最近、この「極言暴論」を書いていて思うのは、「自分が怒っていないな」ということ。以前は、ユーザー企業のIT部門やITベンダーの理不尽や不条理にかなり怒っていて、文章にもその怒りが十分に乗っていた。だが、記事を書く形で怒りを吐き出してしまうと“憑き物”が落ちる。そんなことを繰り返してきたので、最近では穏やかな気持ちで極言暴論の記事を書いている。 いや、“穏やかな”というのは適切な言葉ではない。むしろ“冷やかな”と言ったほうがよいだろう。怒りに任せて誰かを撃ち抜くような記事を書くのはもちろん慎まないといけないが、少なくともそこには熱い思いがある。一方、冷やかな気持ちで記事を書くのは、全く褒められたものではない。論説がシニカルになり、読者の心に響くものになり得ないからだ。 そんなわけなので、最近の私は極言暴論の執筆に当たって、「シニカルにならないように、熱い思いを持ち続けるように」といろいろと苦