コンテンツブロックが有効であることを検知しました。 このサイトを利用するには、コンテンツブロック機能(広告ブロック機能を持つ拡張機能等)を無効にしてページを再読み込みしてください。 ✕
コンテンツブロックが有効であることを検知しました。 このサイトを利用するには、コンテンツブロック機能(広告ブロック機能を持つ拡張機能等)を無効にしてページを再読み込みしてください。 ✕
信州上田の蚕種協同組合の入口にあるロゴマークと装飾。上州や信州には蚕や繭、蚕蛾をモチーフにした装飾は数多く見られる。本稿の内容とはあまり関係がないイメージ写真(笑) 官営時代の富岡がどれぐらい赤字を出していたのか調べようと思ったのだが、自宅にいて調べる範囲では限界があった。いくつかの資料が赤字であったとしているのだが、具体的な記述がなく、唯一数字があった別の資料は若干の赤字と黒字を行き来してるものだった。 巨費を投じて大工場を建て、その直後から黒字なんてのもおかしな話であるが、敷地は草ぼうぼうで建物内は乱雑であったというから、節約第一で頑張ろうとしたことはうかがえる。 あと、数名のフランス人の給料が無くなったことで黒字が増えていた。いくら外国人の給料が高いといっても、それが収支に大きな影響を与えるような事業規模なら黒字もたかが知れている。 でも、前の記事の「赤字」というのを「収益があがらな
5月27日、宮内庁は高円宮家の次女、典子女王のご婚約が内定したと発表した。典子女王は大正天皇(第123代)の曽孫(ひまご)にあたられ、女性皇族が結婚で皇籍を離れられるのは、平成17年に結婚された天皇、皇后両陛下の長女、紀宮清子内親王(現、黒田清子さん)以来のことであり、また、天皇の曾孫以遠の女性皇族である女王のご結婚は戦後初めてという。 お相手は出雲大社禰宜(ねぎ)の千家国麿(せんげくにまろ)さんである。千家家は代々出雲大社の宮司を務める名家で、今の宮司の長男である国麿さんも、いずれ宮司を継ぐべき責務を負っている。これまでも公家から千家家に嫁がれたことはあったが、皇室からの初めてのお輿入(こしい)れに現地の喜びは一入(ひとしお)のものがあり、全国的にも9年ぶりの皇室の慶事に各地から祝福の声が沸き上がった。 ≪惜しまれる桂宮さま薨去≫ ところが、それから10日ちょっとたった今月8日、今度は皇
翁長雄志那覇市長 政府がサンフランシスコ講和条約発効を記念し「主権回復の日」式典を28日に開催することについて、那覇市は17日、沖縄などが日本から分離された「屈辱の日」の深い悲しみを表す紺色を市役所に掲げると発表した。イメージカラーの掲示で、4・28に対して「残念、無念、失望」など、政府の認識とは異なる「複雑な思い」の歴史認識を明示する。 県民感情に配慮を欠いた式典開催に対して、県内自治体が独自の意思表示を始めた。 那覇市の翁長雄志市長は17日の定例記者会見で「(28日は)親元から引き離された『屈辱の日』であり、当日紺色を市役所、支所に掲げる」と述べた。那覇市独自の取り組みで、県市長会の了承を得ている。翁長市長は「紺は青色系の寒冷色で、マイナスイメージとして失望、悲しみなどがある」と説明。「政府の式典開催を見て見ぬふりはできない。那覇市の思いを発信することは大切なことだ」と述べた。旗、幕な
宮里政玄さん「4月28日は苦しみの起点」 Tweet 政治 2013年3月9日 09時55分 1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効で、日本の一部は主権を回復した。一方、切り離された奄美・沖縄は米軍統治下に置かれ、沖縄は今なお米軍のアジアの拠点として過重な基地負担を背負う。安倍晋三首相が「主権回復の日」とする4・28は沖縄にとってどのような意味を持つのか。沖縄対外問題研究会顧問で日米関係に詳しい宮里政玄さん(81)に聞いた。(聞き手・福元大輔) サンフランシスコ講和条約発効で主権を回復したのは「北緯29度以南の南西諸島を除く日本」で、これを「主権回復の日」とするなら「沖縄は日本ではない」と受け取られても弁解できない。安倍首相の認識不足か、無意識のうちにそういった主張が出たなら、沖縄切り捨ての姿勢が今も続いていると言うしかない。 米国の軍部は45年の沖縄戦終結直後から「沖縄は非常
京都市左京区の平安神宮神苑で無料公開【4K動画】(2024年6月7日)Free admission at Heian Shrine Garden in Sakyo Ward, Kyoto City
米軍普天間飛行場を抱える沖縄県宜野湾市で12日、「沖縄県祖国復帰40周年記念大会」が開かれた。 日の丸が打ち振られるなか、実行委員長の中地昌平・日本会議沖縄県本部会長が「5月15日を米軍基地を押し付けられた屈辱の日とする風潮があるが、断じてそうではない。祖国復帰は沖縄の誇り」と訴えた。 沖縄ではこの時期、5月15日を「新たな屈辱の日」とする市民団体などがデモ行進を展開する。地元メディアは大々的に報じるが、復帰を肯定する行事はほとんど伝えない。 各メディアや市民団体は、沖縄地上戦や戦後の米軍統治、復帰後も存在する米軍基地問題を沖縄の苦悩の象徴とし、反日・反米闘争の大義名分にする。だが、大会に参加した60代の男性は「基地受け入れに対する被害者意識が根強いのは事実」としながら、「復帰40年の今、沖縄は平和で何ら苦悩はない。ただ、あいも変わらない反日反米闘争には辟易(へきえき)だ」と話す。 確かに
昨年3月11日の東日本大震災のあと初めて迎えるきょうの「建国記念の日」は、例年にもましてその意義が一段と強く胸に迫ることだろう。 大震災と原発事故によってわが国は未曽有の困難に直面し、今は復興と並んでさらに多くの難題が加わっている。内に経済不安や急激な少子化による国力の衰退懸念を抱え、外との間では、領土・領海が中国などによって脅威にさらされ、日米同盟の弱体化が国家の安全保障を不安定なものにしている。 わが国の存立基盤は危機的状況にあるといわざるを得ない。 しかし、危機をはね返す底力は日本人に備わっているはずだ。先の敗戦後でも、日本人は一致団結して復興を成し遂げた。 思い起こしたいのは、被災地で命懸けの救援にあたった自衛隊の活躍だ。救出した人は1万9千人を超える。国家と国民を守る組織があったればこそだ。絶望の中で冷静に行動して助け合った日本人の姿も、目に焼き付いている。 国民の多くがそこに民
正月の話を今ごろ持ち出すのも気がひけるが、2日の新年一般参賀の折にふと見かけた光景から、いろいろと考えさせられることがあった。坂下門を出ての帰り道で年配の女性数人が、売店で求めた皇室カレンダーかと思われる品を、それぞれ何本も手にしているのが目についた。 遠方から上京してきた人たちだろうか、帰って親類や近所に配るのだろうか、それにしても地方では経済的、時間的、体力的な事情からやむなく参賀を諦める人も多かろうに…などと想像しつつ、東京やその近辺に住む者の冥利(みょうり)をあらためて思った。東京はやはり「都」なのだ、と。 ◆天皇のまします「都」 「都」といえば昨年、橋下徹大阪市長らが掲げる「大阪都」構想について、同市長選で橋下氏を応援した石原慎太郎東京都知事が「都は『キャピタル』。元首と国会がある所だ」として、「大阪都」の名称に難色を示した。 「大阪都」の実現には地方自治法などの改正が必要で、そ
根拠が欠けていても願望にそった主張は信用してしまうという、人間がかかえた欠点をあらわにする道具としては、素晴らしいサイトではある。 最近でも、一部を2ちゃんねるへ転載したものを重ねて転載したブログが、下記はてなブックマークを見てのとおり話題となった。 はてなブックマーク - 韓流がなぜ"駄目"なのか、>>1が淡々と教えてやるスレ:ハムスター速報 はてなブックマーク - 韓流がなぜ"駄目"なのか、>>1が淡々と教えてやるスレ:哲学ニュースnwk 一例をあげると、下記の南京大虐殺否定論は「ここでは簡単なまとめだけで割愛させて頂く」*1と箇条書きした文章をそのまま転載したものにすぎない。 206 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/24(月) 00:56:36.29 ID:8qI8aKlY0 では、南京大虐殺について。 なぜ突然、『それまで無かった話』が湧いて出たの
関東大震災を経験した芥川龍之介が、下記のように菊池寛とやりとりした文章を残している。 芥川龍之介 大正十二年九月一日の大震に際して*1 僕は善良なる市民である。しかし僕の所見によれば、菊池寛はこの資格に乏しい。 戒厳令の布かれた後、僕は巻煙草をくわへたまま、菊池と雑談を交換してゐた。尤も雑談とは云ふものの、地震以外の話の出た訣ではない。その内に僕は大火の原因は○○○○○○○○さうだと云つた。すると菊池は眉を挙げながら、「嘘だよ、君」と一喝した。僕は勿論さう云はれて見れば、「ぢや嘘だらう」と云ふ外はなかつた。しかし次手にもう一度、何でも○○○○はボルシエヴイツキの手先ださうだと云つた。菊池は今度は眉を挙げると、「嘘さ、君、そんなことは」と叱りつけた。僕は又「へええ、それも嘘か」と忽ち自説(?)を撤回した。 再び僕の所見によれば、善良なる市民と云ふものはボルシエヴイツキと○○○○との陰謀の存在
11日の「建国記念の日」を前に、西岡武夫参院議長が政府主催の祝賀式典を行うべきだとする書簡を菅直人首相あてに出した。 書簡では「いやしくも国家の基本精神に関する国の祝日である以上、政府が率先してこの日を祝うことは、極めて当然のことであると思われる」と記されている。 まったくその通りだ。西岡氏の主張が一刻も早く受け入れられ、政府主催の式典が実現することを強く望みたい。 「日本書紀」によれば紀元前660年、初代神武天皇が橿原宮(奈良県)で即位した。現行暦に直せば2月11日にあたり、その日をもって日本の国づくりが始まったのである。 神話につながる建国の物語は、その後の日本の歴史を連綿と生き続けた。王朝が断絶し次々交代する国がほとんどのなかで、奇跡ともいえるほどまれな例となったのは、私たちの祖先が、建国の歴史とともに一系の天皇を戴(いただ)くことに畏敬の念と誇りを持ち続けたからにほかならない。 明
靖国合祀取り消し請求棄却 社会 2010年10月26日 13時28分(7分前に更新) 沖縄戦などで亡くなった家族を、無断で靖国神社に「英霊」として合祀(ごうし)されて精神的苦痛を受けたとして、県内の遺族5人が靖国神社と国に、合祀取り消しと計50万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、那覇地裁の平田直人裁判長は26日、請求をいずれも棄却した。 原告側は「沖縄戦の被害者だったのに無断で合祀され、戦争に協力したという不名誉な地位を強制されている」とし、国にも「戦没者の情報を積極的に提供した共同責任がある」と主張。 靖国神社は「合祀は信教や宗教行為の自由として憲法上保障されている」とし、国は「遺族の援護のために、氏名などを回答したにすぎない」と反論していた。
昨年の総選挙前に、地元の候補者への「尊敬する人物」というアンケートへの回答をブログのネタにしたことがあったが、そのときにも複数の票を集めていた坂本龍馬。その龍馬人気について10月5日の朝日新聞(大阪本社)朝刊オピニオン欄で野田正彰氏が「龍馬にしがみつくのは成熟拒否の表れ」「軍国主義に利用された過去も。勝手な使い方はもうやめよ」などと批判的なコメントを。 ――坂本龍馬はなぜ、こんなに人気があるんでしょうか。 「龍馬とは青春像そのものです。30代前半で暗殺されてしまって、中年以降がない。もし龍馬が明治維新以降も生きていたら、時代を切り開く若々しいイメージを投影することは難しかったと思います。(後略)」 ――いつまでも龍馬のように若々しくいたい。それはいいことなのでは? 「いえ、成熟拒否です。本来、人は年齢を重ねるとそれなりに成熟していかないといけない。なのに青春像にしがみつくのは、申し訳ないで
NHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー アジアの“一等国”」の番組内容に偏向・歪曲(わいきょく)があったとして、視聴者ら約1万人がNHKに計約1億1千万円の損害賠償を求めた訴訟の第3回口頭弁論が17日、東京地裁であった。 台湾先住民族パイワン族の陳清福さんは「NHKから人間動物園という言葉はなかったのに、惨めな経験と悲しがっているように放送された」と陳述、村で録画録音した全記録を裁判所へ提出するようNHKに求めた。
関東大震災後に建設された復興小学校の保存問題が、東京都中央区の区立明石小学校の解体工事で大きく注目されている。日本建築学会が「重要文化財に匹敵する近代建築」として保存を求めたのに対し、中央区は予定通り工事に着手し、今週中には解体作業が本格化するからだ。 建物は失われれば戻らない。近代建築の価値をどう評価するかという大きな文化的課題にもつながる事態だけに、工事の一時中断も含め冷静な判断を可能にするための時間的余裕を持ちたい。 大正12(1923)年9月1日の震災後、当時の東京市は帝都復興事業の一環として117校の復興小学校の校舎を建設した。当時の技術力を示す名建築と評価されているが、現在も校舎として残るのは10校だけだ。 日本建築学会が7月に出した要望書によると、中央区には当時の校舎がいまも7校に残っている。それ自体は評価すべきことだが、ここにきて明石小を含む3校が建て替え対象となり、消滅の
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く