ズイショってコンビニ店長を目指して親指シフターになったとか言われてるけど、はっきり言って最初からおもしろい。要するに店長に認められてたわけじゃん。サードなんてズイショとトピシュだけで良かったんだよ。 ネタ
これ総監督がアニメ畑の人間じゃなければ石原さとみの起用とかボロクソに叩いてたんだろうな ゴジラにも俳優にも興味ないくせに庵野の名前で持ち上げてるだけだろ オタク側の人間の方が優秀なんだと言いたいがためにね
少しだけ真面目に言うならテーマというのは「主題」なわけ。「主」って言葉の意味はわかるよね。中心であり核心であり、即ち価値なわけ。価値があるから「主」というので、なければ単なる一部分にすぎないの。そんなものを「テーマ」とは言わないですよ。 だからテーマを論じたらそれはマウンティングになっちゃうわけ。少なくとも優勝劣敗が存在するわけ。そんで「作品に込められたテーマを探す競争」が人々の中二心をくすぐったりもしたし、作者すらそれに乗って崇高で深遠な「テーマ」を探す競争とかしてたわけ。でもあなたが言うとおり「テーマが主なら、作品は従か?」って疑問が当然出てくるわけ。「いやいやテーマと作品は不可分一体だよ」とか言ってごまかしてもダメなわけ。たかだか数行にまとめた「テーマ」が主なら、二時間の映像はいらなくて、最初っからテーマだけでいいでしょって話になる。おかしいよね。なんでそんなことになったのか? そも
某方のある映画を観た感想のアンサーです。謝罪しろとは思わないけど、漫画には漫画でアンサーした方がいいかなって。 pic.twitter.com/YYXatubePP— 直江春巻 (@harumaki_naoe) 2016年8月20日 いや、いやいやいやちょっと待て シン・ゴジラ=白米って価値観どう考えてもおかしくない? だってあの映画って誰が見ても ジャンクフードの類だろ。 食品添加物とかもうドバドバぶち込んで、美味いんだけど体には超絶悪い食物になってるんだけどオタはそれを承知で食ってるんでしょ? 「健康なんか知ったこっちゃねえぜ、寿命が縮もうとも俺はこれを食す!ああ^~~うめぇ^~~」ってのが俺のシン・ゴジラのイメージなんだけど この人はマジで白米だと思って食べてんの?それちょっとヤバいんじゃないの? 舌バカというよりも完全に味覚障害のレベルだろそれって。 それともこの人はジャンクな食べ
シンゴジラが気にくわない人がこれは評価するという映画を聞かないとなんとも言えないかなあ 石原さとみの演技が云々は、はあそうですか、としか言えないし 批判が妥当とか納得できる理由じゃ無いんだよね 理解できないというか (1)あんなインチキ外人がドヤ顔でこれみよがしに出しゃばられても・・・ →そうは思わなかった (2)怪獣がそんなに怖くない →普通に怖かった (3)怪獣をダシに使った政治劇がオタクのファンタジー・・・ →映画ってそんなもんですよ (4)庵野信者の同窓会には参加できません →そうですか もう単なる感覚の話だから、そう思うでしょうねあなたはってレベルで ただ表現力不足なのか納得する所まで行かないんだよね クローバーフィールドと比較してたけど、 実験的で硬質な雰囲気は似てるけど、全く目線も要素も真逆の映画なんだよね まんまエヴァとかヤシマ作戦っていうのも分かるんだけど普通にエヴァが
※ガルパンTV版・劇場版の両方のネタバレを含みます。ご注意ください。 ついに劇場での上映期間が1年を超えることが確定し、留まるところを知らないガルパン人気。 私の周りにも熱狂的ファンが存在し、もうガルパン劇場版については全肯定で当然といった空気が流れております。 実際ガルパン劇場版は面白かったです。TV放送時からのファンだった僕も何度か観に行きました。 まほお姉ちゃん。逸見エリカ。最高やな。 しかし、なんというかどうしても気になるところがあるんですね… 本当はちゃんと自分のブログで書くべきなんでしょうが、ガルパンを全肯定する友人達がとても楽しそうで、それに水を差す勇気も無く、こちらに書くことにしました 大変自分勝手な理由でスペースをお借りします。ごめんなさい。 んで、まぁ、その、何が気になるのかというと… み ん な 軽 々 ス ラ イ ド し 過 ぎ じ ゃ ね ? 劇場版で一番最初にこ
例えば、ブログやニュース、映画や本を見ても、ふむふむ〜〜なるほど〜〜と内容をそのまま受けとってしまう。例えば最近だと、ゴジラについて書いた内容とかで日本↑の内容にそうだよねって思っても、日本は実は駄目なんだよみたいな記事にもそうだよねって思ってしまう。鳥越インタビュウでも言っていることがなるほど〜とか思ってしまったりして、でもブックマークのコメントみると、みんな批判的なこと書いてて、すごいこういうこと考えるのかみんなはって、そう考えてしまう。大島薫の野獣先輩絡みでも、記事を読んでなるほどって思って、コメントみると批判的な内容をみてなるほどなるほどってなる。 つまり、批判的に物事が全然見れない。そして何か見るときに全く頭をつかっておらず、口をあけて内容が放りこまれてもぐもぐ食べるだけになっている。そしてそれが自分の身になっていない。 2chとかもROMだけでかきこむことが殆どなく、ブクマでも
煽り耐性が低いスパイダープラスの伊藤謙自社長、「働けど我が株価上がらず」と自分に酔っていたら「赤字で割高」という冷水にまた逆切れしてしまいようやくSNSから消えることを決断
大手銀行の間では、預金口座の開設や住所変更などの手続きを、印鑑を使わずにスマートフォンのアプリやサインなどでもできるようにして、顧客の利便性を高めようという動きが広がっています。 また三井住友銀行は、店舗に設置された専用の端末にサインをして、筆跡や筆圧を登録すれば、口座の開設や住所変更などの手続きができるサービスを来年2月から一部の店舗で導入します。 りそな銀行と埼玉りそな銀行は、一部の店舗で、指の静脈の形から個人を識別する生体認証で、口座の開設や住所変更などをできるようにしていて、3年後までに、すべての店舗に導入する計画です。 こうした最先端のIT技術を活用した新たな金融サービスは、フィンテックと呼ばれ、金融機関の間で競争力を高めるための取り組みが加速しています。
稗とか粟とかは置いておいて、ゴジラとは白米である、というのは優れたメタファーであると思った。 60年間に初めてゴジラが提供された時、ゴジラは添え物なしの白米として提供された。 しかし、その後ゴジラを提供する人間たちは、添え物なしの白米を出すことをずっと躊躇してきた。 初期においては添え物が、梅干、漬物からハンバーグになり、海老フライになり、ある時はステーキや刺身になった。 やがて本来主役であるはずの白米の方がむしろ定食の中の添え物のような位置づけとなった。 高度成長に伴い、映画の観客たちの舌は肥え、肉や油を欲しがったのである。 何度かの、もう一度最初の白米を出そうという奮闘努力は甲斐もなく、今日も涙の陽が落ちていた。 やはり時代の流れから、彼らはシンプルに白米の力を信じることができなかったからだ。 だから、添え物を減らして再出発しようとしても、最初の白米と同じような提供の仕方はできなかった
私は何故か昔から太れない。 好きな食べ物は肉、揚げ物、魚、白米、甘いもの。嫌いなものは特に無し。 夜中の2時に自家製の脂っこいチャーシュー入りのラーメンとシュークリームを食べてすぐに寝ても体重は全く変わらない。 BMIは16。健康診断の時に横から勝手に体重を見られて拒食症とか言われる(多分拒食症はもっと痩せてるけど) Sサイズのスカートを買ったらウエストがブカブカで着られなかった。 テスト勉強で2日頭を使って勉強していただけで2kg痩せた。その姿を見た姉に「アフリカの子供みたい」と言われる。 一番つらいのが見た目のことで色々言われることだ。 「もっと食べなよ」くらいならまだいいけど、「痩せすぎて気持ち悪い」とか「骸骨みたい」って言われるのはさすがに腹が立つ。 男からは「色気が無い」と言われる。私だって篠崎愛みたいな体に生まれたかった。 どうすれば太れるのかわからない。食べても食べても体重が
先日、神楽坂で開催されていた「私たちは『買われた』展」を見てきた。 http://www.colabo-official.net/%E6%B4%BB%E5%8B%95%E6%A1%88%E5%86%85/%E3%82%B5%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97tsubomi/%E4%BC%81%E7%94%BB%E5%B1%95-%E7%A7%81%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AF-%E8%B2%B7%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F-%E5%B1%95/ 会場内では撮影もメモも禁止だったので、会場を出てすぐに書いたメモから雑感をいくつか。 1.展示内容のショボさと恣意性・企画展ということで何が展示されているか期待して行ったが、ほとんどの展示が「買われた」少女たち
いや、自分では発音できるのだ。 全く自覚はなく、人に指摘されて始めて知った。 いつの間にか身につけていたらしい。 確かに「学校が、ダイッキライ」とかいうときの、最初の「が」と途中の「が」では、違う発音の仕方をしていた。 鼻をつまんでみると、最初の「が」は発声できるが。途中の「が」ははなから空気が抜けなくて変な感じになる。 で、自分で発音はできるのだが、人が鼻濁音を使っているのかどうかが、いまひとつ聞き分けられない。 世の中には「鼻濁音は美しい日本語なのに、なくなってしまうのは残念だ」とか「最近のアナウンサーは鼻濁音がろくに使えない」とか 言う人もいるらしいし、 声を使う職業を目指す人の中には、苦労して鼻濁音を訓練していたりもすると聞く。 実際、指摘してくれた人は「美しい」とかいってくれたのだが、なにせ自分が聞き分けられないので、価値が分からないし なんだか訓練してまで身に着けている人に申し
よく知らないタイトルの映画だった。朝のテレビ番組とかで紹介されていたような気もするが、タイトルすら覚えていないあたり関心がなかったのだろう。それでも、叔母の代わりに私は映画館に足を運ばなくてはならなかった。 叔母はその映画自体か、或いは出ている役者だかのファンなのかは知らないが、何度も観に行くリピーターだった。だが急な仕事が入り、前売りチケットもあるだとかで、来場特典だけでも貰ってきてくれと私に頼んできたわけだ。 気乗りはしなかったが、叔母の心象を悪くしてまで断る理由を私は持ち合わせていない。叔母もそのことを分かっているから、私に頼んだのだろうけれども。こういうとき、融通のきく職業はツライと思う。 映画館に行く前日にネットで場所は調べておく。その際に映画の概要などにも目を通したが、やはり私の趣味ではないと感じた。どういうニーズに向けて作られたかは明白だったし、そこに私はいない。観てみたら、
100%を発揮できるようにすること なによりもまず、きっちりいま現在の自分の100%を発揮することが大切です。 80%(サボり)でも120%(ラッキー)でもいけません。100%を発揮する。 (中略) 打てるかもしれない、打ってやろう、とは考えない。いまの自分では打てないというところから始める。で、そのうえで、もしこのコースに球が来たら今の自分でも打てる可能性がある、と考えてそれを待つのです。 ラッキーで他のコースも打てるかもしれないとは考えない。もしかしたら打てるかもしれないけれど、それは自分のチカラではなく運のチカラなのです。 明日のプランニング 伝わらない時代の「伝わる」方法 (講談社現代新書) 作者:佐藤 尚之講談社Amazon 『明日のプランニング 伝わらない時代の「伝わる」方法 (講談社現代新書)』に松井秀喜がテレビで言っていたという言葉が引用されているのだけど、それってチーム運
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