コワイシャシン プレステのコワイシャシンってゲームがやばいらしい。 開発会社に勤めてた人に聞いたんだけど、何人もけが人、自殺者が出たとか、、 聞いたのは俺の高校からの連れで、営業で入社したんだけど、まあ小さい会社だったらしい。 けど独自のソフトを結構開発してて社員の情熱のある会社だったとか。 で、連れが入社して2年目に、夏発売予定のプレステ用のソフトを開発しようって事になったらしくて会議があったらしい。 会議でやっぱり夏は会談でしょって話になり、当時TVなんかで心霊写真を扱った特番を意識したゲームにしようって話になった。 開発のメインの人は(本名まずいんでK川にしとく)は結構思い切った事をする人らしくて、本物の心霊写真を使って、プレーヤーにゲーム内で本当に除霊させようって話になったらしい。 k川さんが発案したときに会議室内ではいけるんじゃないみたいな感じで盛り上がり、社長もOKを出して開発
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
ヤンデレとは? 最近、萌えの一つのトレンドとなったヤンデレ、「病み」と「デレ」の併合した言葉であり、広義には、精神的に病んだ状態にありつつ、愛情を表現する様子のことを指します。つまり、心が病んでも自分のことを愛してもらう属性です。 どっちかというとストーリー(主人公の浮気やヘタレな行動によって、疑心暗鬼になるケース)からヤンデレになるのが一般的ですが、元々そういう気質(主人公に会う前からメンヘラ)なケースになっている傾向と言えます。 ところでこのヤンデレ選択肢を一つ間違えば、凶悪犯罪者にもなるわけで、一般社会にとっては犯罪予備軍というレッテルを貼られます。(あくまで妄想世界ですよ) そこで、もし現実にヤンデレ娘の凶悪さを計測すると、どれほどのものなのか? そこで私は調べてまいりました。*1 凶悪犯罪の物差し ヤンデレの巨悪さを図るための物差しとして、コロンビア大学の法精神科医のマイケル・ス
『戦争における「人殺し」の心理学』 著者:デーヴ・グロスマン 訳者:安原和見 版元:筑摩書房 発行:2004年5月 価格:1575円(税込) ISBN:978-4480088598 どうにも穏やかでない題名だが,ヒューマニズムをめぐる重要な問題提起となっているのがこの本,デーヴ・グロスマンの『戦争における「人殺し」の心理学』だ。自分の命が危険な戦場においてすら,いかに人が人を殺したくないか,そして,そうした人として正常な抵抗感を,現実の軍隊がどのように「克服」するのかを,元アメリカ陸軍の将校である著者が多くの実例に基づいて解説する。 説き起こしの話題として著者は,第二次世界大戦における米軍歩兵の平均的な発砲率が,わずか15〜20%にすぎなかったことに触れる。偵察や弾薬のデリバリー,仲間の救出など,もっと危険な任務を進んでやる兵士達も,とにかく敵を撃ちたがらない。こうした傾向は南北戦争やクリ
週末にかけてとかいいつつちっとも追いつかない更新。 やっと一日分更新しました。 こつこつやっていきます。 ほんとごめんなさい。 えっと、今日は昨日に引き続いて手の観察。 昨日は手のひらと手の甲の皮を剥がしたので、今日は指の皮を剥がします。 …。 取りあえず結論から言ってみますが。 指の皮は剥がすことを前提に作られてませんでした。 まあ多分どこの皮もそうなんですけどね、ええ。 ほんとに剥がしにくいったらありゃしない。 もう手のひらまで剥がされてるのにそんなところで抵抗してどうするデスカ。 たとえ体は支配されても心までは…とかそういう精神ですか? 何の話だ。 なんで剥がしにくいかというと、まず隣の指が邪魔ね。基本的には。 一本一本切り離してから皮を剥がすならそれこそ野菜用のピーラーかなんかでぴうっと剥けるんですが。 カタギの(と思われる)ご遺体にそんな真似をするわ
2024 02 ≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫ 2024 04 1: うるうる: 02/03/24 22:09 ●大量殺人犯は中年に差し掛かった白人男性が多い。彼らは子供の頃から孤立 している。武道やボディビル、銃器などに異様に魅せられている。FBIの調 べでも快楽殺人者の90%が白人男性。 ●単独殺人は白人と黒人は半々だが、連続・大量殺人のほとんどが白人である。 欲得が動機の大量殺人は強盗殺人と同様、マイノリティー側の人種が多い。 復讐を動機とする大量殺人は中年の白人が大半である。 ●快楽殺人犯が犠牲者の生前と死後の両方にレイプをする場合、犯行はサディ スティックなことが多く、犠牲者に苦痛を与えたり、身体を切断したりするこ とが多い。 ●確信型連続殺人犯は、ある特定の集団・人種・売春婦などを独自の思想や 自
シーズン1、2のケニーのまとめです。吹替え ネタバレ有り。 シーズン3,4 sm57598 シーズン5以降 sm60193
書いてなかった感想を、もうちょっと詳しく書いてみるべく努力してみたが、やはりうまいこと感想にならなかった。 おれの家系には原爆で死んだひとが多少居るが、ヘヴィに被爆したような家族の大半は間をあけず一家全員死んだりしていて、それから数十年後に生まれたおれは、そのように枝ごと折れた家系の記憶を親族と共有する機会を持たなかった。全員が被爆で死んだわけではなかったかもしれない。混乱期のゴタゴタで、子や孫に伝えたくない別れ方をしたのかもしれない。いずれにせよおれは彼らがいまは居ないということしか知らない。 それはそれとして爆心地から遠いほうに住んでた親戚たちはほとんどが無事だったようで、そのうちおれが生まれるまで生きてたひとには会うことができたし、街でも被爆者手帳持ってるじいちゃんばあちゃんを幼い頃にはけっこう見かけた。だが、そういうひとたちもおれが物心つく頃次々死んだ。天寿をまっとうしたといっても
直接に絡む話ではなさそうだが「らき☆すた」も「ぽてまよ」も主人公が父子家庭だな。母子家庭じゃなく。そのへんにあるのか現代的ななにかが。父親ってのが鍵だ。母親とは違う、父親特有の、家族という関係性へのぎこちなさというか、不器用さみたいなものへの視線が、何らかの(オタ向け作品に要請されている)時代感覚につながっていくような気がする。 「らき☆すた」が主人公の家庭にフォーカスしたしんみり調のエピソードだったので、そこいらへんのことをちょっと考えたのだった。エピソード自体への感想は、ちょっと複雑だ。母親の居ないオタ家庭での父娘の対話と、その場にいながらコミットできない母親の幽霊の心境を描く、一見ほんわかほのぼの風エピソードというか。これなー、オタオタしい深夜アニメ作品としては一見感動的なエピソードなきがするかもだけど、じつは全然そんなものではない気がしたんだよな。たぶん片親家庭に育った男子にならあ
[ 事件 index / 無限回廊 top page ] 青酸コーラ無差別殺人事件 1977年(昭和52年)1月4日午前0時、新幹線ビュッフェで働く従業員の男女の6人が、この日の仕事を終えて、品川駅から歩いて5分ほどのところにある会社の寮に戻るところだった。 駅前の第1京浜国道を横断し、そこから約200メートル南の港区高輪4丁目のスケートセンターわきの電話ボックスの前を通りかかったとき、女の子の1人がボックスの下に10円玉が落ちているのを見つけた。ボックスの中折れドアを押し開くと、コカコーラの普通サイズびん1本が床に転がっているのに気付いた。 コーラは最近では缶容器が主流になっているが、当時はまだびん容器全盛だった。普通サイズは190ミリリットル。 転がっていたとはいえ、栓もしてあり、誰かが、電話しながら忘れていったのだろう。「ラッキーだな、拾っていけよ」という仲間の声に、女の子
シモ・ヘイヘまた、正しくはシモ・ハウハ[2](Simo Häyhä: フィンランド語発音: ['simɔ 'hæy̯hæ] ( 音声ファイル), 1905年12月17日 - 2002年4月1日[3])は、フィンランドの軍人、狙撃兵(スナイパー)。ソビエト連邦がフィンランドに侵攻して起こった冬戦争では、スコープなしで、ソビエト赤軍兵を多数狙撃して“白き死の神”(Белая смерть)と呼ばれ、恐れられた。確認戦果542人はスナイパーとして射殺した人数では世界戦史で最多とみられる[2][4]。愛称は「銃殺王」「シムナ」(Simuna)「荒野王者」「エリザベス」「フランケン」「El Primo 」*火事場荒らしの飛び漢の意[1]。フィンランド現地語の発音にあわせる場合、スィモ・ハユハもしくはスィモ・ハウハと表記するのが近く[5][6]、日本でも上記のようにシモ・ハユハと表記するメディアもある
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く