共同通信社の報道によると、第二次大戦中に東京都文京区にあった理化学研究所の「大サイクロトロン」の運転日誌が、仁科記念財団のロッカー内から発見されたとのこと。この日誌は1942年7月〜1943年1月と1943年2月〜1944年4月の記録。サイクロトロン建造や実験における苦闘ぶりが、日曜日を除く連日、A5判のノートに図面や数値入りで詳しく書き込まれていた。従来、この日誌は原爆研究の責任追及を恐れて戦後まもなく焼却されたと考えられていたが、たまたま本の間に挟まっていて散逸を免れたらしい。 Wikipediaによると、理研は1941年、陸軍から原子爆弾の開発を依頼された(二号研究)。理研の仁科研究室は熱拡散法によるウラン濃縮を試みていたが、結局基礎研究の段階で敗戦を迎えた。にもかかわらず、戦後GHQはこのサイクロトロンを核研究施設と誤解し破壊、海中に投棄したとのこと。 実際マンハッタン計画では加速