神戸製鋼ではV1からV3までキャプテンを務め、ラグビーに大きなインパクトを与えた(写真:築田純/アフロスポーツ) ラグビーの「顔」として広く知られた平尾誠二さんが、20日亡くなった。 享年53。 あまりにも早過ぎる死だった。 勝利の女神に愛された男平尾さんは、勝利の女神に愛された男だった。 昭和天皇崩御に揺れた1988年度シーズンに、26歳で神戸製鋼ラグビー部のキャプテンに就任するや、「万年優勝候補」と陰口をたたかれていた同部を初の社会人大会優勝、日本選手権優勝に導く。これで、伏見工業高校、同志社大学に続いて、高校以降は所属したチームすべてで日本一になったことになる。 その直後には日本代表監督に就任したばかりの故・宿澤広朗氏にキャプテン就任を要請され、いったんは答えを保留したものの、直接会って話し合い、意気投合するや要請を受諾。そのまま89年5月28日にスコットランドを破る大金星を挙げ、翌