「人は生きる上で、色んなことを主体的に選択する権利を持っています。でも、死に方についてだけは全然違う。そこに何とかアプローチしてみたいんです」
![ロンブー田村淳さん、慶應大学院生になっていた。理由は「死者との対話」を学ぶため](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/02442b14620c0f268db6ec1f8a83e7369348049a/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimg.huffingtonpost.com%2Fasset%2F5d73555c2400002d2277c606.jpeg%3Fcache%3DikradD0oNZ%26ops%3D1200_630)
お笑いコンビ「ロンドンブーツ1号2号」の田村淳(44)が3日放送のインターネット放送局AbemaTV「偏差値32の田村淳が100日で青学一直線~学歴リベンジ~」(土曜・後10時)で、受験した青山学院大の入試が全て不合格だったと公表した。スポーツ報知の取材に対し、「青春を味わせてもらった時間でした」と合否発表後の心境を明かした。 【写真】学帽をかぶって意気込む淳 昨年9月に青学大受験を表明。多忙なスケジュールの合間に1日6~7時間の受験勉強をしてきた。だが、先月7日に受験した全学部入試は不合格。続けて学部別入試にも挑み、2月21日までに社会情報学部、経営学部、経済学部、法学部を受験した。 この日、最後の法学部と経済学部の不合格がパソコンの通知で判明。本命だった法学部も不本意な結果に終わったが「合否発表のクリックする瞬間、ドキドキしたのは、ここまで真剣にやってこれた自分がいたから」と胸を張った
ロンドンブーツ1号2号の田村淳に、日刊スポーツのさまざまな分野の記者が話を聞く連載「ロンブー淳の崖っぷちタイトロープ」。今回は、9日に掲載した「原発問題。都合の悪い歴史こそ残そう」について、淳が「話したいことがあります」として、日刊スポーツにやってきました。本来の予定を変更して、急きょ前回のコラムについての思いを掲載します。 9日のコラムについて話す田村淳 9日のコラムで、北茨城に行った翌日に鼻血が出た経験について話をしました。この鼻血の表現の部分について、不確定な要素がありながら誤解を招くような表現をしてしまったことについて、謝罪をいたします。 2011年3月に北茨城に行きました。帰った翌朝に鼻血が出ました。当時は、まだ「美味しんぼ」の話は出ていませんから、こんなに大量に鼻血が出たのは、被災地での惨状を目の当たりにして興奮してたんだろうなと思っていました。14年になって「美味しんぼ」の鼻
戦後70年にあたり、僕がいま、自分の中でどうもうまく腑に落ちていないことを、みなさんに聞いてもらいたいと思います。それは「日本はいつまで敗戦国なんでしょうか?」ということです。 僕は1973年生まれなので、敗戦国である日本に生まれ育ち、敗戦国というのが何なのかわからないまま大人になりました。どうしたいきさつで日本が戦争に負けたのか、そうしたことにはっきりと関心を持つようになったのは、35歳になってからです。 僕は山口県の出身で、広島と長崎に親戚がいます。子供のころ、夏休みになるとどちらかの親戚の家に遊びに行きました。そうすると、いとこのおばちゃんとかから当然のように「ここに原爆が落ちた」という話を聞く。あとは『はだしのゲン』の漫画を学校で読んだり、終戦記念日には意味がわからないながらも黙とうを捧げたり、育った環境からか戦争への意識は高いほうでした。 それでも、子供の僕が持っていた戦争のイメ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く