やりたいことをなにかと理由をつけて先延ばしにした結果やりたくないことと嫌いなことだけで人生が埋まっちゃったね
やりたいことをなにかと理由をつけて先延ばしにした結果やりたくないことと嫌いなことだけで人生が埋まっちゃったね
以前なら人と話していて相手の理解がいまいちだったり、見当違いの回答がきたりしたらイライラしていた。 でも、ChatGPTを使うようになって「ああ、人間ってこういうことだったのか」と理解できた。 いまは言ったことが伝わらなくても「このプロンプトだとこう返ってくるのか」としか思わなくなった。 「部長にはこのプロンプトだと期待した結果が返ってくるぞ」って。 店員に注文を聞き返されたときも以前ならイラッときて「二度とこねぇよ」とか思っていた。 でも、いまは冷静に「このプロンプトで命令してみよう」と考えることができる。 ChatGPTのおかげでかなりコミュニケーションが楽になった。 人とのコミュニケーションってこういうことだったんだな。
これは習作だなと分かるやつなら納得できるんだよね。 Unity触ってみた結果報告だったり、自分で組んでみたプログラムのデバッカーを募集する方法の一環としてのフリーゲームは理解できる。 インディーで発売する前の観測気球みたいのも理解可能。 完全に趣味でやってるとしか思えないフリーゲームでも1,2時間でクリア可能なものなら納得は出来る。 売り物になるようなレベルのフリーゲームを作って無料で配ってる人達はなんなんだろう? たとえば片道勇者なんかは後にSteamで配信されたけど、追加要素は+αの域を出なかった。 それが意味しているのは「元々商品として値段がつけられるものを無料で配っていた」ということ。 何も「人間がやることは最終的に金儲けの手段」なんていうつもりはない。 金を貰わないからこそ気軽にやれることだってある。 たとえばこの増田も、「フリーゲームがなぜ無料なのか」というテーマでどっかのニュ
週刊少年ジャンプのマンガを読んでいるのだが、とにかく主人公が負け負けて、負け続けて負け続ける展開ばっかりだ。いい勝負がまったくない。次から次へと強さのインフレで、次から次へとより強いのが出てきては、主人公が負け続ける。その先で主人公が勝利するのは一瞬だ。1話だけならマシで、最悪見開き1回まである。 1冊全部読むと、とにかく負けるシーンばっかり読まされるので気が滅入る。そんななか「マッシュル」「AB」はアホくさくてとてもよい。「こち亀」とかバリエーションの問題だっただな。
聞き取りにくいということもあり「よん」「なな」と言うように息子へ教えていたのだけれど「学校の九九では違う」と頑なに譲らなかった そんなことを実家に帰った際やっていたら私の兄がたまたま聞いていたのか「実際はどっちでも良いんだよ」と言って息子と話し始めた 「おじちゃん仕事でプログラミングやってるだろ?パソコンって計算機のボスみたいなやつだから数字もよく使うんだけど読み方なんてぶっちゃけどっちでも良いんだわ」 「だけどな?どっちでも良いっていうのは自分の中だけでなんだよ。誰かに受け取ってもらおうとしたときは確実に『なな』なのか『いち』なのか判って貰わんと困る」 「実はずっと昔な、お祖父ちゃんのお祖父ちゃんくらいのときにそれでメッチャ困ったことがあったんだ。それが電話とかトランシーバーなんだ」 「それこそ昔の電話やトランシーバーなんてガーガービービー鳴るもんだから、昔はトランシーバーでやり取りする
5000兆円って大金をタンス貯金で管理するわけにもいかないし 色んな銀行に預けようとすると銀行ごとの付き合いとか面倒になりそうだよね でもって5000兆円って凄い大金だからいろんな人に狙われるじゃん? ボディーガード雇ったりしないといけないし家の防犯もちゃんとしないといけないしやっぱり面倒だわ でもって知り合った人からのビットコインの勧誘ぐらいなら断れるかもしれないけど、 知り合った人に知らん間に自分の身体におクスリ仕込まれちゃって中毒になっちゃったらもうお金をそっちにお金使わないと生きてけないだろうし スナイパー的な人に狙撃されかねないし なんか自由に使えるお金あっても ゆったり生きてけなさそうだよね やっぱり面倒だわ 5000兆円あっても自由どころか面倒事ばっかり巻き込まれそうだから5000兆円もいらないや 800万円、800万円ぐらいが丁度いいや どなたか800万円下さい
だって、実写版って生贄がなければ、 荒川先生が0巻なんて新作書かなかったろうし、 各出版社もまたハガレンでビジネスしようと思わなかったろうから、 ハガレン展とかもやらなかったろうから原画見れる機会なんてもうなかったかもしれないし、 実写版から入った人がなんだ原作のほうが 数兆倍おもしれえってなって荒川先生にお金がまた入って、 何だったら出版社も愛蔵版出してくれるかもしれないし、 もし実写続編がなんてことになったら、 さらにハガレン新作やら書いてくれるかもしれないじゃん。 等価交換の贄として実写版が 原作クラスタに燃料を今更再投与してくれて、 さらに再々投与への贄にもなってくれるなら とりあえず実写化した意味は自分には充分あったよ。
よくさ、プレゼントをあげるときに 「あげる相手の喜ぶ(喜ぶっつか欲しがってる)ものにしろよ!」みたいな意見を見かける 続けて「要らないモンもらったって、どうせゴミになるだけだ!」みたいなのも でもさ、それって欲しいと思ってたものをもらったことが、ゴミになる原因か? プレゼントって気持ちをモノに表現した儀式染みた行為だろ? 相手が欲しい物を手に入れる確実な方法って、現金以外にないでしょ? 相手の欲しい喜ぶ物っつったら現金だわ、なんで現金渡さないの? ここで常識外れだとかいう意見ぶつけてくるあなた あなたはその意見そのものが「プレゼントは儀式である」という肯定をしてるから出てくるんでしょうが だから物にこめられた思いや感情が大事なの ついでに長く付き合っていけるものなら気持ちと一緒にいれて嬉しいねってことで すぐになくなるものよりも肌身につけれるやつがいいとかいう話になんの わかる? 自分の欲
何言ってんのこいつって感想が多いと思う 伝わりづらくて申し訳ない!俺は謝れる良い増田 自分の欲しいものってお金出して買うじゃん でもお金なくなると買えなくなる だから手に入れる量はお金に比例する お金がブレーキ役になってる ところが欲しいものが無料で手に入るとしたらどうだろうか? 欲求の続く限りどんどん集めようとする 集めても集めてもお金を出して買うわけじゃないので まだ集め続ける、無料だから 集めて、集めて、集めて… 集めて… 無限に続く そしたらお金が底をつくことがない代わりに 今度は欲求が底をつきだすのよね 簡単に手に入りすぎて性欲がどんどん薄くなってくる もちろん思春期や聖剛だといくらでもいけるんだろうけど 普通の人間には無限の欲望なんてない いつか欲自体が枯れた井戸になる 悟りを開く そうすると一巡して本当に欲しいものであるということを 証拠に残したくなる 誰かに認めて欲しいし、
アイドルマスターSideMアニメ放送始まりましたね。 担当の鷹城恭二くんが動いていらっしゃる。とても良いことだ。 315プロダクションのアイドルの皆さんは本当に好きです。 でも前々から持っている“アイドルマスター”という作品に対する嫌悪感だけは現在も無くならん。厳密に言うと、アニマス、デレアニ、ムビマスは何だかんだ履修済のただの男性アイドルが好きなオタクの私にはアイドルマスターのファン(便宜上Pとは言わない)の空気感が耐えられん。 ○○担当Pの○○ファンですって言わなきゃいかん空気、本当に良くないよ。 ただのドルオタじゃいかんのか。 推しという言葉で一括りにしちゃいかんのか。 (私がよく例えるのは担当アイドルのエロ同人で抜けるのか抜けないのか、はたまた抜く時のエロ同人ですけべなことしてるアイドルは担当とは別のアイドルなのか。) 一応SideM以外もアニメで履修してる分知り合いのオタクからも
これが一番無駄な性欲が溜まりにくい。 月に一度や一生やらないというスタイルにすると抑圧された性欲が爆発する危険性がある。 同時に、これ以上回転数を高めるとその頻度に合わせてパーキンソンの法則の如く性欲が吹き上がってくるのでこれもまた余計な性欲に振り回されることになる。 適切に性欲を処理するのならば週一こそが理想だ。 やる日は金曜日か土曜日がいいだろう。 何故なら次の日が休みだからだ。 性欲の発散にはエネルギーを使うため、次の日はパフォーマンスが下がる。 パフォーマンスが下がった状態で労働や勉学をやるのは非効率的だ。 非効率的と分かっているが檻から出るのも面倒だから無気力なまま作業をするというのも精神に悪い影響があるためこの点においてもよろしくない。 よって性欲発散は休日の前日にやるべきだ。 次の日が休日ならば下がったパフォーマンスを回復するためにいつもより多く眠るといったことも出来る。 む
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