さて、「30万人以上」の犠牲者を出した南京大虐殺に関する資料が、中国政府により国連機関ユネスコの「世界記憶遺産」に登録されました。 30万人という数字について少し触れておきましょう。 日本軍が南京市に迫った当時、南京には国際的に住人を戦闘行為から保護する目的の安全区が設置されていました。 安全区委員会委員長ジョン・ラーベは、南京戦が始まった12月10日付日記に南京市の人口を「20万」と記しています。 その後、日本軍による市内制圧・占領と続くが、委員会の認識は12月17日付文書以降一貫して「20万人」でありました。 こと人口に対する限り、委員会の認識はかなり正確であったことが判っています。 何故なら難民たちの食糧問題に頭を悩ました委員会にとって、南京市およびその中核の安全区の人口を正確に把握することはどうしても必要だったからであります。 また「大虐殺」後の2月上旬に安全区が解散された後、スマ