「蛤御門の変」は長州と薩摩が御所をめぐって大げんかした戦争で京都の町がほとんど焼け野原になった事件です。 それ以降の昭和30年まで、本来、祇園祭の巡行は氏子の領域を2つの巡行が手分けして回っていました。 今日の日程で言えば、7月の17日に先の祭(下(しも)の祭ともいう)と24日に後の祭(上(かみ)の祭ともいう)が行われました。 7月17日はその日の晩に、八坂神社の3基の神輿が御旅所へ渡御されますのでその露払いをしたわけです。 そして7月24日、これが本来の祇園祭のメインイベントで、いわゆる(御霊会:ごりょうえ)といわれる日です。この日に御旅所を出た3基の神輿が氏子の間を全部巡って、ありとあらゆる災いの神を全部神輿に積んで去ってくれる一番大事な日で、それの露払いをするべく9基の山が午前中に巡行したわけです。 従って山鉾の巡行は2回行われていました。これが本来の山鉾巡行です。 明治維新になり、