある検問所を通らなくてはならなりません。返還後もイスラエルとドンパチやってるみたいだし、 刑務所を思わせるような高い壁のせいで物々しい雰囲気はありますが、主要産業は観光業なので、わたしのような見る
www.churobird.work イエスが処刑された当時のエルサレムはローマ帝国の支配下にありました。ユダヤ教徒ではない総督のピラトにとって、イエスのキリスト自称など取るに足らないことでしたが、ユダヤの指導者たちに扇動された群衆を納得させるためにはイエスの処刑を認めざるを得ませんでした。ユダヤ教のあり方を批判し、人々に神の教えを説いたイエスに対する指導者たちの怒りは、イエスを亡き者にしなくては収まらないほど大きいものになっていたのです。処刑の権限を持たない彼らは、権限を持つローマ帝国側にそれ相応の罪状でイエスを引き渡す必要がありました。そのためにイエスにつけられた罪名は「ローマ帝国に対する反逆罪」という最も重いものでした。 十字架を背負ったイエスが最後に歩いた総督ピラトの官邸からゴルゴダにある聖墳墓教会までの道は、イエスやマリアをふくむ多くの人々の深い思いが込められてヴィア・ドロローサ
www.churobird.work エルサレム旧市街の南西のシオン門の外の一角はシオンの丘と呼ばれています。真っ先に思い浮かぶのは、イスラエル建国の父ヘルツルが起こしたシオニズムですが、シオンとはエルサレムの古い呼び名です。ヘルツルがヨーロッパ中のユダヤ人に「祖先の土地シオン(エルサレム)へ還ろう!」と呼びかけたことで1948年のイスラエル建国が実現しました。かつてユダヤ教の司祭や貴族が多く住んでいたシオンの丘はユダヤ教徒にとって所縁のある土地のはずですが、なぜかこの辺りにあるのはキリスト教会ばかりで、シナゴーグの姿はほとんど見当たりません。それもそのはず、ソロモン王の時代にあったオリジナルのシオンの丘は、エルサレム旧市街の岩のドームが建っている神殿の丘辺りのことを指しているからです。この辺りがオリジナルを差し置いてシオンの丘と呼ばれている理由はわかりません。 狭い路地の間からマリア永眠
www.churobird.work 次の目的地はペトラのはずでしたが、ペトラに向かうハイウェイは相変わらず不通のままだし、雪に埋もれたアンマンに戻っても仕方ないので、目的地を変更して死海に向かうことにしました。死海近辺に積雪がないのはネボ山からも確認済みだし、死海を眺めながら旅程を立て直してこの旅を仕切り直したいと考えたからです。 ネボ山から死海のほとりのリゾートホテルに向かう道沿いにロマ民族らしき人々の姿がありました。あんまりジロジロと見てはいけないと思いつつも、荒野のど真ん中に身を寄せ合うように張られた粗末なテントで流浪の民がどんな暮らしをしているのかは興味があります。この生活を選ばざるを得なかったのかあえて選んだのかわかりませんが、学校に通っていてもおかしくない年格好の子供の姿もありました。 30分ほどで死海に到着。子供向け科学雑誌で読んだ世界七不思議のひとつを目の前にしたらどれだ
www.churobird.work ネボ山の次に向かったのは10kmほど南東に位置するマダバという地方都市です。マダバは、マダバ県の県都で約60,000人の人が暮らすヨルダンで5番目に大きい街、そして「モザイクの町」として知られています。アンマンからそれほど離れていないというのにマダバの市街地に雪はほとんど残っていませんでした。観光スポットだけでなくレストランやショップが街の中心部に集まっているので徒歩で十分に観光できます。何より人が親切!英語が理解できない人もジェスチャーを交えて一生懸命にこちらの質問に答えてくれます。 特筆すべきは、この街がキリスト教徒の街だということです。ヨルダン国民の9割がイスラム教徒ですが、数少ないキリスト教徒がマダバに集中して暮らしています。市民の4割近くがキリスト教徒というのはヨルダンでは驚異的な数字です。確かにマダバの地図を見ると、イスラム国家とは思えない
www.churobird.work 2015年2月、やってきたのはヨルダンです。 行ってみたいと思っていた国ではありましたが、いつもながらの「安かったから」で来ちゃいました。安いのも当たり前。ヨルダンのお隣の国シリアのアレッポで2名の日本人がISILとみられる過激派武装集団に拘束され、殺害されるという痛ましい事件が起きたばかりだったのです。アメリカ人とイギリス人以外の民間人の人質がISILに殺害されたケースは初めてだったので、世界中に激震が走り、ニュースは毎日その話題で持ち切りでした。もちろん、ISILがドンパチやっているのも、外務省が渡航を禁じているのもヨルダンではなくシリアです。でも、隣の国に行くなんて家族には言いにくい・・・。というわけで、家族や職場にはドバイに行くと言って(もちろんドバイも経由したけど)、恒例のFacebookでの「行ってきます宣言」もしないまま、コソッとやってき
www.churobird.work ガートルード通りやニコールソン通りからトラムを下車してすぐのところの街の北東部に王立展示館とカールトン庭園がありました。 1856年に開園したカールトン庭園は、アカシア並木やポプラ並木もある広大で美しい庭園です。メルボリアンの憩いの場所としてよく手入れされていますが、都会の喧騒など一切感じさせない静かな雰囲気でした。2004年には、敷地内に建つ王立展示館とともにオーストラリア初の世界文化遺産に登録されています。それまでは、自然遺産かアボリジニ関係の自然遺産と抱き合わせになった複合遺産しかありませんでしたから、記念すべき第1号文化遺産になりました。ちなみにシドニーのオペラハウスの登録は2007年で、文化遺産は今でもこの2つだけだと思います。 王立展示館は、カールトン庭園の中に建つヨーロッパ風の建物です。ビザンチン様式、ロマネスク様式、ルネサンス様式等を融
www.churobird.work せっかくオーストラリアに来たので、オーストラリアらしい動物を見たいなぁという思いつきでメルボルン動物園に行ってきました。https://www.zoo.org.au/melbourne 1862年開園のメルボルン動物園は、オーストラリア最古であるばかりでなく、世界でも3番目に古いという歴史ある動物園です。古いだけではなく、22ヘクタールという広大な敷地の中には、オーストラリアの固有種を始めとするたくさんの動物達が暮らしています。150年以上もの間、人々に愛されてきた動物園は、メルボルン中心部からトラム1本で行けてしまうアクセス至便な場所にありました。 320種類・5120頭の動物たちの中から独断と偏見で選んだわたしの一押し動物たちをご紹介します。 コアラは、オーストラリアを代表すると言っても過言ではない癒し系動物。オーストラリア全土にいるわけではなくて
www.churobird.work 美しい海岸線を疾走する自動車のCM映像を撮影するために、世界中の自動車メーカーがこぞって訪れるというグレートオーシャンロード。SHARPの「IGZO」のCMやMr.ChildrenのPV(Tomorrow never knows)の撮影地としても知られるその景色を映像で目にしたことがある人は多いはずです。わたしなんかCGを疑ったこともあるくらい・・・。その絶景が本当に実在するのか(CG合成は無いのか)を確かめるためにグレートオーシャンロードに行ってきました。 メルボルンの南西部に位置するトーキーからアランズフォードまでの243kmに及ぶグレートオーシャンロード。特に奇岩群が集まったポートキャンベル周辺の海岸線一帯は、ポートキャンベル国立公園に指定されています。頑張って運転すれば、メルボルンから日帰り観光が可能な距離ですが、長時間の運転でカンガルーと衝突
www.churobird.work 旧メルボルン監獄は、ビクトリア州立図書館のすぐ北側のビルに囲まれた市街地の中にありました。 入植によって治安の乱れが生じたこの地域に、イギリスのペントンビル監獄をモデルにした監獄の建設が始まったのは入植開始から6年後の1841年のことでした。完成当初は、留置場・裁判所・女性用刑務所などを内包しつつ、主に刑期の短い軽犯罪を収容するためのコンパクトな施設でしたが、ゴールドラッシュに伴う治安の乱れで、犯罪件数も増加していったため、規模も拡大し、重犯罪者も収監されるようになって行きました。実際にこの監獄内で136名が死刑執行されているそうです。一時期はメルボルンで最大規模の建築物でしたが、1926年の敷地分割でかなりの建物が取り壊され、とうとう1929年には閉鎖。第二次世界大戦中には捕虜収容所としても利用されたこともありましたが、現在では土地のほとんどがRMI
www.churobird.work メルボルンには、2015年に「死ぬまでに行きたい世界の図書館」に選出された美しい図書館があります。 死ぬまでに行きたい世界の図書館 (サクラムック) 出版社/メーカー: 笠倉出版社 発売日: 2015/11/12 メディア: ムック この商品を含むブログを見る ビクトリア州立図書館は、メルボルン・セントラル駅の目の前、スワンストン通り・ラトローブ通り・ラッセル通り・リトルロンズデール通りの4本の通りに囲まれた1ブロック四方の敷地にありました。かつて鉄製のフェンスと門が設けられていた前庭は、1939年に一般に開放されるようになりました。芝生の上には公園さながらに腰かけたり寝転がったりして思い思いに過ごしているメルボリアンの姿がありました。 ギリシア神殿のような柱が並ぶネオクラシック様式の華麗な建物は、ジョセフ・リードの設計によるものです。このオーストラリ
www.churobird.work 市街地の東側(イーストメルボルンエリア)にやってきました。 パーラメント駅に降りると、スプリング通りに面してビクトリア州議事堂が建っています。原住民族アボリジニの聖なる集会所であったこの場所に、ビクトリア植民地の議事堂としてこの建物が建てられたのは、ゴールドラッシュ最盛期の1856年でした。メルボルンが臨時首都だった1901年から1927年までは、この場所でオーストラリア連邦議会が開かれていました。 ギリシャ神殿のようなコリント様式の柱廊とロンドンのリーズタウンホールをモデルにした立派なファサードの建物に鋳物製のランプが趣を添えています。大英帝国植民地の建築物としては最高傑作との評価を受けている堂々とした外観ですが、実は資金不足が理由で未完のままなんです。本当は、屋根にドームを建築する予定だったとか。ドーム建築が諦めきれないようで、議案が出されては資金
www.churobird.work 2017年5月、メルボルン。またまた懲りずに、航空券が安いというだけで(広州を経由して)やってきてしまいました。航空券の安さを抜きにしても、ヨーロッパ風の歴史的建造物も見れそうだし、都会の割にのんびりとした雰囲気があって、自然に触れる機会も多そうだし、まあ悪くはない選択かな・・・と。 格安航空券ならではの遠まわりはしましたが、無事にメルボルンに到着。時差がないので、長旅でも時差ボケによる体力消耗が少ないのがオーストラリアの良いところ。すぐに街歩きを開始しました。 フリンダースストリート駅がフリンダース通りとスワンストン通りの交差点に見えてきました。1854年にオーストラリア国内初の駅として開業したメルボルン近郊列車のターミナル駅です。1909年に完成した駅舎のエドワード王朝風の外観には単なる駅とは思えない優雅さがあります。鮮やかな黄金色の壁とモスク風の
www.churobird.work サン・スーシ庭園の美しい景色を目に焼き付けてベルリンを後にしようと思ったのですが、帰国日の朝にホテルから見えた朝焼けがあまりに美しすぎて、もう少しだけベルリンを散歩してみることにしました。 今回の旅で一番足を運んだミッテ地区。新シナゴーグはオラニエンブルグ通り沿いに建っていました。道路の幅があまり広くないので、建物全体を写真に収めることに苦労しましたが、道行く人に不審がられながらも地べたに這うようにしてなんとか撮影。周囲に出来た高層ビルに囲まれてはいるものの、独特のオーラをまとった煌びやかな建物はハッとするくらいの存在感を放っていました。 最大で3000名が収容できる広い礼拝所を備えたこのシナゴーグ はナチス以前のベルリンのユダヤ人社会の象徴でした。1866年の完成式典では宰相ビスマルクが出席したという事実は、当時のベルリンにユダヤ人社会が深く根付いて
www.churobird.work ポツダムという地名で日本人の多くが真っ先に思い浮かべるのは、第二次世界大戦の際のポツダム会談とポツダム宣言です。連合国側からの降伏要求の最終宣言(ポツダム宣言)を日本が最終的に受け入れたことで終戦に至ったことは有名ですが、戦後70年以上たった今もなおこのポツダム宣言が日本の領土問題(北方領土や尖閣諸島)や外交問題に影を落としているのもまた事実。領土問題のニュースを見てはエキサイトするわたしにとってこの地名に良いイメージなどあろうはずもありません。ところが、テレビ塔で出会った出張ついでに観光中という日本人ビジネスマンとの立ち話で知ってしまったポツダムの「宮殿群と公園群」が世界遺産登録されているという事実。というわけで、自称世界遺産ハンターは、ベルリン中央駅からSバーン(近郊列車)で40分の隣街のポツダムにやってきました。 「ポツダム宣言」を読んだことがあ
www.churobird.work フリードリヒシュトラーセ駅からSバーンで北に向かうこと約45分、ブランデンブルク州のオラニエンブルク駅に到着しました。この街がオラニエンブルクと呼ばれるようになったのは17世紀。この街をとても気に入っていたフリードリヒ・ヴィルヘルム選帝侯の王妃ルイーゼ・ヘンリエッテ・フォン・オラニエンが、彼女の出身地のオランダ風のお城を建ててオラニエンブルク城と名付けたことが街の名前の由来です。となると、ここまでお城でも見に来たのかと思われるかもしれませんが、これから向かうのは、悪名高きナチスのザクセンハウゼン強制収容所・・・。 収容所行きのバスに乗ろうとバス停に行ってはみたものの、本数が少ない・・・。待っているより歩いた方が早そうなので、約2.5kmの道のりを徒歩で向かいました。収容所の目の前のバス停で帰りのバスの時刻をチェックしましたが、運の悪いことにその日は休日
www.churobird.work ヴィッテンベルク広場駅の地下鉄出口は中央分離帯の中にありました。地上に出た瞬間に、この場所の雰囲気がこれまで観光してきたエリアとなんだか違うことに気が付きます。それもそのはず、降り立ったこの場所はかつての西ベルリン。 すぐ目に前にKaDeWe(カーデーヴェー)が建っていました。アメリカのデパートをモデルにして1907年に建てられたデパートで、Kaufhaus des Westens(西のデパート)の頭文字をとって名づけられました。東西分裂時代の西ベルリンの富の象徴だったそうです。今でもドイツ最大級のデパートとしてこの場所に君臨しています。多くの観光客がそうするように6階の食品売り場でお土産を買い、イートインで食事をしてみました。 ちょっとした広場になった中央分離帯からタウエンツィエン通りを見ると、1987年に造られたオブジェがありました。東西ベルリンの
www.churobird.work 1都市1博物館・美術館が芸術キャパシティの限界と自認しているわたしですので、初めから興味のある博物館を狙い撃ちすることに決めていました。博物館島にある早々たる施設の中で、わたしが躊躇なく選んだのはペルガモン博物館です。ペルガモン博物館には、館名の由来にもなった「ペルガモンの大祭壇」を始めとするギリシャ、ローマ、中近東のヘレニズム美術品、イスラム美術品などが展示されています。博物館島の中でもとりわけ人気が高く、というか恐らく一番人気だと思うんですが、行きあたりばったりさんの呼び声高いわたしもさすがに事前予約をして臨みました。 館内に入っていきなり目に飛び込んでくるのが、大きなイシュタル門です。大きさだけでなく、釉薬で鮮やかに発色したレンガの青色の美しさに目を奪われます。愛と戦を司るメソポタミアの女神の名を冠したイシュタル門は、バビロニア王国の首都バビロン
www.churobird.work シュプレー川にかかるシュロス橋を渡ります。早く大聖堂に行きたくてあまりよく見ていませんでしたが、あらためて見ると欄干のデザインも凝っています。 ボーデ美術館の周りには何台もクレーンが立っていて、「絶賛工事中」ですが、歴史ある建物にはもれなくついてくるお馴染みの風景なので仕方ありません。 そして、とうとうベルリン大聖堂とご対面!近くで見ると、その荘厳な雰囲気に圧倒されてしまいます。ターコイズブルーが印象的な高さ114mのドームとそれを支えるネオバロック様式の建物の放つオーラ、とうてい写真では表現することが出来ません。堅実で芯の強い民族性の表れたドイツの建築物の中でも格段に力強く見えます。 中洲の反対に渡って北側から見ると中央のドームを4つの塔が囲んでいるのがわかります。イタリア・ネオルネッサンス様式の影響を多分に受けたこの壮大なプロテスタントの大聖堂は、
www.churobird.work 何のイベントなのかお祭り騒ぎのブランデンブルグ門をくぐって東側に伸びるウンター・デン・リンデンを歩こうと思っていたのですが、振り返ると、人だかりの向こうに映画「ベルリン天使の詩」でもその印象的な姿がおなじみの戦勝記念塔が見えていました。1㎞以上は離れているというのに頂上に輝く女神のオーラがスゴイです。というわけで、方向転換して勝利の女神を目指して歩くことにしました。 ベルリン・天使の詩 コレクターズ・エディション(初回生産限定) [Blu-ray] 出版社/メーカー: ジェネオン・ユニバーサル 発売日: 2012/11/02 メディア: Blu-ray クリック: 4回 この商品を含むブログ (6件) を見る 広大なティーアガルテンを貫く6月17日通りを歩いていくと、閑静な公園の中央にそびえる戦勝記念塔(ジーゲスゾイレ)とその頂きに立つ勝利の女神ヴィク
遡ること4年前、2015年5月のベルリン旅行記です。 ゴールデンウイークにも関わらず、6万円という破格の安さで航空券が売りに出ていたので飛びついてしまいました。円高バンザイ!の時代です。お気付きかと思いますが、わたしの旅先の8割は航空券の値段だけで決まっています。となると、それまで考えてもなかった場所に急に決まることが多く・・・ベルリンも例外ではありません。長らく東西を分断していた壁が壊される歴史的瞬間の映像を見たことがあるせいで知った場所だと思い込んでいましたが、よく考えたら社会の教科書に書いてあること以外の知識は皆無。慌てて本屋に走っては見たものの、地球の歩き方「ベルリンと北ドイツ」の初版本が出るよりもほんの少し早いタイミングで、他にベルリンのガイド本を出している出版社はありませんでした。やっとのことで探し当てたのは、地球の歩き方と同じ出版社が出しているGEM STONEシリーズの20
常日頃から旅先でその土地の美味しいものを食べることをミッションの1つにしていますが、普段から食べ歩きは大好きです。どちらかというとお気に入りの店はあまり人に教えたくない派ですが、期間限定のレストラン「ハルミ シーテラス(Harumi Sea Terrace)」のランチビュッフェに行ってきましたので、ちょっとだけレポートしてみます。 ハルミ シーテラス(Harumi Sea Terrace)は、ほっとプラザはるみという中央区の公共スポーツ施設の2階にありますが、区民や会員以外でも気軽に入れる340日間限定のレストラン・カフェ。https://www.chuo-hot.com/ お店の外観です。ビュッフェとなるとついつい外観なんか見ずに急いでしまいますが、お堅い雰囲気のある公共施設の内にあるとは思えないかわいらしい外観です。 ランチはビュッフェのみなので、入ってすぐのレジで先払いします。● 料
www.churobird.work いよいよ、わたしが一番見たかったグランド・プリズマテッィク・スプリングのあるミッドウェイ・ガイザー・ベイスンに向かいます。 ミッドウェイ・ガイザー・ベイスンはビスケット・ベイスンよりさらに6kmほど北上したところにあります。 駐車場からファイヤーホール川にかかる橋を渡ります。川沿いにゆらゆらと蒸気が立ち昇り、散在する間欠泉から時おり熱水が噴き上がる不思議な光景。「地球上で最も奇妙な川」という評価にあらためて納得します。 湧出した熱水が流れ込む川の土手は、繁殖したバクテリアで鮮やかに彩られています。流れ込む量は1分間に1900リットル!!ミネラル豊富な川には藻がよく育ち、それを餌とする魚もたくさん生息していて、その代表格がトラウト。その土地の名物を食べるのがわたしの旅のミッションの1つなので、ウエストイエローストーンのレストランで食べておいて良かった・・
www.churobird.work オールドフェイスフル・ガイザーからスタートしたガイザー・ヒルのトレイルには、これでもか!というくらい多くの間欠泉や熱水泉が並んでいましたが、広大なガイザーカントリーにはまだまだたくさんの見どころがあります。 まずは、ブラック・サンド・ベイスンから。オールドフェイスフル・ガイザーの西側一帯のこのエリアには黒曜石の砂が見られることに由来しています。でも、あちこちで立ち昇る蒸気にどうしても気が急いてしまい、足元など見ていなかったので、どれが黒曜石かなんて全く気にもしていませんでした。 ブラック・サンド・ベイスンで最も人気のある熱水泉がエメラルド・プールです。68度とやや低めの水温なので外周だけでなくプールの中までもバクテリアや藻が繁殖して黄色くなっています。ここに青空が映り込むと美しいエメラルドグリーンに見えるため付けられた名前です。以前に比べると徐々に温度
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