サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
www.saiusaruzzz.com
少し前に「済州島四・三事件」に興味を持った。 この事件は韓国でも長く触れられることのない件だったが、2000年代に入ってようやく公に解明しようという機運になった。 日本だと金石範の「火山島」が有名なので読んでみた。 火山島 1 作者:金 石範 文藝春秋 Amazon ハードカバーで全7巻という凄まじい分量の小説だ。 当時、島全体がどんな様子で、島内から見るとどんな経緯で物事が起こったかがわかるところは良かったが、創作としては冗長すぎる*1。 「火山島」は実際の事件を背景にしているとはいえあくまでフィクションなので、事件に関して書かれた本を読みたいと思い探したところ「島の反乱、1984年四月三日 ー済州四・三事件の真実ー」という本を見つけたので読んでみた。 島の反乱、一九四八年四月三日 済州四・三事件の真実 作者:玄 吉彦 同時代社 Amazon この本に興味を惹かれたのは、「四・三事件」に
オパールの炎 作者:桐野夏生 中央公論新社 Amazon 桐野夏生のインタビューを読んだことをきっかけに、ずっと読みたいと思っていた「オパールの炎」を読んだ。 一気読みしてしまった。 桐野夏生の作品は、何よりまず創作として抜群に面白い。先が気になって、読み終わらないと本が置けない。 「オパールの炎」は五十年前に、中絶を禁止した法律に反対しピル解禁を求めた、女性活動家・榎美沙子(小説では塙玲衣子)をモデルにしたセミフィクションである。 塙に興味を持ったライターの女性が、かつて塙の周りにいた人たちにインタビューをしていく形式で話は進む。 「塙玲衣子」は五十年前は有名だったものの、消息が絶えてから長い時間が経っている。 多くの人は関心も記憶も薄れている。 インタビューを受ける人たちは、性別、年代、学歴、生きてきた環境、性格、物の考え方、塙との関わりかたなどすべてが違う。 思い出して懐かしむ人もい
www.saiusaruzzz.com ↑の本を読み終わったタイミングで、ちょうどNHKで1998年に制作されたルワンダの虐殺についての番組を放送していたので、合わせて見てみた。 「なぜ隣人を殺したか」は、94年4月のジェノサイドの時に、幼い甥と姪を殺してしまった少年フランソワに焦点を当てている。 フランソワの父親はフツ族、母親はツチ族であり、兄はフツ族の女性と結婚し、姉はツチ族の裕福な家庭に嫁いだ。 94年の4月に裕福なツチ族だった姉一家は真っ先に殺されたため、フランソワの一家が幼い甥と姪をかくまっていた。 しかし兄が村の仲間に密告したため、村の人間たちが家にやって来る。 「甥と姪を殺さなければお前を殺す」と脅されたフランソワは、やむなく子供たちを殺した。 フランソワが三年の刑期を終えて、家に戻って来たところから番組が始まる。 対立していた家族が実際に出演し、虐殺されて放置された人々の映
変な家2 ~11の間取り図~ 作者:雨穴 飛鳥新社 Amazon 一見無関係に見える11の間取り図とそこにまつわる謎から、背後に隠れている不気味なストーリーが浮かび上がる「変な家2」を読み終わった。 ひとつひとつの間取りにまつわる話は、単体だけでも面白い。 特に序盤の「①行先のない廊下」「②闇をはぐくむ家」「③林の中の水車小屋」「④ネズミ捕りの家」「⑤そこにあった事故物件」は、それぞれまったくの別の不気味さ、怖さ、謎があるため、読み進むごとに怖さが増幅していく。 「②闇をはぐくむ家」に出てきた、「どの家に住むかでどういう生活をするかが定まり、そのことによってある程度人格が形成されていく」「家の穢れを取るなんて、まるで人よりも家が偉いみたいじゃないか。そうではなく、亡くなった人を家から解放する仕事なのだ」という特殊清掃員の飯村さんの話は全体のストーリーに関わると同時に、「変な家」シリーズに通
立花隆の「日本共産党の研究(一)」を読んでいる。 日本共産党の研究(一) (講談社文庫) 作者:立花隆 講談社 Amazon その中に書かれたこの文章が良かった。 私の基本的な社会観はエコロジカルな社会観である。多様な人間存在、多様な価値観、多様な思想の共生とその多様な交流こそが、健全な社会の前提条件であると考えている。 したがって、あらゆるイデオロギーとイデオロギー信者に寛容である。 しかし、その存在に寛容であるということは、それに対して無批判であるということは意味しない。思想とか価値観とかの間には、批判的交流があればあるほど豊かになると思うからである。 (引用元:「日本共産党の研究(一)」立花隆 講談社 P5/太字は引用者) この本の連載を書いていた当初、批判の応酬があったらしく、当時の共産党の在り方に対してかなり強い調子の批判や反論が載っている。 ただそれでも共産党自体は排除されるべ
経済学に何ができるか - 文明社会の制度的枠組み (中公新書) 作者:猪木 武徳 中央公論新社 Amazon メインは経済の話だが、それ以外もなぜそんな社会制度があるのか、どんなリスクに対応しているか、ということが書かれていて面白かった。 副タイトルである「文明社会の制度的枠組み」のほうが内容を表している。 中でも第七章に出てきた「学問、言論の自由はなぜ保障されているか」という話が面白かったので、メモがてら紹介したい。 物事を知る、あるいは自由に発言するということには、「私的」な精神的欲求と、「社会的」効果というふたつの側面が存在する。(略) 私的なレベルでの知る自由・発言する自由は、公共の福祉を増大しうると同時に、公共性という観点からの制約を受けることがあるからだ。 (引用元:「経済学に何ができるか 文明社会の制度的枠組み」猪木武徳 中央公論新社 P133 太字は引用者) 誹謗中傷などの
※既刊11巻までの若干のネタバレがあります。未読のかたはご注意ください。 別に魔法じゃなくたって… 種﨑敦美 Amazon 「葬送のフリーレン」のアニメがついに始まった。 第一話を見て(おこがましくて申し訳ないが)「アニメになるならこういう要素を取り入れて欲しい」と思っていた風になっていて嬉しかった。 原作の第一話を読んだ時は読者にも、フリーレンとヒンメルの認識にどれほど落差があるかはわからない。 読者もフリーレンと一緒に思い出を追体験する。その思い出がヒンメルにとってどれほど貴かったかを知ることで、フリーレン(自分)にとってその思い出がどれほど得難いものかを知っていく。 だから原作の第一話は「ヒンメルとフリーレンは、思い出に対して認識に差があること」を中立な視点で客観的に知る造りになっている。 「私、この人のことを知らないし……」と言って泣き出すフリーレンと同じように、読者もヒンメルがど
「藪の中」は慣用句として用いられるくらい有名だが、「関係者の話が食い違っていて、真相がよくわからない話」のことだ。 芥川龍之介 藪の中 藪の中・将軍 アニメカバー版 「文豪ストレイドッグス」×角川文庫コラボアニメカバー 作者:芥川 龍之介 KADOKAWA Amazon こういう話をもっと読みたいが、調べかたが難しい。(「藪の中みたいな話」「藪の中に似た話」で調べても余り出てこない) 自分以外にも「藪の中愛好家」がいると思うので、自分が「これは良い『藪の中』」と思うものを載せておきたい。 「月明かりの道」ビアス 芥川龍之介は、この話に触発されて「藪の中」を書いたと聞いたので読んでみた。 雰囲気はおどろおどろしさ満載の古き良きゴシックホラー調でいいのだが、真相がひとつしか解釈しようがないので若干期待外れだった。 「藪の中」のオマージュ元だが、「藪の中」ではない気がする。(ややこしい) ビアス
*ネタバレ感想です。未読のかたはご注意ください。 ノー・カントリー・フォー・オールド・メン (ハヤカワepi文庫) 作者:コーマック マッカーシー 早川書房 Amazon 「ノー・カントリー・フォー・オールド・メン」(以下「ノーカントリー」)は映画化もされてマッカーシーの作品の中でも特に有名だ。 「ブラッド・メリディアン」とも「国境三部作」とも「チャイルド・オブ・ゴッド」とも「ザ・ロード」とも違う、(基本的には)犯罪エンタメ小説である。 物語の外枠である、麻薬カルテルの金を横取りした男が、その金を取り返そうとする殺し屋に追われるというストーリー部分が滅茶苦茶面白い。 展開がスピーディで容赦がないので、ページをめくったらどうなるかが予想がつかない。 「ノーカントリー」を読んで気付いたが、余分な描写を極限まで削っているマッカーシーの文体はエンタメ小説と相性がいい。 コーマック・マッカーシーの文
www.hayakawabooks.com 「それな!」という感想しかなく(失礼)いいねを百個くらい押したい。 特に文章に言及した箇所には共感しかない。 どのページを開いてもおわかりのように、コーマック・マッカーシーは会話にカギ括弧を使わず、地の文に読点をほとんど打たない。 だからといって、書き手の感情にまかせた饒舌に陥ることはなく、行為と事物が淡々と描かれる。 神なき時代の叙事詩的文体とも呼べる。 言うまでもないが、たんに文章からカギ括弧や読点を排除するだけでは、マッカーシーのような文体にはならない。 それは事実への冷徹な観察眼から生まれたもの(後略) (引用元「コーマック・マッカーシーが教えてくれた『書くことの本質』」 佐藤究/太字は引用者) 専門家ではない自分の適当な印象を話すと、アメリカの現代文学はハードボイルドの影響が強いのか「叙情を徹底的に排除する」文体の人(特に男の作家)が多
ドラマ「だが、情熱はある」オリジナル・サウンドトラック アーティスト:音楽:T字路s バップ Amazon 毎週毎週待ち遠しくて仕方がない「だが、情熱はある」の第九話を見た。 これは二人の物語。 何者かになりたくて、でも何者になればいいのかわからない。 でもここからもがき続ける。二人の本当の物語。 しかし、断っておくが友情物語ではなし、サクセスストーリーでもない。 そしてほとんどの人において、まったく参考にならない。 だが。 情熱はある。 このオープニングナレーションで、毎度毎度テンションが爆上がりする。 どう考えても、そこは泣くところじゃないだろというところで涙が止まらなくなる。 今回は、若林が駄菓子屋の前で、「ズレ漫才」を思いついて彼女に意気揚々と「すっごいの思いついた」「体にマグマみたいなものを感じている」と話すシーンで涙腺が緩んだ。 自分でも何で泣いているのかよくわからない。 山里
*「隠蔽するための物語」と思われる話についてのネタバレが含まれます。 www.saiusaruzzz.com 「一方通行の家」が自分にとって面白かった理由である「隠蔽するための物語」(造語)について話したい。 「隠蔽するための物語」とは何かは、以前↓のnoteに書いたことと重なる。 創作において「『作品が語ることができないこと』に注目する」という考え方。|うさる 「ある作品において重要なのは、それが言っていないことがらである。これはしばしば不用意にそう表示されているような『それが言うことを拒絶していることがら』とは同じものではない。(略) これよりもむしろ、作品が言うことをできなかったことがらのほうが重要である」 (「サバルタンは語ることができるか」G・C・スピヴァク/上村忠男訳 p47-48/太字は引用者) 「隠蔽するための物語」は「本来の構図を隠すために存在する物語」である。 表現は普
世界 2023年3月号 岩波書店 Amazon 伊藤昌亮「ひろゆき論」を読んだ。 この記事で一番良かったところは、自分自身の感覚や感情はおいておいて、「ひろゆきの言動への支持が広がるのは何故か」という理由を解き明かすことを重視しているところだ。 記事を読もうと思ったきっかけも「『自分が理解しがたい言動が支持される構図』を考えようという姿勢がある」という紹介を読んだからだ。 自分がこの記事の要点だと思ったのは、この部分だ。 (リベラル派の「弱者リスト」の構成員に含まれない)人々は、リベラル派のプログラムで救済されることはない。 (引用元:「ひろゆき論ーなぜ支持されるのか、なぜ支持されるべきではないのかー」伊藤昌亮 世界2023年3月号 P186/太字・括弧内は引用者) 自分が読み取った限りだと、「ひろゆき論」の主旨はこうだ。 ひろゆきを支持しているのは、いわゆる「ダメな人」である。 「ダメな
鈴木亮平主演で映画化された「エゴイスト」の原作を読んだ。(映画は未視聴) 鈴木亮平の寄稿文によると、作者にRと呼ばれる恋人がいたこととその母親と交流があったことは事実らしいが、「小説」と銘を打っているので「小説として」読んだ感想を書きたい。 「エゴイスト」は恋愛小説ではない。罪を犯した*1主人公による懺悔と赦しの物語である。 *以下ネタバレを含むので、未読のかたは注意。 エゴイスト (小学館文庫) 作者:高山真 小学館 Amazon 恋愛小説のはずなのに、という妙な違和感。 主人公の浩輔は友人の紹介で出会ったパーソナルトレーナーの龍太に惹かれる。初めて会った時から強く惹かれて、龍太から別れを告げられた後も、追いかけて生活の困窮から売春をしている龍太に、月々の援助を申し出る。 ここまで読んだときは、龍太は愛情がありつつも浩輔を利用する関係になり、「愛だけでも利己的な気持ちだけでもない」という
*本記事には映画「THE FIRST SLAM DUNK」、漫画「SLAM DUNK」のネタバレが含まれます。ご注意ください。 【映画パンフレット】 THE FIRST SLAM DUNK 監督:井上雄彦 声の出演:仲村宗悟、笠間淳、神尾晋一郎、木村昴、三宅健太 スラムダンク 東映 Amazon 噂にはちらほら聞いていたが、まったく別物で驚いた。ストーリーが土台から違う。 「主人公を宮城に変えた」というより、「描きたいことがまったく違うので、必然的に主人公が変わった」のではと思った。 原作者による「原作が解釈違い」である。こんなことがあるのか。 映画版と原作の違いは、23巻の水戸のセリフが表している。 映画「THE FIRST SLAM DUNK」と漫画「SLAM DUNK」の違いは、完全版23巻で水戸が言ったセリフに尽きる。 かつての花道なら、絶対に殴っているよ。試合なんか関係なしに。
とある短編恋愛漫画の三角関係に引っかかるものを感じたので、何がそんなに引っかかるのか考えてみた。 諸事情*1あってタイトルは出さないが、読んだことがある人は設定ですぐに気付くと思う。 そこまで複雑な状況ではないので説明する。 状況説明 クロ、モモ、シロ*2は小学校時代からの幼馴染みで仲良し三人組。 クロはずっとモモが好きだった。 しかしある日、モモに「ずっとシロが好きだった。中学卒業と同時に告白しようと思っている」と言われる。 クロは何も知らないシロに策略を仕掛け、シロが告白を断る方向へ持っていく。 策略が当たり、シロはモモの告白を断る。 傷ついて落ち込んでいるモモにクロは告白し、二人は付き合うことになる。 時が流れて、三人は大学生になる。 シロは、モモとクロとは疎遠になっている。 モモとクロは四年ほど付き合っている。 シロはある日、モモとクロが付き合っている姿を目撃し、クロが自分に言った
無知の涙 (河出文庫) 作者:永山則夫 河出書房新社 Amazon 「無知の涙」を初めて読んだのは、永山則夫がこの本を書いたのと同じくらいの年齢の時だった。 その時は「何の罪もない人を四人も殺しているのだから、どんな言葉も言い訳でしかない」という気持ちしかなかった。 今回久し振りに読んでみたら、以前とは見方が変わった。 「自分の苦しみに社会は応えようとしてくれなかった。顧みることすらしなかったのに、殺人を犯したら自己実現できてしまった」 この事実は、本人にとっては*1殺人さえ肯定出来てしまうような強烈な根拠になりうる。 「殺人を犯さなければ、自分は一生知識を与えられず牛馬のように生きていくしかなかった、社会はそれを放置していた」と言われれば、反論することは難しい。 しかし本書の中で、永山はそういう強烈な実感の中で生きているにも関わらず、「罪のない人を殺したこと」を正当化しようとはしていない
2022年もあと三日だ。はええええ。 個人的には、2022年は遊び呆け過ぎたという反省が大きい。 ネットで色々やりすぎ。 7月時点で考えた「やりたいことリスト」が役に立っていなさすぎてびっくりする。 やりたいことがたくさんあって時間が足りない。焦らないように、「やりたいことリスト」を作って頭を整理したい。|うさる|note 7月に「これじゃあ駄目だ、使える時間は限られているのだから優先順位をつけなければ」そう思って頭を整理した。 何でも早く出来る、効率よく時間を使える人ならいいのだ。(羨ましい……) 自分はそうではない。何をやるにも時間がかかる。 単純に速度が遅いというのもあるし、例えば隙間時間で何かを書いたりすることが出来ない。 途中で止めなければならないと、再開する時にまた一から思考を辿らなければいけない。驚くほど要領が悪い。まとまった時間が取れないと、それがストレスになる。 そういう
*ネタバレ注意。 ついに終わってしまった。「鎌倉殿の13人」が。 あれほど様々な人が出てきて、色々なことがあったにも関わらず、「鎌倉殿の13人」は自分にとっては最初から最後まで義時の物語だった。 伊豆の名のない家の次男坊に生まれて、気がいいだけの父親と気宇壮大な兄、気の強い姉と妹に挟まれて、家の中でさえ目立たない地味な存在だった。 義村が最後にぶちまけていたように、冴えない真面目であることだけがとりえの、その真面目ささえも、時に空気の読めなさや不器用さとして出てしまうような男だった。 表向きのことは人付き合いのいい父親や人を惹きつける明るさのある兄が引き受け、面倒な裏方のこと、細かいことは全部押し付けられる。それも「自分はこういう人間だから」と特に不平不満も言わずに損な役回りを引き受ける、そういう男だった。 立ち位置が変わっても、義時はずっと変わらなかった。 「おなごは皆きのこが好き」と言
承久の乱「後鳥羽上皇」惨敗させた三浦義村の決断 | 歴史 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース 「吾妻鏡」における「承久の乱」が始まるまでの、主に三浦家の動きの解釈を書いた記事を読んだので、「鎌倉殿との13人」のストーリーと読み比べてみた。*1 *以下引用はすべて上記記事より。太字は引用者による。 義時が名指しされていることから、「後鳥羽上皇の目的は倒幕ではなく、義時を討つことだった」とする説もある。(略) 幕府の最高権力者である義時を征伐するということは、幕府を無力化することにほかならず、目的は「倒幕」以外のなにものでもない。これが「承久の乱」の始まりである。 「義時を討つ、ということは当然、鎌倉を倒幕するという含意がある」という解釈と「義時を名指ししていること」を字義通り受け取る解釈があるようだ。 この辺りは当時の風習や後鳥羽上皇の性格など周辺情報から、どちらが通説か
変な家 作者:雨穴 飛鳥新社 Amazon 「変な家」で有名な雨穴のYouTube動画を何本か見たので、感想のまとめ。 ★【奇妙なブログ】消えていくカナの日記(17:54) 見た中では一番面白かった。 内容はシンプルで雨穴の話にしてはオチに捻りないが、むしろそこが良かった。 他の話は自分の好みからすると趣向を凝らしすぎなのかなあと感じた。 ★とある一軒家で見つかった、不気味なビデオテープの真相 (49:00) 動画ではなくオモコロの記事で読んだ。 オチはツッコミどころが多いが、中盤までは安定の面白さだった。 ★【ミステリー】人形に録音された、子供の声の謎(49:58) これも面白かった。 オチが若干リアリティがないかなと思うが、全体的に見ると全然許容範囲。 子供の絵が小道具に使われているが、見ようによっては怖いということに気付いたところが凄い。 ★異形の牢獄 (10:32) だいたい想像通
昨日も滅茶苦茶面白かった。 ここまでアッと言う間だった。 あと二回かあ。もっと続いて欲しいと思ってしまう。 と思いながら、今朝、三浦義村を演じる山本耕史のインタビューを読んだ。 「演じる役だから考える」ということとは別に、単純に「演じる俳優が自分の役を他人として見た時に、どういう人間と考えているのだろう」ということに凄く興味がある。 山本耕史から見た義村像は、「そこが義村の面白さだよな」と何度も頷くものだった。 *以下引用は全て上記インタビューより。太字は引用者による。 義村は、自分の得になることのためなら何でもする人という感じがするんです。 だから、幼なじみである義時はもちろん嫌いじゃないし、無二の親友だとも感じてはいるのですけれど、彼のために自分を犠牲にするかといったら絶対にそんなことはしない。 そこが義村のドライなところというか、怒りを感じたとしても、それをどのようにぶつけるのかとい
今までBLはほとんど読んだことがなかったが、「エネアド(ENNEAD)」は無茶苦茶面白くハマっている。 個人的には「エネアド(ENNEAD)」はBLというジャンルを超えて、普遍的なことが描かれていると思う。 *ネタバレ注意。 「エネアド」は、「普通の男・セト」が抱く「自分とは何なのか」という存在不安を描いた物語。 「エネアド」の主人公・セトは、善良で家族思い、友人を大切にし、社会で責任を果たし、乱暴な言動をとることもあるが基本的には優しいごく普通の男だ。 (引用元:「ENNEAD」5話 MOJITO) そんな「普通の男」であるセトが「社会の中で生きることによって封じられていた、自分という存在に対する不安」に否応なく対峙させられる。 良き夫、良き父親、良き社会人(エジプトの守り神)で「自分が何者であるか」という疑問をちらりとも考えたことがないセトを根底から揺さぶったのが、生命の神である兄オシ
「すずめの戸締まり」を観てきた。 リアルで知人から「面白かったか?」と聞かれたら、「けっこう面白かった」と答えると思う。 これはこれで素直な感想だ。 ただリアルではたぶん話さない、クソ面倒臭い疑問や不満もあるので、聞いてもいいという人は良かったらお読みください。 ※前振り。 www.saiusaruzzz.com ※以下ネタバレ注意。 ミミズは歴史を貫いて、この地に流れ続けるものである。 自分は「すずめの戸締まり」は、その場所に住む人、生きてきた人の「集合的記憶」をどう扱うべきか、という話として観た。 人の記憶(歴史)というのは、その地で育ってその地そのものになる。 その記憶の集合体が方向性を誤ると、より巨大な災厄(という名前の力)になる。だからその記憶を正しく積み上げ、その地と共存していく。 自分も自然と歴史とその地に住まう人間の関係はこういうものだと思う。(この話を具体的な事例に落とし
「HUNTER×HUNTER・暗黒大陸編」の情報整理。 前回は「出航前の状況」を整理した。 www.saiusaruzzz.com 今回はカキン帝国の王位継承について、主に参加する十四人の設定を整理してみた。 カキン帝国王位継承戦の勝者の条件 十四人の王子のうち 「生き残った唯一名が王位継承者」 「それをどう解釈するかも含めての王位継承戦」(363話) 継承戦のルール ①王族殺しは一族もろとも処刑。(365話) ②王妃といえども王子を暗殺すれば投獄される。(360話) ③王子たちにとっても王族殺しは極刑。(389話) 王妃同士には序列がある。 ①下位の王妃から上位の王妃には連絡出来ない。 ②上位の王妃は下位の王妃に一人、監視を付けられる。基本的には警護の任務はこなすが、依頼主である王妃と王子の安全を脅かさない限りは、という条件付き。(360話) 守護霊獣 王子たちが壺中卵の儀式を行うことに
*独自解釈に基づく話です。 *この記事には、ドラマ「Nのために」と漫画「アスペル・カノジョ」のネタバレが含まれます。 www.saiusaruzzz.com 「アスペル・カノジョ」は何かに似ていると思って、思い出したのがドラマ「Nのために」だ。 www.saiusaruzzz.com 自分の中ではこの二作は、両方とも「自分が持つ『生きづらさ』から避難するために一時的に分裂していた『自己』を、統合させる過程の話」だ。 「アスペル・カノジョ」では、メタ横井が自身の生きづらさを仮託した恵を切り離すことで、とりあえず作内の横井を生き延びさせた。 「Nのために」では、希美が生きるために捨てた「母親を捨てたい気持ちと捨てる罪悪感」を、西崎が引き受けている。 「この二作は似ている」ということは後から思いついたのに、感想ではまったく同じことを書いている。 「アスペル・カノジョ」の感想*1は 自分はこの物語
*漫画「アスペル・カノジョ」の結末までのネタバレが含まれます。未読のかたはご注意下さい。 これまでのあらすじ。 「アスペル・カノジョ」は、主人公が「物語世界」にいない。 「なぜ、主人公のお前がここにいる?」という驚愕。 「アスペル・カノジョ」の真の主人公・メタ横井は、物語の外の世界にいる。 「作内横井」と恵は、両方ともメタ横井の分身である。 恵は、二人の横井の「生きづらさ」そのもの。 メタ横井は、自分と「自分の生きづらさ」が出会い共に生きる「アスペル・カノジョ」を描いた。 まとめ:観客席でずっと怒り続けていたから、自分も「参加した」という楽しさがある。 余談1:赤川は、社会に出て二十年後の横井。 余談2 これまでのあらすじ。 漫画「アスペル・カノジョ」は、横井→恵の一方通行の話なのにそれを隠していることにうんざりし、6巻で読むのを止める。 www.saiusaruzzz.com 気を取り直
noteのほうで、自己肯定感の低下には罪悪感ルートと無価値感ルートがあるのでは、という自分の考えを書いた。(※あくまで個人的な考え) 罪悪感と無価値感にまつわる、人間関係で生じやすい問題について考えたこと。|うさる|note 話を簡単にまとめると、 罪悪感ルート 「自分は状況を何とかする力があるのだから、責任がある。状況を何とかできなければ存在はマイナスである」という感覚から生じやすい。 高じると「価値の搾取」という支配を行いやすい。こじらせると被害者としての自分を一切認められなくなり「俺は強い。俺は悪である」という猗窩座のような状態になる。 無価値感ルート 「自分は弱く、世界を変える力がない。人から選ばれなければ何も価値がない」という感覚から生じやすい。 高じると「罪悪感コントロール」という支配を行いやすい。こじらせると加害者としての自分を一切認められなくなり、「可愛そうな自分に、世界す
*最終巻まで読んで、色々と考えた最終的な感想。 www.saiusaruzzz.com *タイトル通り批判的な感想です。 アスペル・カノジョ(1) (コミックDAYSコミックス) 作者:萩本創八,森田蓮次 講談社 Amazon 「アスペル・カノジョ」を6巻まで読んだ。 どうにもこうにも読むのが苦痛になったので、読むのを止めた。 その理由を自分の頭の整理がてら書きたい。 読むのを止めた理由は、「発達障害の描写」とは関係がない。むしろその点については、発達障害の一事例を知れたのでとても良かった。 横井や恵に自分と重なる点が多くあり、作内で二人も言っているが、「自分だけじゃなかったんだ」と思うことが何回かあった。 この話が「発達障害自体がテーマ」(つまり恵のほうが主人公)だったら、たぶん最後まで興味を持って読んだと思う。(実際、恵の症状を知る三巻くらいまでは読んでいて面白かった) 自分にはこの話
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『うさるの厨二病な読書日記』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く