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人生に関するiaskellのブックマーク (3)

  • それぞれの時代 - Chikirinの日記

    昨日のエントリの続きっぽく、各年代って何をするべきだったと思っているか、先のコトも含めて書いてみるです。 あくまで、私が考えるところの理想であって、現実でも“答え”でもないです。 (1) 生まれてから15歳くらいまで とにかく愛されて育つこと。これが大事な気がする。それだけで十分な気がする。 誰かから、無償の、無条件の、無限の愛情を与えられて育ちたい。そうできたら幸せだ。 (2) 16歳くらいから25歳くらいまで 好き勝手に生きればいいと思う。傲慢に、身勝手に。 世界が自分を中心に回っていると誤解してればいいと思う。 「できないことはない!」と断言できるくらい世間知らずで、自信家で、視野が狭くて、強気で、いいんでないかな。 そういう時代ってあっていいと思うのだ。 後から考えると顔から火が出るほど恥ずかしい、そんな経験をすればいいと思う。 後先考えず、熟慮も計画もなく、突っ走ってしまえばいい

    それぞれの時代 - Chikirinの日記
  • 中学受験と歪んでいった時代のこと 受験と、劣情と - mizchi log

    受験について思い出す。受験が悪い、良いではなく、ただただ個人的な経験として、ここに記そう。 参考 中学受験を終えて思うこと - hiroyukikojimaの日記 高密度小池 / 中学受験とか 僕の家庭は、子供の頃から母が病気がち、父は多忙で、しかし宗教行事だけはどんなに忙しくても熱心に執り行っていた。僕はそれを疎ましく思っていた。某S価ではないが、まあ似たようなもんだ、モ◯モンなんて。(これは今でも疎ましく思っているが。) 自分の中学受験はどす黒い劣情と、その逃避からはじまった。小学6年生にあがるころ、母の病状が芳しくないということで病院に比較的近い祖父宅に預けられることになった。 田舎の学校から転校してきた、当時純朴さの塊だった僕に、ちょっと陰湿な都会の洗礼が浴びせられ(とはいっても県庁所在地のニュータウン程度なのだが)、まあ、なんやかんやあって僕は孤立した。今思い出して言えることだが

    中学受験と歪んでいった時代のこと 受験と、劣情と - mizchi log
    iaskell
    iaskell 2010/04/11
    共感。僕はまだ消化できていないけれど。"あの他人を見下して自分を肯定しようとする歪んだ感情だけは、僕の中に罪悪感として残っているのだ。"
  • 高密度小池 / 中学受験とか

    中学受験とか 昔中学受験とかいうのをさせられた。 別に自分でしようと思ったのではなく、当然親の意志。父親は超大企業のエリートで、バブル期に家を買うようなこともしてなかったので経済的に余裕がある家庭だった。なんか底値のころに家買ってた記憶がある。杉並区の駅まで徒歩十分のそこそこの広さの土地が 4500 万円とかの頃。 小学五年生の春から中野坂上にあった日能研に通っていた。日能研は成績順でクラス決まるとかいうシステムだったと思うけど、一応一番上のクラスだった気がする。 その中野坂上の日能研だったけど、算数の先生の体臭が臭くて耐えがたかったので親に泣き付いて吉祥寺の日能研に移った。あの人以上に体臭がキツい人に結局出会っていない。 吉祥寺の日能研には体臭が臭い先生はいなかった。かわりに理科の先生が生死に問題がありそうなレベルで太っていた。 吉祥寺の日能研でもなんか一番上のクラスにいた記

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