儒学殺人事件 堀田正俊と徳川綱吉 [著]小川和也 NHKで放映された韓国の歴史ドラマ「トンイ」では、臣下の官僚が朝鮮国王の粛宗(スクチョン)を諫(いさ)める場面が出てきた。時は17世紀の後半。朝鮮半島では、中国にならって朱子学を支配イデオロギーとする朝鮮王朝のもとで、国王と臣下がともに儒教を学ぶ体制が確立されていたが、学説の違いから官僚の間に党派が生まれ、党派間の権力闘争が激化しつつあった。 翻って同時代の日本はどうだったか。戦国時代の最終的な勝利者として樹立された江戸の武家政権は、朝鮮とは根本的に体制が異なっていた。朱子学は支配イデオロギーにはならず、将軍に仕える臣下も科挙によって選抜されたわけではなかった。 だが本書は、粛宗の時代に日本でも朝鮮と一見よく似た光景が、将軍の徳川綱吉と大老の堀田正俊の間に繰り広げられていたという、驚くべき説を唱えている。貞享元(1684)年に正俊が江戸城で