元「ミスター慶応」ファイナリストの名前が再び報じられたのは、11月20日のことだった。20代の女性に性的暴行を加えたとして、元慶大生・渡邉陽太容疑者(24)と光山和希容疑者(24)が、強制性交の疑いで埼玉県警に逮捕されたのだ。 渡邉容疑者のわいせつ関連での逮捕は実に6回目。彼の素性と、もっとも影響を受けたという祖父への取材を報じた「週刊文春」2019年1月3・10日号の記事を公開する。なお、記事中の年齢、日付、肩書などは掲載時のまま。 ◆ ◆ ◆ 「ミスター慶応」ファイナリストが“人生の師匠”と崇める祖父は、「週刊文春」の取材に対し、計19回にわたり、こう叫んだ。 「あいつは死んだほうがいい!」 携帯電話解析で余罪が次々と明るみに 慶応大学経済学部2年生・渡邉陽太容疑者(22)が逮捕されて約3カ月。社会部記者が事件を振り返る。 「事件が起こったのは2018年9月29日の明け方。渡邉は酩酊状
過去何度かSNSとかで発信した事もありますが 世の中、なんかよくわからん事もあります、という事を少しでも人の目に触れるとこに置いとこうかなと思うので、記事にします。 多発するようなものでは無いと思いますが……世の中何があるかわからないね、という程度にでも頭の片隅に残ると、いざ何かあった時に頭真っ白にならず、きちんと対応出来る余裕が生まれるかと思うので。 それは、新橋演舞場で滝沢演舞城が行われていた時でした。 私の記憶の仕方で言うと「ふっかさんが三郎役をやってた」時です。ふっかさんでしか記憶出来ないのか私は。 いつもの様に一人で見に来てた私はやることも無いので公演前に座席にいました。1階最後列の上手側通路脇です。席運の良くなさに定評ある。 隣の席は30代か30前後くらいの、なんというかあまりおしゃれではないため年齢が不詳なタイプのぼさっとした印象の男性でした。 その方も一人で来ており、滝沢さ
ジャーナリストの伊藤詩織さんが、元TBS記者の山口敬之氏に性的暴行を受けたと訴えた裁判で、東京地方裁判所は山口氏に330万円の賠償を命じる判決を言い渡しました。 ジャーナリストの伊藤詩織さんは4年前、元TBS記者の山口敬之氏との食事で酒に酔って意識を失い、性的暴行を受けたとして1100万円の賠償を求めました。 伊藤さんが記者会見を開いたり、著書を出したりして被害を訴えたのに対し、山口氏は、性行為は同意していて名誉やプライバシーを傷つけられたとして、逆に1億3000万円の賠償を求めました。 18日の判決で東京地方裁判所の鈴木昭洋裁判長は「伊藤さんは、友人や警察に被害を相談していて、性行為が意思に反して行われたことを裏付けるものといえる。一方、山口氏の供述は、当時送信したメールと内容が矛盾し、核心部分について不合理に変遷していて信用性には重大な疑いがある」と指摘して、合意が無かったと判断し、山
今朝、都営新宿線の車内で男が「触ってないって言ってんだろ」と怒鳴っていて、女の子が俯きながら男の鞄を掴んでいた。周りの乗客は誰も助けないので、両者に声をかけて電車を降りた。駅事務所で事情説明後警察に同行したが、警察官は「被疑者が否認しているので事件にするのは難しい」と言い放った。
先月、劇団「少女都市」を主宰する葭本未織さんからメールをいただいた。 8月に公演を行うといい、公演のタイトルは『光の祭典』。初演は2017年で、今回は3回目。メールには、レイプドラッグを使われた自身の性被害を元にした公演であることが書かれていた。しかし、その事実は公表していないという。 公表していないということであれば、取材でその話を聞くことはないだろう。そうであれば、一般的な話を聞こう。そう思った。 たとえば、彼女が先日発表した文章の中で書いていた、「性暴力が無くならないかぎり、わたしは娘を、子を持つのが怖い。」という一文にひどく共感する。 そういったことを話そうと決めて取材に向かったところ、彼女の口からあふれ出たのは、彼女自身の体験についての言葉だった。 先に書いておきたいのは、公演の中で描かれるのは、ステレオタイプな「かわいそうな被害者」ではない。また、加害者へのリベンジでもない。
【加害者】長崎市の原爆被爆対策部長(発覚時は企画部長(59歳)) 【被害者】20代後半の女性記者 【明るみに出たきっかけ】 2007年10月31日に報道される 【事案の概要】 長崎市の企画部長(59)が原爆被爆対策部長を務めていた7月、取材を通じて知り合った報道機関の女性記者にわいせつ行為をしたことが31日、分かった。 これは、2007年10月31日の共同通信配信記事の冒頭の一文である。事件の内容の説明に入る前に、加害者と被害者の人物像と、背景状況について簡単に触れる。 この部長は1971年、市役所に入り、観光課長や議会事務局長などを経て、2004年に原爆被爆対策部長になった。長崎原爆の日の行事や平和行政、被爆者援護などの責任者を務め、原爆取材の窓口役として記者対応も担当。2007年8月、企画部長に異動した。 庁内では「エース」と呼ばれる存在で、ある市職員は「気さくな性格で話し上手。同僚や
東京や大阪など、都市部を中心に導入されている女性専用車両。痴漢被害から守ってくれる存在ですが、いつ、どのような形で始まったのか、知っていますか。 日本における女性専用車両は、1912年(明治45年)1月に東京の中央線において、朝夕に限って導入された「婦人専用電車」が最初とされています。近年の本格的な導入の大きなきっかけになったとされているのが、1980年代の「地下鉄御堂筋事件」です。どのような事件だったのでしょうか。(ライター・平塚陽子) ●痴漢行為を注意した女性が逆恨みで強姦された 1988年11月4日午後9時ごろ、大阪市営地下鉄御堂筋線の本町ー心斎橋間の電車内で、2人組の痴漢行為に対して注意した当時20歳の女性が逆恨みされました。2人組は女性の首などをつかみ、大阪、堺市内を連れまわしました。午後11時50分ごろ、マンション建築現場に連れ込み、ノコギリで脅して強姦しました。大阪地裁堺支部
離婚騒動やらタブロイド紙との争いやらで何かと忙しいアマゾンCEOのジェフ・ベゾスに、もう1つ頭痛のタネができた。映画『アニー・ホール』などの代表作を持つ大御所監督ウディ・アレンが、契約違反としてアマゾン・スタジオズを相手に訴訟を起こしたのだ。そして、大方の見方によると、どうやらアマゾンはこの巨匠にかなりの賠償金を払うことになりそうなのである。 ウディ・アレンを見限ったアマゾン アマゾン・スタジオズとアレンが初めて組んだのは、アマゾンが映画の製作配給に乗り出して間もない2014年のこと。アレンを積極的に誘致したのは、当時アマゾン・スタジオズのトップだったロイ・プライスだ。 アマゾンの資金提供を受けて、アレンは映画『カフェ・ソサエティ』『女と男の観覧車』、テレビドラマ「ウディ・アレンの6つの危ない物語」を作る。さらに製作中、4本の次回作を好条件で作らせてもらうという新たな契約も取り付けていた。
人権尊重を掲げる表の顔と、人権蹂躙を繰り返していた裏の顔のあまりの落差が衝撃的な、フォトジャーナリスト広河隆一氏(75)による性暴力問題。 「週刊文春」19年1月3日・10日号で私は、広河氏が15年間にわたり編集長や発行人をつとめた報道写真誌「DAYS JAPAN(デイズジャパン)」(以下DAYS)の元ボランティアなど7人の女性たちによる、性暴力・セクハラ被害の証言を記事にした。同2月7日号では、広河氏のもとでアルバイトをしていた女性が海外取材に同行した際に、2週間にわたって性的暴行を受けたという証言について書いた。 DAYS最終号は「性暴力検証号」に DAYSを発行する株式会社デイズジャパンは、昨年末に初報が出ると、「広河氏が被害者の方々の尊厳を傷つけてしまった」と詫び、広河氏を代表取締役から解任。なにが起き、どうして続いたのかを検証し、DAYS最終号(同誌は今年3月号での休刊が決まって
にょほ @nyohooooooho 妹から学校に掲示してるポスターの写真が「これおかしい」って文と一緒に送られてきた。 「自分が「カワイイ」と思った短いスカートによって性犯罪を誘発してしまいます。」 は??? 短いスカートが性犯罪を誘発する??? スカートの丈のせいですか pic.twitter.com/Bmbahcga3R 2019-01-12 22:20:07 能川元一 @nogawam カンコー学生服 @KANKO_official 、痴漢被害者への犠牲者非難につながるようなポスターつくる一方で、モデル撮影会とか「カンコー委員会」というアイドルグループみたいなのを企画してんのな。“制服を可愛く着たい”という欲求は掻き立てておいて、被害にあったら「スカートが短い」とか、ドン引き。 2019-01-15 09:46:04 みっき @RvvE9ARl20E8S6v これ、ユニフォーム大手の
※写真はイメージです(写真:gettyimages) 日本陸連のコーチが、高校の女子部員にセクハラを繰り返した疑いがある。アエラが得た証言や通信記録から、部員の母にまで愛人関係を迫る異常さが浮かぶ。 * * * 日本陸上競技連盟のオリンピック選手育成を目的としたU20(20歳未満)投てき部門コーチの秋本純男氏(43)が、教員を務める宮崎の高校で複数の女子陸上部員にセクシュアルハラスメント行為をしていた疑いが発覚した。被害者が本誌に語った証言によると、生徒に抱きついて局部を触ったり、LINEで執拗に好意を伝えたりしていたほか、生徒の母親にまで「愛人になれ」と迫っていたという。宮崎県教育委員会が調査に乗り出しており、東京五輪を間近に控えたスポーツ界に新たな激震が走りそうだ。 秋本氏は順天堂大学で砲丸投げ選手として活躍し、同大学院などを経て母校の宮崎工業高校の教員になった。顧問として同校陸上
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く