kokoronohimitsuのブックマーク (31)

  • 梯實圓和上のお話から - 過疎の山里・春野町で暮らす

    そのお顔を拝見して、ああ、すてきだなあと思った。浄土真宗願寺派の梯實圓(かけはし・じつえん)和上。 その名前だけは知っていたが、内容が難しいので敬遠していた。YouTubeで講話を聞かせてもらったが、なかなかよかった。 真宗の教えは、門外漢のぼくにはむつかしい。なにしろ、はじめから救われているという教えだからね。 如来によって、すでに救われている自分に気づき、その報恩感謝の響きがお念仏という。これは難しい。 ま、教義はともあれ、そのお顔がいいのでご紹介。おはなしの一部をテープ起こししてみた。以下。講話の内容。(5年前の投稿だが、シェアしてくる方がいたので再掲載。読み直して味わっている。) --------------------------------------- できるだけ簡素にして、簡素な人生を生きたらいいんだから。すこしずつふるい落としながら生きていけばいい。そうおもて、わしは生

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  • 浄土真宗のお坊さんとの対話⑥西本願寺は『宗本分離』 - 過疎の山里・春野町で暮らす

    浄土真宗のお坊さんとの対話⑥ 「西願寺(浄土真宗願寺派、以下、西願寺という)の門主は、天皇陛下みたいなもので、門徒にしてみたら天皇陛下よりもありがたい。いわば生き神様です。それが、現場まで下りてきて、ひとりひとりに声をかける。団体参拝に檀家さんたちと山に行くと、教区の「マイクロバス」に乗り、職員と同じようにおいでになる。高級車などに乗ってこない」 ──それは門徒にしてみたら、大感激ですね。 「そうなんです。いわゆる大教団の開祖とかトップは、奥にひっそりいて儀式だけ出てくる。たとえば、真如苑とかね。それが、お西の門主は、じきじきに出てきてくださる。かつての創価学会の池田大作氏みたいなものです。」 ──しかも、親鸞と天皇家の血統を継ぐ、まことに雅やかでやんごとなきお方ですからね。それがもう引退してしまった。前門主がいま第一線におられたら、今回のような「新領解文」の問題は起きなかったとい

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  • ZOOM楽座「蓮如の布教と創価学会」 - 過疎の山里・春野町で暮らす

    ZOOM楽座「蓮如の布教と創価学会」。 日時:5月16日(土)20〜22時 テーマ:「蓮如の布教と創価学会」 語り合いの趣旨: 浄土真宗と創価学会の教えはずいぶんと違う。真宗は他力の教え。創価の基礎は、日蓮。日蓮は「念仏無間」(念仏は無間地獄に堕ちる)と説く。 「水と油」のようだ。しかし、じつはかなり共通項がある。蓮如の布教のありようを軸に、そこを語りあってみたい。 -------------------- 浄土真宗が北陸というフィールドにひろく伝播したのは、親鸞(1173〜1263)の滅後から200年後。それは蓮如(1415〜1499)の力に依る。 蓮如の布教は、「御文章」と呼ばれる門徒への手紙による導きがあった。「道場」が基盤にあった。門徒は、寄り集まって「御文章」を読み、教えを学び、暮らしのことを語り合った。 ほんらい、寺とはサンガ(聖なる集い)の場。寄りあい、学びあい、励ましあう場

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  • ZOOM楽座「真宗の教えと歴史」5月5日(火)20時〜22時 - 過疎の山里・春野町で暮らす

    ZOOM楽座は、次は真宗について論じてみたい。 日時:5月5日(火)20時〜22時 参加方法:ZOOMにアクセス https://us02web.zoom.us/j/5409124232 テーマ:「真宗の教えと歴史」 真宗の教えは、仏教の文脈の中でもきわめて独特。修行はいらない。すでに救われている。そういう教えである。そして、日の仏教界では、圧倒的に信徒(門徒)の勢力が大きい。 その歴史的な流れを語り合いながら、日的な仏教のありようをみていきたい。 池谷が真宗に注目する視点は、次の4つ。 ①「信仰と修行」 すでに救われている、往生まちがいなしという他力願。ゆえに修行は一切必要なし。神祇不拝であり、方角や加持祈祷などを排して、徹底した願力にたつ。 念仏を称えて浄土に往生するのはもちろんだが、現世において往生するという教え。すでに救われているのであり、念仏は報恩感謝でもうすもの。

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  • 浄土真宗のお坊さんとの対話⑧親鸞の血統主義 - 過疎の山里・春野町で暮らす

    浄土真宗のお坊さんとの対話⑧ ──新領解文には「これもひとえに宗祖親鸞聖人と法灯を伝承された歴代宗主の尊いお導きによるものです」とあります。ここが引っかかるところです。宗祖親鸞聖人の尊いお導きによるというのは、浄土真宗としては当然でしょうが、「歴代宗主の尊いお導き」というところ。 「まあ、たしかに」 ──だって、そもそも親鸞の教えは、阿弥陀如来のもとにみんな平等。悪人も善人もない。御同朋・御同行じゃないですか。けれとども、親鸞の血統の人にしか門主にはなれない。その門主の尊いお導きによるというのは、どうも権威主義に依りかかっていると思います。 「あらゆる宗教団体がそうですが、血統主義でいくと、まあ後継がいくらボンクラであったとしても、まるくおさまるという知恵が日にはありますね」 ──かなしいかな、それが現実ですね。その源泉は天皇制にまで遡ることができるかと思います。……なあんていうと、えら

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  • 西本願寺は「新領解文」について、内紛状態になっている。 - 過疎の山里・春野町で暮らす

    浄土真宗のお坊さんとの対話。 いまお西(西願寺:浄土真宗願寺派)は、「新領解文」(しんりょうげもん)について、内紛状態になっている。門外漢には、きわめて微妙で難しい問題だ。ということで、そのあたりもふくめて会話した。 ◉江戸時代に起きた三業惑乱 ──西願寺は、「新領解文」について、内紛状態になりつつありますね。そのあたりで、いろいろお聞きしたいんですけど。 「はい。これは、江戸時代に起きた三業惑乱(さんごうわくらん)と似ていますね」 ──三業惑乱って? 「三業惑乱というのは、江戸時代中期に発生した大規模な西願寺の紛争です。宗派内で解決せず、最終的には江戸幕府の寺社奉行が介入。西願寺教団史上最大の異安心(異端)事件といわれています。」 ──なるほど、日蓮宗の「身池対論」(しんちたいろん)と似ていますね。あれも、日蓮宗の大問題で、公開法論で池上は負けとされて、多くの僧侶が遠国流罪。ま

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  • 浄土真宗のお坊さんとの対話 戦時教学とは - 過疎の山里・春野町で暮らす

    ②浄土真宗のお坊さんとの対話。 ◉戦時教学とは ──「戦時教学をきちんと反省してこなかったことも要因」と言いますが、そもそも「戦時教学」ってどういうことですか。 「戦時教学というのは、天皇制ファシズムを聖戦という美名の下で、侵略戦争体制を翼賛する教学といえましょうか。」 ──具体的には? 「たとえば、天皇と阿弥陀仏は一体。天皇は阿弥陀仏、阿弥陀仏は天皇。だから、戦死するのは、極楽往生なのだという教えです」 ──おお、天皇=阿弥陀仏、そんなことまで言ってましたか。 日蓮主義でも、久遠仏と天皇は一体であるという考えもありました。そして、この戦争は聖戦であり、世界広布(教えが弘まること)につながるのだと。たとえば、満州帝国をつくった石原莞爾などは主張していましたね。 ◉信仰を挙げて天皇に帰一し奉る 「とにかく真宗の教学の権威ある人たちが、書き残しています」 ──たとえば、例を挙げられますか

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  • 浄土真宗のお坊さんとの対話③真俗二諦論 - 過疎の山里・春野町で暮らす

    浄土真宗のお坊さんとの対話③ ◉天皇は阿弥陀仏というのは地垂迹説のようなもの 「天皇と阿弥陀仏は一体。天皇は阿弥陀仏、阿弥陀仏は天皇という表現は刺激的すぎるかも・・・」 ──じゃあ、どんなふうに? 「天皇は“現人神”(あらひとがみ)だから、阿弥陀仏の化身、垂迹ってところでしょうか。いわゆる地垂迹説に基づいたもの。」 ──なるほど。「地垂迹説」というのは、平安時代にできた考え方ですね。地は仏だけれども、姿としては神として現れる。戦時中においては、「神仏迹論」があらわれて、神が体で、仏が垂迹というものもあらわれた。 ◉真俗二諦論 「そうですね。そして、戦時教学の背景は、江戸・明治以降の“真俗二諦論”です。元々仏教にはそういう考えはあったのですが、真諦=仏法、俗諦=世法(王法)で、どちらも正しいという説です。王法とは、俗世間における法律・慣習一般をいいます」 ──そのあたりは、浄土真

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  • 顕正新聞・浅井昭衛追憶号。 - 創価ダメだしブログ

    過日のことだが、どこの誰かわからない謎の顕正会員が『顕正新聞』の浅井昭衛追憶号を2部ポストに無料配達してくれた(笑)。以前はちょいちょい無料配達されていたがここ数年は全く無くなっていて久しぶりの『顕正新聞』だ。また以前は新聞に携帯番号とか書いてあったが今回はそれもなしで謎の顕正会員からのギフトである。 一応、2部ともザッと読んでみたが内容としては浅井昭衛自称の武勇伝と昭衛の後継に収まった城衛の挨拶と顕正会幹部による「浅井センセマンセー」の美辞麗句で埋め尽くされているだけの記事だった。まぁ機関誌なのだからそれはそれで一向に構わないが、こんな新聞を非会員に配っても何の意味もない。顕正会のカルト教団のイメージが増幅されるだけだろう。特にドン引きなのは浅井昭衛の臨終の相・死相だが、「素晴らしい妙相・善相だった」と浅井マンセー達がこれでもかとアピールしている所だ。「慧妙」の報道によれば実際はかなりの

    顕正新聞・浅井昭衛追憶号。 - 創価ダメだしブログ
    kokoronohimitsu
    kokoronohimitsu 2023/11/26
    日寛上人の「臨終用心抄」が決定打ですね。
  • 御観念文の意味と意義②(二座) - 創価ダメだしブログ

    二座の勤行は尊供養です。総じて言えば自宅の御尊、別して言えば門戒壇大御尊にに対する御報恩感謝をささげます。因みに御尊は大聖人内証の寿量品を能詮とするので寿量品の長行を読むのです。長行を省く創価のインチキ勤行では全く意味がないのです。 【二座御観念文】南無門寿量品の肝心・文底秘沈の大法・地難思境智合・久遠元初・自受用報身如来の御当体・十界有常住・事の一念三千・人法一箇・独一門戒壇の大御尊、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に ①門寿量品の肝心・・・ひろくちに「門寿量品」といっても、体外・体内・内証と3種の寿量品の読み方があります。いわゆる釈尊の文上寿量品は体外の寿量品です。御観念文の寿量品の肝心とは冒頭に書きましたが大聖人内証の寿量品の事でその肝心(所詮)が戒壇の大御尊なのです。◆寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字をもって閻浮の衆生に授与せしめたもうなり(観心尊抄

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    kokoronohimitsu
    kokoronohimitsu 2023/11/26
    (*'-'*)ノはじめましてヽ(*'-'*) 本物の日蓮大聖人の教えのようですね。 これからもよろしくお願いします。
  • 六巻抄拝読の為の基礎知識①(六巻抄の構成) - 創価ダメだしブログ

    ブログのコメント返しで何度か書きましたが、大聖人仏法を学ぶ上で御書以外の書物を教えて欲しいと言われれば迷うことなく「六巻抄」の名を挙げます。私自身が「六巻抄」と出会ってそれまで漠然としていた御書が理解できるようになったし「六巻抄」を学んだからこそ創価の謗法教義に騙されることなく大聖人仏法を信仰することができました。日寛上人自ら【此の書六巻の師子王あるときは国中の諸宗諸門の狐兎(こと)一党して当山に襲来すといえども敢(あえ)て驚怖するに足らず尤(もっと)も秘蔵すべし】と言われているように「六巻抄」は破邪顕正の大聖人仏法の基を書きつくした書です。文も語句など調べないと分からない部分もあるけど読みやすく分かりやすい内容です。そこで「六巻抄」オシをしている私としては「六巻抄」拝読の為の基礎知識を簡単に説明してみたいと思います。何度かに分けますが初回の今日は「六巻抄」の構成です。「六巻抄」とは

  • 六巻抄拝読の為の基礎知識②(三重秘伝抄①) - 創価ダメだしブログ

    今回からは三重秘伝抄の基礎知識です。今後は太字部分は文ですのでよろしくお願いします。 ■正徳第三癸巳、予四十九歳の秋、時々御堂に於て開目抄を講じ、而て文底秘沈の句に至るに其の義甚深にして其の意難解なり。所以に文に三段を分ち義に十門を開く。草案已に畢りて清書未だ成らず、虚しく笈の中に蔵めて之を披くに遑いとまあらず。 而る後、享保第十乙巳、予六十一歳の春、逅邂之を閲するに疎略稍多し、故に粗添削を加う、敢えて未治のを留むることなかれ。 然るに此の抄の中には多くの大事を示す、此れは是れ偏に令法久住の為なり、末弟等深く吾が意を察せよ云云。 まず序文ですがここでは日寛上人が49歳の時に開目抄講義の際に「文底秘沈」が書かれている御文についての解説の草案(清書前の原稿)を作り、その草案を笈(おい)の中に保管していていて61歳の時に添削を加えて清書したことが書かれています。笈というのは今でいうリックみた

    六巻抄拝読の為の基礎知識②(三重秘伝抄①) - 創価ダメだしブログ
  • 六巻抄拝読の為の基礎知識③(三重秘伝抄②) - 創価ダメだしブログ

    今回は「三重秘伝抄」の第2回目で前回の続きからでここからは冒頭の開目抄の【一念三千の法門は但法華経の門寿量品の文の底に秘し沈めたまえり、竜樹・天親は知って而も弘めたまわず、但我が天台智者のみ此れを懐けり等云云。】 の御文の10の義の説明になります。 第一に一念三千の法門は聞き難きを示すとは 最初の義としてこの御文は「一念三千の法門は聞き難い」という意味ががあるということです。ここでいう一念三千の法門とは法華寿量品の文底の事の一念三千のことで具体的には戒壇大御尊のことです。「聞き難い」とは信受することが難しいということです。即ち「戒壇大御尊様を信受して門の題目をあげることは難事」であるということです。自身が信受することすら難事ですから折伏は難事中の難事ということですね。 第二に文相の大旨を示すとは ここは、冒頭の文を「標・釈・結」の三段に開いて天台の三種の教相と比較している段です。【

    六巻抄拝読の為の基礎知識③(三重秘伝抄②) - 創価ダメだしブログ
  • 六巻抄拝読の為の基礎知識④(三重秘伝抄③) - 創価ダメだしブログ

    今日は、【一念三千の法門は但法華経の門寿量品の文の底に秘し沈めたまえり、竜樹・天親は知って而も弘めたまわず、但我が天台智者のみ此れを懐けり等云云。】の文の10の義の前回の続きです。 第六に迹相対して一念三千を明かすことを示すとは 前回第5段では「但法華経」の部分の権実相対の義のご指南でしたが、第6段は「(但)門寿量品」の文の迹相対の義を明かされています。冒頭に【諸抄の中に二文あり。一には迹倶に一念三千と名づけ、二には迹は百界千如と名づけ、を一念三千と名づく】と書かれています。これは御書(諸抄)には迹共に一念三千としている御書もあるし、門だけを一念三千としている御書もあるとということです。何故迹門にも一念三千が説かれているとするのかというと法華経迹門は理の一念三千が説かれますので権経に対すれば法華経の迹全てに一念三千が説かれているという意味でこれは「与えて」いう立場です。し

    六巻抄拝読の為の基礎知識④(三重秘伝抄③) - 創価ダメだしブログ
  • 六巻抄拝読の為の基礎知識⑤(三重秘伝抄④) - 創価ダメだしブログ

    今日は、【一念三千の法門は但法華経の門寿量品の文の底に秘し沈めたまえり、竜樹・天親は知って而も弘めたまわず、但我が天台智者のみ此れを懐けり等云云。】の文の10の義の続きで今日で三重秘伝抄は終わりです。 第八に事理の三千を示すとは 前回までは一念三千の法門にも、権実・迹・種脱の三重の秘伝があることを明かしていますが、ここでは今までと少し違う観点で「理」と「事」の一念三千の違いを明かしています。一般的には諸法実相を明かした迹門を「理の一念三千」、因・果・国土の三妙を明かした門を「事の一念三千」と定義します。何故三妙を明かした門を「事の一念三千」というかというと、事実として仏身に約して三妙を説かれているからです。これは基礎中の基礎教学なのですがこれが分かっていないのが創価民です。何が分かっていないかというと、「事の一念三千」というのは仏身を離れて存在しないということです。これは大聖

    六巻抄拝読の為の基礎知識⑤(三重秘伝抄④) - 創価ダメだしブログ
  • 六巻抄拝読の為の基礎知識⑥(文底秘沈抄①) - 創価ダメだしブログ

    今月からは、「文底秘沈抄第二」を学んでいきたいと思います。「三重秘伝抄第一」では、事の一念三千の法体が法華経門寿量品の文底に秘沈されていることを明かしましたが「文底秘沈抄」では、文底に秘沈された事の一念三千の法体とは三大秘法であるという事を明かしその三大秘法を具体的にご指南されています。まずは冒頭で、 ◇佛は法華を以って懐と為すなり、世人は但懐為ることを知って未だ懐たる所以を知らず。然らば懐たる所以應に之れを聞くことを得べけんや。謂わく、文底に三大秘法を秘沈する故なり。何を以って識ることを得んや、一大事の文是なり。 と言われて釈尊の出世の懐が法華経なのは三大秘法を秘沈しているからであると結論を述べています。その文証として法華経方便品の【諸佛世尊は唯一大事の因縁を以ての故にのみ世に出現したもうと名づくるや】の「一大事の文」を挙げます。そして ◇一は謂わく、門の尊なり。是れ則ち

    六巻抄拝読の為の基礎知識⑥(文底秘沈抄①) - 創価ダメだしブログ
  • 六巻抄拝読の為の基礎知識⑦(文底秘沈抄②) - 創価ダメだしブログ

    今日は『文底秘沈抄』の2回目。【門の尊編】を学びたいと思います。まず冒頭で、 ◇夫れ尊とは所縁の境なり、境能く智を発し、智亦行を導く、故に境若し正しからざる則んば智行も亦随って正しからず と「尊」の定義をしています。即ち「尊」とは「対境」であるということです。創価民はよく「御尊は自分の仏界を写す鏡だ」といいますが「対境」というのはそのような意味ではありません。自分の生命に影響を与える存在というのが「対境」です。人生において心(智慧)と行動(行)を決定するのは、何と出会うか(境)によって変わります。つまり「何と出会い何を選ぶか」が人生の幸不幸を左右するといっても過言ではありせん。その根となるのが尊(信仰)だということです。故に間違った尊(信仰)を対境とすればその智慧(心)もそして行(行動)も間違っていく。そこに根の不幸があるということです。ですから、◇須く尊を簡んで以て

    六巻抄拝読の為の基礎知識⑦(文底秘沈抄②) - 創価ダメだしブログ
  • 六巻抄拝読の為の基礎知識⑧(文底秘沈抄③) - 創価ダメだしブログ

    今回は「文底秘沈抄」の第3回目です。今回で「文底秘沈抄」を終わりにする予定なので少し長くなるかもしれませんが、なるべくコンパクトにまとめてみたいと思います。では早速いきます。 【第二に門戒壇篇】 ◇夫れ門の戒壇に事有り、義有り、所謂義の戒壇とは即ち是れ門の尊所住の処、義の戒壇に当たる故なり(中略)正しく事の戒壇とは一閻浮提の人、懴悔滅罪の処なり、但然るのみに非ず、梵天・帝釈も来下して踏みたもうべき戒壇なり まず「門の戒壇」には「義」と「事」がある事を明かします。「義」とは「義理」という意で天台の「理の戒壇」と混同しないように「理」ではなく「義」と書かれています。門の尊のある場所が「義の戒壇」であり我々法華講員の自宅や末寺などのことです。次に「事の戒壇」ですがこれには「事の法体の戒壇」と「事相の戒壇」との立てわけがあり、ここを理解していないのが顕正会です。そしてここで引用してい

    六巻抄拝読の為の基礎知識⑧(文底秘沈抄③) - 創価ダメだしブログ
  • 六巻抄拝読の為の基礎知識⑨(依義判文抄①) - 創価ダメだしブログ

    今月から「依義判文抄」です。六巻抄その名の通りは全部で6個の「抄」がありますが、前半の「三重秘伝抄」「文底秘沈抄」「依義判文抄」までは「化法」についての御指南になっており、後半の3抄は「化義」についての御指南になっています。この前半の3抄を一つの大きな「抄」と捉えるとこの「依義判文抄」は大聖人仏法の化法における根・主題が書いてあるいわば【結論】が書かれている「抄」です。今日はキリがいいところまで書きたいので少し長めになりなると思います。 ◇明者は其の理を貴び闇者は其の文を守る、苟くも糟糠を執し橋を問う、何の益かある。而も亦謂えること有り、文証無くんば悉く是れ邪偽なり 最初に「文(証)」と「理(義理)」の関係です。「糟糠を執し橋を問う」とは『大方等陀羅尼経第三』に説かれる求道者の愚行のことで、その内容とはある僧侶が大施会に行く途中の橋について智者に色々と質問しているうちに大施会が終わってし

    六巻抄拝読の為の基礎知識⑨(依義判文抄①) - 創価ダメだしブログ
  • 六巻抄拝読の為の基礎知識⑩(依義判文抄②) - 創価ダメだしブログ

    前回は法華経文上にも三大秘法が説かれている事を知るために三大秘法の開合の相を示しましが今回はそれを踏まえて実際に法華経の文を挙げ、法華経文上に三大秘法が説かれていることをご指南されている部分になります。全部で10の文を挙げていますがまずはその前半部分を学習したいと思います。 【第一に法師品の若復有人等の文】 ◇法師品に云わく、「若し復人有って妙法華経乃至一偈をも受持し読誦し解説し書写せん、此の経巻に於いて敬視すること仏の如く種々に供養せん」等云云。応に知るべし、受持は即ち是れ門の戒壇なり、読誦等は門の題目なり、於此経巻敬視如仏は門の尊なり、此の文に則ち人法の尊を含むなり。 この法華文上の文の中の「受持」=門戒壇・「読誦」等=門の題目・「於此経巻」「敬視如仏」=門の尊であると日寛上人は会通されてます。そこで問者はまず「受持というのは修行だから戒壇ではないのではないか?」と質