「あの激動の時代に、ベンチャー企業として産業を興したことは称賛に値する。今も日立の精神的支柱であり、わたしを含めて全社員が尊敬の念を抱いている」―。日立製作所の創業者である小平浪平。最強のベンチャーの旗手を現会長の中西宏明はこうたたえる。 多くの日本企業が欧米の技術に頼り、近代化を模索した20世紀初頭。若き技師だった小平だけは全く異なるスタイルを貫いた。欧米の模倣を嫌い、自主技術、国産技術に執着。数々の失敗を繰り返しながらも、自らの夢と可能性を信じた。小平の「独立独歩」の精神は、国産初の5馬力電動機(モーター)の開発に結びつき、技術の日立のDNAとなる。 日立設立から15年後の1935年。小平は新入社員に対し、こう訓示した。「日本の機械工業を進展させて、日本の隆々たる国運にそっていきたい」「社会の仕事とは、金儲けばかりやっているのではない」。優れた自主技術や製品の開発を通じて、社会に貢献す