ときおり現実に引き込まれそうになる。無明のうずに巻き込まれ、地に足がついてしまい、しくしくと動す。今日も電車の駅員は元気にさよならばいばいを歌っている。サラリーマンは両手をだらりと下げて、首を倒してスマホをいらう。いつもの風景だ。ここに強烈な重力を感じており、さいきんはココカワを脳内でリピートしないと倒れそうになる。 全てのものから解き放たれたい。あらゆる苦から抜け出して自由になりたい。そんなことを人間はずっと前から思い描いていた。インド仏教には、そのような自由を求めた人間の叡智が詰まっている。始まりは釈尊からであるが、時代とともに思想は細分化し、各々で言い争うようになった。大乗仏教は部派仏教を小乗仏教とよんでバカにしていたこともあった。しかし、ながら彼らが求めるものは常に一つである。ベストを探しているのだ。 大乗経典の思想は大きく分けてふたつ存在する。最高の真理(勝義諦)を求め続ける中観